上司からプログラムのコードを渡され「ここ直しといて」と言われても、おそらく簡単な処理なのだろうが、何もできない。質問して教えてもらっても、言われていることが理解できないのだ。「え、どういうことですか?」と2、3回聞くあたりまでは丁寧に教えてくれるが、5回くらい要領を得ない質問を繰り返しているうちに上司の目が不審者を見るものに変わっていく。

多分上司からすれば「ちょっと風呂を沸かしといてくれ」レベルのことを頼んでいたのだと思う。それに「どう言うことですか?」と聞き続けられたら人は苛立ちを通り越して不安な気持ちになるだろう。それ以上質問せず「頑張ってみます!」と言って自席に戻るも、もちろん何ともならず、最終的には上司に仕事を肩代わりしてもらうことが多々あった。

それでも、無理やりにでも働き続けていれば徐々に仕事が呑み込めていくのかと思っていたが、1年以上経ってもほとんど同じ状況だった。これはもう経験とか努力とかの問題ではなく、自分はプログラミング的なものを理解する能力に“特殊な欠陥”を抱えているのだと確信した。

最低でも3年は働いてくれよ

異常に図太い人でない限り、役立たずのまま働き続けることにかなりの苦痛を感じるだろう。仕事を辞めたくて仕方なかったが、上司にそれを伝える勇気はなかった。上司はいつも飲み会で、「未経験の新人を雇うのは会社にとって投資のようなもので、最低でも3年は働いてもらわないと赤字になる。頑張ってくれよ」と釘を刺してきた。茅場町、国領、東銀座。いろんな現場に派遣されるたびに、仕事が嫌すぎてその街が嫌いになっていく。最も嫌いになった街は、一番長く働いた品川だ。サラリーマンしかおらず、人工的でつまらない街だと思った。

品川での仕事自体は割と暇だった。仕事を振られることに怯えつつ、いつもWikipediaを見たり喫煙所に居座ってダラダラしながら、どうすれば摩擦を起こさず辞められるかばかり考えていた。

いっそクビにしてもらえたらどれだけ楽だろう。しかしただ無能なだけでは日本の会社はクビにできないらしい。それでも何とかクビにしてもらう方法を自分なりに考えた中では、「酒場で揉め事を起こす」というアイデアが最も実現しやすそうに思えた。

安い居酒屋で飲んでいたら、酔っ払いに軽くいちゃもんをつけられることが稀にある。今までの自分だったら適当にヘラヘラして受け流し、後で友達に悪口を言うくらいで終わっていただろうが、もしそこで退かずに何だこの野郎と言い返したらどうなるだろう。いかにも気弱そうなやつに思いがけず反抗された酔っ払いは逆上し、殴ってくるかもしれない。そうなったら、こちらも大義を持って殴り返せる。その後ボコボコにされたとしても構わない。

私たちはその後、店員からの通報を受けた警察にしょっぴかれ、会社にも連絡が行く。社長との面談になり、「喧嘩を吹っかけてきたのは向こうだと聞いてるけど、会社としてはクビにするしかないんだ。悪いな……」と同情的な雰囲気でクビにしてくれるのではないか。

そのアイデアを実現しようと、居酒屋に行くたびにギラギラした目で周りを見渡していた。しかし理由もなく喧嘩を売って来るような気のおかしいやつはそうそうおらず、何のトラブルも起きないまま日々は過ぎて行く。

ある朝、意を決した私は

いつの間にか品川の現場案件は終わりに近づいていた。一刻も早く辞めないと、別の現場に行かされてしまう。そうなったらさらに辞めづらくなる。酒場での喧嘩を待てなくなった私は、喫煙所でいつも愚痴を聞いてもらっていた同期の伊澤くんの力を借りることにした。明日の朝いつもより2時間早く、7時半に品川駅に集まって、上司にメールを送る時そばにいて勇気付けてくれないか、と。

翌朝寝坊した私が8時半ごろ駅につくと、伊澤君は「お前ふざけんなよ!」と笑いながら待ってくれていた。私はワンカップの酒を飲み干して気合を入れ、「出社後お話があるので少しお時間いただけますでしょうか」と携帯に打ち込み、2人でカウントダウンをして「うおおーー‼」と叫び送信ボタンを押した。興奮のまま伊澤くんとハイタッチを交わした。

ついにやった。あんなに嫌いだった品川の景色が朝の光に照らされて綺麗だった。1年半の仕事で一度も感じたことのない達成感に包まれ、談笑しながら会社へ向かう。これからの人生に幾多の困難が降りかかろうとも、きっと自分の手で未来を切り開いていける、そんな気がした。

文=吉田靖直 写真=鈴木愛子
『散歩の達人』2020年4月号より