戦後の混乱期に本物のコーヒーで人々に元気を
神田駅西口から徒歩2分ほど。線路沿いに店はある。店頭に吊された看板にはコーヒーカップを手にした宣教師風の男性が描かれ、そのユニークな表情に笑みがこぼれた。
店の歴史は1948年、神田小川町で開いた「コーヒールーム」から始まる。当時は戦後の混乱期でコーヒー豆はもちろん、焙煎機やコーヒーミルなどの機器を入手するのもひと苦労だった。
「父親の話では赤いコーヒーミルを群馬県の高崎市で手に入れ、満員電車で背負って持ち帰った。コーヒー豆は意外なところに戦中の在庫品があり、手に入れたと言ってました」とはオーナーの斎藤光治(こうじ)さん。
戦中、代用コーヒー(大豆など)で我慢してきた人々が、久しぶりに上質の自家焙煎コーヒーを味わえたのだから大喜び。当然、店は大人気となり、復興に励む人々に元気を与えた。
直火式の焙煎機でパンチのあるコーヒーに
店内に入ると窓辺に大型の焙煎機。周囲にはブルーマウンテンNo.1の輸送に使われる木樽や麻の豆袋が置かれていた。『斎藤コーヒー店』では、日本橋室町と内神田にコーヒーショップを出店しているが、焙煎作業はすべて本店で、斎藤さん自らが行う。
蒸気機関車にも見える焙煎機は2000年代に導入した。「ガス圧計や温度計があるから楽ですよ。父から受け継いだ焙煎機は計器類がないので、炎の量や豆の焼き色、はぜる音など、いま以上に五感をフル活用したものです」と斎藤さん。師匠に当たる父親は昔気質の人。戦前の木村コーヒー店で覚えた焙煎技術を親子2代で向上させてきた。
斎藤さんに促されて、焙煎機を下からのぞく。焙煎窯内で回転するドラムはメッシュ状で、小さな穴から炎が入り、生豆に直接火が当たる構造になっていた。直火ゆえに気が抜けず、確かな技術も求められるが、パンチの強い味になる。
焙煎作業は多い時で1日10回。焙煎機は一度に最大8kgの生豆を焙煎できるが、6kgまでに抑える。斎藤さんは「クルマも定員いっぱいで乗ると狭いでしょ。キャパ80%くらいがおいしく仕上がる」と笑った。
まずはコーヒーショップでプロが抽出した一杯を
本店で販売するコーヒー豆は、最高峰のブルーマウンテンNo.1をはじめ、モカ・マタリー、ブラジルサントス、スマトラマンデリンG1など約16種。ブレンドではブラウンゴールドがおすすめだ。ブラジル、コロンビアなど5種の豆が配合され、創業から70年以上も変わらぬ味を守っている。
「それでは有料の試飲に行きますか」と斎藤さんに案内されたのは、本店から徒歩5分の『斎藤コーヒー内神田店』(7:30~18:30<土は11:30~17:30>、日・祝休)。本店で焙煎したすべてのコーヒーがそろい、注文すると1杯分ずつ豆を挽き、ハンドドリップで抽出してくれる。
それぞれの豆のおいしさを最大限に引き出した“理想の一杯”を体感できるわけで、自宅や会社で抽出する際の参考になる。
コーヒー以外のドリンクは紅茶、ココア、クリームソーダ、レモンスカッシュなど。フードはトースト220円~やサンドウィッチ450円~をそろえている。
戦後の復興に励む人々に元気を与えた一杯とともに、歴史に思いを馳せながら味わおう。
取材・文・撮影=内田 晃