電話番号から設置年代を推測する
まず、看板の設置年代について。これを推測する要素の一つに、電話番号がある。東京23区と一部の市部の場合、「03-×××-××××」から「03-3×××-××××」へ市内局番の4桁化が一斉実施されたのが1991(平成3)年1月であった。すなわち市内局番が3桁の電話番号が書かれている看板は、1990年以前に設置されたものであることがわかる。今回取り上げる看板の中で唯一市内局番が4桁であったのが、仙川にある学習塾の看板だ(画像1)。少なくとも平成年間に設置されたとは思えないようないいサビの入り方をしているが、この教室自体は現在は営業していないようである。
逆に市内局番が3桁の古い看板であっても、現役の看板もある。同じく仙川のブロック塀に設置された住居表示看板は、経年劣化により住所は読み取れなくなっているが、赤字でハッキリ残された広告主の動物病院は現在も営業中だ(画像2)。
サビても現役!
次にサビの度合いについて。広告主が現役で営業を続けている場合、あるいは内容が現在も効力を持つ場合、いかにサビが進んでいようがそれは現役看板である(画像3,4)。逆に比較的綺麗な状態であったとしても、当の広告主が現存しない看板は立派な古文書である。北砂の珠算教室の看板などがこの一例だ(画像5)。
サビ具合が進んでくると、次第に看板の持つ雰囲気も変容していく。古文書看板の中では割とよくお目にかかるギター教室の看板は年を経るごとに白化し、サビが進んでも情報は見やすい(画像6,7)。一方、神宮前のブロック塀に設置されたカウンセリング団体の看板は、マークの部分にサビが発生し、次第に禍々しい雰囲気が増している(画像8)。
無言板まであと一歩の古文書
更にサビが進むとどうなるか。文字だけを残し、看板の面全体がサビで覆われるようになる。狛江にあるサビ看板も、中央のリンゴのマークを残して一面がサビに覆われているが、よくよく見ると「時代を変える 確かな庶民派!」「新自由クラブ掲示板」という文字が読み取れる(画像9)。新自由クラブと言えば河野洋平が代表を務め、1986(昭和61)年には解散した政党ではないか。この看板が平成を飛び越えて令和にまで残り続けている奇跡に心躍らされる。
西調布にある電器店の看板は、見事に文字だけが残り、白黒反転した画面のようになった(画像10)。稲田堤にある看板は、かろうじて「稲田堤教室」という文字と電話番号のみが遺されている(画像11)。
結果として無言板に近い状態の「ただの茶色の板」状態になった看板は、落書きやステッカー貼りのターゲットとなりやすい。大久保駅近くのサビ看板もこのようなステッカーだらけの状態となっているが、実はこれは完全な無言板ではない。「あなたの街です 道路を……」という文章の冒頭のみがかろうじて判読できる古文書なのだ(画像12)。
最近では古いブロック塀は撤去されることも多くなり、そうなると必然的にそこに付いていたサビ看板も取り除かれてしまう。そうなる前に、あなたの街のサビ看板を判読する散歩をぜひおすすめしたい。
絵・撮影・文=オギリマサホ