選定の基準3箇条
1.曲名や曲調がウォーキング向けであること
ウォークやランなど、歩くことを連想させたり、ビートが効いていたりして、その気にさせるものであること。まずはこれが大事と考えました。基本的に後ろ向きな内容の曲は、ウォーキングに向きません(ただし例外あり)。
2.BPMは100~120前後
一般的にウォーキングにふさわしいBPM(1分あたりの拍数。楽譜にあるメトロノーム記号と同様です)は110~120前後といわれています。そこに“散歩”というちょっとゆるめのアクティビティを視野に入れ込むと、まあ100を超えていればOKと考えました。
3.いい曲であること。また内容(ネタ)があること
いい曲……は、まあ当然ですよね。さらにいえば、歩きながらその曲について思うことがあるといいと思います。ちょっとした思い出なんかがあると理想的。時間はあっという間に経ってしまいます。
この3条件のうち基本的にはすべて、最低でも2つ以上当てはまらないとプレイリストには入れません。またBPMがかけ離れているものは泣く泣く除外とさせていただきました。
ということで、さっそくリスト紹介に参りましょう。
ビューティフル・ボーイ(『ダブル・ファンタジー』1980年)
たどり着いた「親馬鹿」という境地
トップは生前最後のアルバム『ダブル・ファンタジー』から、息子のショーンに捧げたこの曲を。もうベタベタの親馬鹿ソングですが、ここまで美しければ言うことなし。なんでもヨーコが3度も流産した末にやっと授かったのがショーンだとか、ポールが一番好きなのはこの曲だとか、エピソードも強力です。
さて、次曲から年次を追ってまいります。
BPM=112。ゆったりめ。
レヴォリューション(ビートルズ/シングル盤『ヘイ・ジュード』B面/1968年)
なんとっても「革命」ですから
まずはビートルズの名曲を。1966年にヨーコと出会って以降、ジョンの曲は劇的に変化を遂げます。それまではプライアン・エプスタインの方針で控えめだった政治的メッセージが一気に具体的になっていくわけですが、その象徴としてよく取り上げられるのがこの曲。なんといっても題名が「革命」ですから。しかし、歌詞を読むと、単に文化大革命をおちょくっているようにも見えます。『ホワイトアルバム』には2つの別バージョンが入っていたりして、ジョンのお気に入りぶりも相当なもの。しかし、A面ではポールがジョンの子供ジュリアンに「くよくよするなよ」と歌い、B面でジョンが「オールライト!」と歌い、それが世界中でナンバー1ヒットになるという流れに言葉がありません。
BPM=122。理想的テンポ。ちょっとやかましいです。
コールド・ターキー(シングル/1969年)
こういうのもアリか?
ビートルズ名義で録音しようとしたが、「単なるドラッグソングだろ!」と非難を浴び、叶わなかった曲。本当はドラッグの悲惨さを訴えた曲らしいのですが、その境界がわかりにくいですね。勲章を女王陛下に返す時、ベトナム戦争反対とともにこの曲がヒットチャートから落ちていることを理由に挙げたそうです(という冗談もわかりにくい)。しかしまあ、素直に聴けば、クラプトンのギターがかっこいいです。そして、下に挙げたトロントでのライブを見てください。ヨーコの嬌声というか、叫び声がものすごいことになってます。これ、ありなんでしょうか? まあそんなこと言い始めたらきりがない二人ですが。
BPM=117 。ビート効いてます。
このヨーコさんは……。
神(『ジョンの魂』1970年)
ビートルズとの決別
ビートルズとの決別の決意表明と言われてる曲。まだ存続中なのに「Don’t Believe in Beatles!」ですよ。題名が重たいし、冒頭の「God Is Concept」にも、過激な匂いを感じてしまいますが、ようするに既成の常識や政治思想、宗教ではなく、「まず自分のことを信じろ」と言ってるだけのような気もします(この文字付動画も理解の手助けになりますね)。個人的にはディランのことを「ツィメルマン」と本名で呼んでいるのが面白い。40年ぐらいあとにジョニ・ミッチェルもディランについて同様の見解を表明しますが、まあ偶然でしょう。
BPM=117。「Don’t Believe in Beatles」の後は小休止。
インスタント・カーマ(シングル/1970年)
今を見ろ!
これはなにやら難しい歌詞だぞ、と思って長らく敬遠していた曲ですが、このページの訳詞を読んで腑に落ちました。なるほど、これならわかります。ジョンはちゃんとカルマの矛盾をとらえていたんですね。さすがです。また「前世や、来世のことよりも、今を変えようと思えば一瞬で変われる」という歌詞は、「God」にも通じるものがありませんか? ところで私の机の後ろには松岡修三カレンダーがおいてありまして、今月の言葉は「後ろを見るな! 前も見るな! 今を見ろ!」です。
BPM=120。理想的テンポ。
パワー・トゥ・ザ・ピープル(シングル/1971年)
とにかく力強いね
「人々に力を!」という歌詞が繰り返される非常にミニマムな歌詞の曲ですが、やたらとビートが効いているので、ウォーキングにもぴったり。ビリー・プレストン(ピアノ)、アラン・ホワイト(ドラム)、ボビー・キーズ(サックス)がそれぞれいい仕事をしていて、それをフィル・スペクターが壁に仕上げるという、この時期のサウンドのお手本のような曲。日本でのシングル盤のジャケットになった、ジョンのヘルメット写真はご愛敬ですね。
BPM=113。ドラムの音すごいす。
真実がほしい(『イマジン』1972年)
どうして狂犬だったのか?
「イマジン」のどこまでも美しく寛容な世界観に魅せられて、アルバム『イマジン』を購入し、心躍らせて聴いてみたら……政治家に噛みついたこの曲や、終始ポールに喧嘩を売る「眠れるかい?」の歌詞を見て、その狂犬ぶりにうんざりしたという人も多いのではないでしょうか。これに懲りて「ジョンはベスト盤に限る!」と言い切っていた友人もいました。しかし「ダブル・ファンタジー展」によれば、アメリカで政治活動に参加したジョンとヨーコは、その影響力の大きさからニクソン政権に睨まれ、盗聴や尾行は日常茶飯事、一時は生活に困窮するほどの事態に陥ったようです。ならまあ、わからんでもないかな? 歌詞がわかなければなかなか軽快な曲です。
BPM=133。少し早め。
マインド・ゲームス(『マインド・ゲームス』1973年)
答えはイエス
「パワー・トゥ・ザ・ピープル」以上にミニマムで、ほとんど一つのメロディが繰り返されるだけですが、それだけにウォーキングにはいいでしょう。長らく「インスタント・カーマ」ばりに難解な歌詞だと思っていましたが、今回の「ダブル・ファンタジー展」を見て印象が180度変わりました。サビの「Yes Is the Answer」は無抵抗主義のことかと思っていましたが、これは、ジョンとヨーコが出会いを果たした個展の作品から来ているんですね。作品自体はニーチェの影響下にあるらしいので、まあ難解は難解なんですが。
BPM=131。少し早め。この動画は1974年BBCがNYで撮ったもの。すごくいいです。
インテューイション(『マインドゲームス』1973年)
妄想膨らむ小品
異論があることは承知で書きますが、『マインド・ゲームス』『心の橋』『ロックンロール』の、いわゆるジョンとヨーコが別居中に発表された「失われた週末」三部作は、内容よりも演奏とアレンジで聴くレコードだと思っています。素晴らしいサウンドだが、狂気に欠けるといいますか。そして個人的に『マインドゲームス』で一番好きなのはこれです。「直感を信じれば大丈夫」という内容。この曲を聴いていると、もしジョンが生きていたらこんな曲をもっと書いたのでは……と妄想が膨らむのです。
BPM=119。歩きやすいです。
予期せぬ驚き(『心の壁、愛の橋』1974年)
予期できますよ
「失われた週末」期間に作られた曲。
「楽園の鳥 彼女の瞳に映る夜明けの太陽 こんなにも素晴らしい驚きがあるとは 僕は気づかなかった 彼女は僕の精神を激しく吹き飛ばした」
ここで歌われているのは、やはりヨーコのことなんでしょうね。なら、ぜんぜん予期できますけど(笑)。
BPM=100。ゆっくりめ。
スタンド・バイ・ミー(『ロックン・ロール』1975年)
歌われるべくして……
オリジナルはベン・E・キングですが、この曲をこのバージョンで知ったという人も多いでしょう。また、私のようにジョンのソロの中でこれが一番好きという人も結構いるでしょう。いわばジョンのために歴史が用意した曲と言っても過言ではない。ボーカルはもちろん、アレンジも最高。ジョンのカッティング、これぞウォール・オブ・サウンズというホーンの入り方、そしてジム・ケルトナーのドラミングも効いています。フィル・スペクターはアルバム制作途中でオリジナルテープを持って失踪したということなので、どこまでがフィルの仕事かはよくわかりませんが、誰が聴いても最高の「音の壁」です。
BPM=106。ややゆっくり。しかし歩きやすいです。
真夜中を突っ走れ(『心の壁、愛の橋』1974年)
失われた週末の終焉
エルトン・ジョンとのデュエット。ジョンはあまりこの曲を気に入ってなかったようですが、結果的にビートルズ解散後、唯一ナンバー1ヒットとなりました。確かに少々やかましすぎる曲かもしれませんが(この時期の曲ならデヴィッド・ボウイとのデュエット「フェイム」のほうが……)、この動画はエルトンが大興奮しているのがおもしろい。「ナンバー1になったら、エルトンのライブに飛び入りする」という約束を果たしたそうですが、やっぱジョンはスターですねえ。そして、ヨーコ(のイメージに寄せた人)が写っています。ヨーコはこのコンサートにジョンが出るとはしらずに行ったらしいのですが、これがきっかけで二人が元のさやに戻ったというのは有名な話(コンサートは『ロックン・ロール』の完成後なので、今回は「スタンド・バイ・ミー」の後に入れました)。ヨーコは、このコンサートに行くように助言したのはポールだったと後のインタビューで明かしています。
BPM=125。軽快です。
スターティング・オーバー(『ダブル・ファンタジー』1980年)
きっと宿命
失われた週末が終わり、息子ショーンが誕生。5年間主夫業に専念していたジョンの再起の始まりは1979年のクリスマス、息子に「パパはビートルズだったの?」と言われたことがきっかけといわれます。
先日、雑誌「昭和40年男」2020年12月号の「特集ジョンレノン」に、私と同い年の島村洋子さんが寄せた記事を読みました。もちろん面白かったのですが、併載された年表「1980年のジョン・レノン A Day in the Life」を見て、その1年間の濃密さに改めて驚きました。
5月にケープタウンに一人旅、6月はショーンとバミューダへバカンス、8月にレコーディング開始、9月にプレイボーイ誌インタビューと篠山紀信氏によるジャケット撮影、ニューズウィークインタビュー、9月にゲフィンと5年間で8枚(!)の契約締結、10月にこのシングルが発売され、11月にはアルバム『ダブル・ファンタジー』発売、12月5日に「ローリングストーン誌インタビュー」、8日にアニー・リーヒーヴィッツの撮影、そしてヨーコの曲を録音後、自宅前であの事件が……。
濃密な日々はスターの宿命。5年も世俗を離れ、主夫業に専念した気持ちが、凡人の私にも少しわかる気がしました。
グロウ・オールド・ウィズ・ミー(『ミルク・アンド・ハニー』1983年)
ともに白髪の……
純粋なウォーキング用プレイリストは「スターティング・オーバー」まで。この曲はおまけです。
あの事件から3年後に出たアルバム『ミルク・アンド・ハニー』に入ったこの曲は、日本語でいえば「ともに白髪の生えるまで」の世界観でしょうか。リズムボックスとピアノだけという、ラフな伴奏が美しさを際立たせます。「ダブル・ファンタジー展」で一番印象に残った曲でもありました。のちに1998年にジョージ・マーティンがプロデュースした+ストリングスバージョン、さらには2019年、リンゴが歌い、ポールがベースを弾いたなんとも贅沢なバージョンもありますが、私はこれが好きです。
2019年のリンゴのソロアルバムに入ったバージョン。ポールのベースがやさしい。マーティンが以前入れたストリングスを使っているそうです。
では皆さん、今年もあとわずかですが、
Merry Xmas , And Happy New Year.
どうかお身体気をつけてお過ごしください。
文=武田憲人(さんたつ編集長)