お寺の名前が駅名と町名に

祐天寺駅は、東横線が開通した昭和2年(1927)に開業しています。それから間もない昭和3年(1928)頃に撮影された祐天寺駅の写真がこちらです。

 

昭和3年(1928)頃の祐天寺駅(写真提供=東急株式会社)。
昭和3年(1928)頃の祐天寺駅(写真提供=東急株式会社)。

こちらは、2026年現在の祐天寺駅。

1970年に高架化されたのに伴い、祐天寺駅と学芸大学駅の付近には商業施設「東急ショッピングコリドール」が整備されました。2013年には、急行や特急などを優先して通すための通過線が整備され、2018年に商業施設「etomo(エトモ)祐天寺」が開業。現在の姿になっています。

ちなみに、祐天寺駅の東側、祐天寺門前の駒沢通りの手前までは、住居表示名が「目黒区祐天寺」になっています。1968年の住居表示施行により生まれた町名で、住居表示名の中で寺院名が使われているのは祐天寺だけなのだとか。

東口を出ると、特急も通勤特急も急行も停まらない、各駅停車の駅ならではののんびりとした雰囲気が漂っています。商店街をぶらぶらと歩きながら、祐天寺に向かってみましょう。

力強い「南無阿弥陀佛」の六字

おしゃれなカフェや昭和レトロな建物を楽しみながら、のんびり歩くこと約10分。

すると突然、この素敵な木塀が現れます。

塀の奥には「南無阿弥陀佛(なむあみだぶつ)」の文字がちらりと見えました。

堂々たる門構えのこちらのお寺が、享保3年(1718)創建の祐天寺です。祐天寺の「祐天」とは、増上寺の第36世法主(ほっす。大本山の住職)を務めた高僧の名前なのだそう。祐天上人から「念仏の道場を建ててほしい」との遺命を受け、弟子の祐海上人が建立したお寺です。

国登録有形文化財となっている現在の本堂。
国登録有形文化財となっている現在の本堂。

現在の福島県いわき市に生まれた祐天上人は、現在の港区にある増上寺で修行ののち、現在の墨田区牛島に草庵を結び、念仏三昧の日々を送ったといいます。当時、新しい寺院の建立は禁止されていたそうですが、八代将軍徳川吉宗公の取り計らいにより、善久院という小庵に祐天寺の名を付す形で特別に建立が認められたのだそうです。

祐天上人の名を世に知らしめたのが、独特の書体の「六字名号(ろくじみょうごう)」。祐天上人が「南無阿弥陀佛」としたためたもので、庶民から将軍、大奥まで、幅広い人々がこの六字名号を求めたといいます。「祐天名号」とも呼ばれるこの名号の噂は、5代将軍徳川綱吉公の生母・桂昌院の耳にも届くほどだったとか。祐天上人の六字名号信仰は全国に広まり、この名号を刻んだ石塔が各地に建立されているそうです。

吉祥寺、高円寺など、電車の駅名には「〇〇寺」と寺院の名前がつくことがありますよね。寺院名が由来だと意識しないほどおなじみの駅もあれば、「どんなお寺なんだろう?」と気になるものもあるかもしれません。【駅名ゆかりの寺さんぽ】シリーズでは、そんな駅名のもととなった寺院をめぐり、歴史や見どころをたどります。今回は、東京メトロ有楽町線護国寺駅の駅名の由来となった真言宗豊山(ぶざん)派の寺院、天和元年(1681)創建の「護国寺」にお参りしました!
祐天上人名号の御朱印500円。
祐天上人名号の御朱印500円。

この六字名号は、御朱印にもなっています。筆者は、以前とある博物館でこの六字名号の軸を一目見て、あまりのかっこよさに忘れられなくなってしまい、数年越しの思いを胸に授与していただきました。

境内の至るところで六字名号を拝することができる。
境内の至るところで六字名号を拝することができる。

六字名号について、祐天寺にお聞きしました。

「祐天上人の名号は全体的に丸みを帯びた特徴的な字体ですが、その書体の持つ意味などは伝わっておらず、いつこの字体が完成したのかもはっきりとはわかりません。ただ、元禄年間の初め頃から身代わりや火伏せ(防火)、水難除け、剣難除け、安産などの御利益があると信仰されてきました。一説によると、祐天上人は名号を1日に1000枚以上も書かれていたと伝えられており、現存数は把握できておりません。それほど多くの人が求めて集まったそうです。」

晩年に至るまで筆をとり、名号を書き続けたという祐天上人。境内を歩くと、至るところに纒(まとい)の意匠が見られ、町火消から広く信仰を集めたことがうかがえます。

嘉永4年(1851)に江戸町火消から寄進された地蔵堂門には、火消のシンボルとなった纒の彫刻が施されている。
嘉永4年(1851)に江戸町火消から寄進された地蔵堂門には、火消のシンボルとなった纒の彫刻が施されている。

祐天上人が成仏させた女性の霊

祐天上人といえば、もう一つ外せないエピソードがあります。それを伝えるのが、境内の「かさね塚」です。

通称「かさね」と呼ばれる歌舞伎、『色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)』が再演された際、好評を記念して建てられた「かさね塚」。
通称「かさね」と呼ばれる歌舞伎、『色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)』が再演された際、好評を記念して建てられた「かさね塚」。

歌舞伎役者が施主となって大正15年(1926)に建立され、2026年6月に100周年を迎えた「かさね塚」。羽生村(現在の茨城県常総市)で暮らしていた、累(かさね)という女性にまつわる悲しい事件がもとになっています。

正保4年(1647)年のある日、与右衛門という男を婿に迎え暮らしていた累は、与右衛門から川に突き落とされ、殺されてしまいます。累は怨霊となり、与右衛門の後妻や子供たちに次々と不幸が降りかかります。それを知った村人たちが招いた学僧の中の一人が、祐天上人。祐天上人は、累や、その後現れた累の兄の霊に戒名と念仏を授けて成仏させました。このエピソードは歌舞伎や落語となり、「累もの」と称されて人気を博します。

本堂に向かって左手にある舎利殿の壁面にも、この話が描かれています。六字名号と並び、祐天上人と「南無阿弥陀佛」の力を感じさせるエピソードです。

「かさね塚」建立100周年を記念して、「かさね塚建立百周年記念御朱印」の授与を行なっている(500円。2026年12月末まで。なくなり次第終了)。
「かさね塚」建立100周年を記念して、「かさね塚建立百周年記念御朱印」の授与を行なっている(500円。2026年12月末まで。なくなり次第終了)。

祐天上人は、地蔵菩薩の化身だと言われているのだそう。祐天寺の境内には、庶民から将軍家に至るまで、祐天上人を慕った人々の思いを伝える寄進物が並んでいます。道端のお地蔵さんに手を合わせるように、いろいろな悩みを抱えた人々が祐天上人のもとを訪れたのだろうなあと想像させられました。

五代将軍徳川綱吉公の養女・竹姫が、厄除けのために発願し寄進した阿弥陀如来像。仏像の意匠としては珍しい葵・牡丹の両御紋があしらわれ、像の胎内には竹姫が書写した1万遍の名号が納められている。
五代将軍徳川綱吉公の養女・竹姫が、厄除けのために発願し寄進した阿弥陀如来像。仏像の意匠としては珍しい葵・牡丹の両御紋があしらわれ、像の胎内には竹姫が書写した1万遍の名号が納められている。
祐天名号おねんぶつ飴220円。「南」「無」「阿」「弥」「陀」「佛」の一文字一文字、異なる味わいが楽しめる。
祐天名号おねんぶつ飴220円。「南」「無」「阿」「弥」「陀」「佛」の一文字一文字、異なる味わいが楽しめる。

祐天上人の六字名号を一文字ずつ金太郎飴にした「祐天名号 おねんぶつ飴」をお土産に、祐天寺を後にしました。

祐天寺にお参りした後に祐天寺駅前に立つと、商店街や街に点在する「祐天寺」や「YUTENJI」の文字が力強く見えてくるのではないでしょうか。

住所:東京都目黒区中目黒5-24-53/アクセス:東急電鉄東横線祐天寺駅から徒歩8分

取材・文・撮影=増山かおり

吉祥寺、高円寺など、電車の駅名には「〇〇寺」と寺院の名前がつくことがありますよね。寺院名が由来だと意識しないほどおなじみの駅もあれば、「どんなお寺なんだろう?」と気になるものもあるかもしれません。【駅名ゆかりの寺さんぽ】シリーズでは、そんな駅名のもととなった寺院をめぐり、歴史や見どころをたどります。今回は、東京メトロ有楽町線護国寺駅の駅名の由来となった真言宗豊山(ぶざん)派の寺院、天和元年(1681)創建の「護国寺」にお参りしました!