登録有形文化財で、食堂ゴハンをいただく
西武秩父駅から秩父神社へ向かうと、「番場通り」といういわゆる“表参道”を通ることとなる。今なお多くの店が立ち並ぶこの通り&周辺は、秩父が昭和初期〜30年代に隆盛した時代、もっともにぎわった場所でもあったとか。
そんな場所に『パリー食堂』が建てられたのは昭和2年(1927)のこと。「看板建築」という言葉をご存知だろうか? 建物の正面だけをコンクリートなどの耐火素材で覆い、意匠を施した木造の建物のことで、大正13年(1923)の関東大震災後に多く出現していく。西洋建築の流れを取り入れ、日本独自の様式美として発展していった看板建築だが、『パリー食堂』はまさにそれ。今は希少となってしまったこの外観に、まず見とれてしまう。
店内に入ると外観とは裏腹に、昔ながらの食堂の雰囲気が現れる。店内にはこの店もモデルとして登場したドラマのポスターが。実は筆者もドラマでこの店を知り、いつか来たいと思っていた一人だ。
料理を待っている間、店内を見回すと、石油ストーブ横になにやら動く毛玉が……。
こちら、看板猫のパリ子ちゃん。店内が混むと住居である2階に逃げてしまうので、お客が少ないときにしか遭遇できないらしい。ラッキー。
カメラを向けても、少しちょっかいを出しても安眠の姿勢を崩そうとせず。堂々たる風格だ。
昼酒を楽しんでいる常連さんと話しつつ、パリ子ちゃんを愛でているうちにオムライスが到着。
昔ながらの、しっかり焼かれた卵とチキンライス、ケチャップのオムライス。周囲に置かれたフルーツがなんとも豪華! 実はこれ、かつてテレビ出演した際にスタッフさんが豪華にするために盛り付け「放送を観て来たお客さんをがっかりさせたらいけないから」とこうなったそう。
ケチャップ味がしっかり効いた、どこか懐かしいオムライスの味。たまらない。こういうオムライスが食べられる食堂、今では少なくなったなあ……と噛み締めながらいただく。
パリー食堂は、秩父の歴史を見つめ続けてきた
現在お店を切り盛りしているのは、三代目店主の川邉義友さんとお孫さんの晃希さん。お二人にお店の歴史について聞いてみると、古い写真を出してくれた。昭和初期に隆盛した「カフェー」として開店し、多くの女給さんを雇っていたかつての『パリー食堂』。セメント産業と織物産業でにぎわっていたころの秩父の隆盛は、この店の建物の豪奢さからも想像がつく。
「昔は芸者街もあったし、今とは随分雰囲気が違ったよ。この向かいにも店を借りて営業をしていた頃もあったなあ」
ポツポツと昔話を語ってくれる川邉さん、フォローしながら話を進めてくれる晃希さん。とてもいいコンビネーションだ。
晃希さんが手伝うようになったのは2017年ごろから。実は前述のドラマでは実際の店舗の物語がドラマに盛り込まれており「孫がいるけれど継ぐかどうかわからない」と言われていたのだけれど……「一応、後継者です(笑)」と晃希さん。観光客で混む土日を中心に、川邉さんをフォローしつつお店の味を引き継いでいる。
と、話を聞いていてふと疑問に思う。定休日は?
「ないんですよこれが」と晃希さん。「いや、どうしても休まなきゃいけないときは休むから」と微笑む川邉さん。「でもそれも冠婚葬祭とかですよ」と晃希さんも苦笑い。
先代の母親から引き継ぎ、この店をずっと切り盛りしてきた川邉さんは取材時(2021年3月)で77歳。もはや生活の一部になっていて、休むと落ち着かないとかそういう理由ですか?……恐る恐る聞いてみると、「そうかもねえ」とやはり静かに微笑む。
代替わりがいつになるかはわからないけれど、この雰囲気と味はいつまでも残っていてほしい……そんなことを思いながら店を後にする。ちなみに「雑誌やテレビだとオムライスとカツカレーがよく取り上げられるんですけど、丼ものの自信あります。焼肉丼とかおいしいですよ」と晃希さんが言っていたので、訪れる人はぜひそちらも食べてみてほしい。
構成=フリート 取材・文・撮影=川口有紀