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散歩の達人 2026年3月号
散歩の達人 2026年3月号
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吉祥寺駅から井の頭公園を目指す

御茶ノ水駅で中央特快に乗ってしまい、いったん三鷹まで行って各駅でひと駅戻るという中央線初心者にありがちなミスをおかしつつ、吉祥寺駅に到着した。

南口(公園口)を出て井の頭通りを渡り、七井橋通りから公園を目指す。以前調布を訪れたときにも感じたのだけど、私が住む東京の東側から23区西部の住宅地や多摩地域に来ると、街中に漂うノイズのようなものが少ないことに驚く。おそらく町工場から聞こえる機械音など、聴覚・視覚的に伝わってくるさまざまなゴチャゴチャ、ガチャガチャ感が東側にはあたりまえのようにあり、それがない土地に来て初めてあったことに気づくのかもしれない。

吉祥寺駅。
吉祥寺駅。
七井橋通り。
七井橋通り。
階段を下りると井の頭恩賜公園が広がる。
階段を下りると井の頭恩賜公園が広がる。

そんなノイズのなさと近づいてくる緑の気配に武蔵野に来たという実感を得つつ、七井橋通りから階段を下りて井の頭公園へと入る。そのまま階段の延長線上に歩いて行くと、目の前に井の頭池が現れる。

『散歩の達人』連載の漫画『水と歩く』第15回(2026年3月号掲載)より、階段を下りて井の頭池を見たときの主人公の表情。取材時の私もまさにこんな感じだった。
『散歩の達人』連載の漫画『水と歩く』第15回(2026年3月号掲載)より、階段を下りて井の頭池を見たときの主人公の表情。取材時の私もまさにこんな感じだった。

江戸時代より井の頭池は神田上水の水源として有名な景勝地だった。明治時代に帝室御料林として宮内省(現宮内庁)の所有となるが、当時の東京市が「井の頭公園設置の計画書」を策定し、大正3年(1913)に東京市に下賜される。その後東京市が井の頭池周辺を公園として整備し、大正7年(1917)に「井の頭恩賜公園」として開園した。日本で最初の恩賜公園、最初の郊外型公園でもある。

池に浮かぶスワンボート。
池に浮かぶスワンボート。

ちなみに井の頭恩賜公園には「ひゃくさいくん」と「ひゃっこちゃん」という公式キャラクターがいる。「ひゃくさいくん」は1917年生まれの精霊で、「ひゃっこちゃん」はその妹らしい。名前からするにおそらく開園100周年を記念して創作されたのだろう。「井の頭」にまったくかかっていないネーミングが潔い。

平日ということもあり、観光客と思しき人はそれほど多くなく、どちらかというと近隣に住んでいて普段から公園を利用していそうな人とよくすれちがう。先ほどの階段にも、ベビーカーを畳んで下降りる若い夫婦がいた。

井の頭池はアルファベットの「Y」の字を左に倒したような形をしていて、二手に分かれた右側の線上に七井橋が架かっている。七井橋を渡った先はYの字の真ん中の部分、池に突き出た半島状の土地になっていて、右手には『井の頭自然文化園』の入り口、左手には井の頭池ボートのりばがある。ここからさらに狛江橋を渡り、池の南側を東に進む。池のほとりではベンチに座って本を読む人や、小さな子供を遊ばせている母親などを見かける。平日の午後らしい、のどかな時間が流れている。

七井橋から池の向こうに見える白亜のマンション。
七井橋から池の向こうに見える白亜のマンション。
池の南側。公園の外の住宅地へ続く道。井の頭池周辺よりも周囲の土地の方が高い。
池の南側。公園の外の住宅地へ続く道。井の頭池周辺よりも周囲の土地の方が高い。
井の頭池南側の道。
井の頭池南側の道。

神田川の源流と木々の歴史を知る

井の頭池の水は池の東端でひょうたん橋と神田上水水門口を通ってひょうたん池に流れ、その先で神田川の源流となって流れ出す。源流の横には看板が立っていて

「ここが神田川の源流です 神田川は善福寺川、妙正寺川と 合流して隅田川に注いでいます」

と書かれていいる。JR御茶ノ水駅の横を流れるあの神田川の流れを思うと、源流はこんなに小さな流れなのかと驚く。

神田川の源流を示す看板と水門橋の標識。
神田川の源流を示す看板と水門橋の標識。
神田川。
神田川。
ひょうたん池。
ひょうたん池。
ひょうたん橋と神田上水水門口。
ひょうたん橋と神田上水水門口。

神田川源流を後に、今度は井の頭池の北側を西に歩く。すると池の中に鳥居のような形に木を組んだものが目に入った。何らかの祭祀や儀式に使用するのだろうかと思い公園を管理している方に聞くと、池に向かって傾いた木を支えるために設置されたが、その後木が撤去されたため、支えるための木の枠だけが残ったのだという。確かに池のそばに植えられている木を見ると、池の方へ傾いているものも多い。

鳥居のようにも見える。
鳥居のようにも見える。
枝が池の水面スレスレまで倒れている。
枝が池の水面スレスレまで倒れている。
池の柵にもたれかかっている木。
池の柵にもたれかかっている木。

他にも園内には上の方の枝が切られた木や、割と大きな切り株も見かけたが、枯れて損傷していたり枝落ちの危険性などがあるものなどは来園者の安全を考慮して適宜伐採を行っているようだ(建設局ウェブサイト「建設局へ寄せられた都民の声(平成29年11月)」)。

現在の井の頭公園で行われている樹木の伐採は公園の環境を管理、整備する目的で行われているが、前島康彦著『井の頭公園(東京公園文庫)』(1980年、郷学舎)にこのような記述がある。

 

「公園の地割は、文化園開設以来、池畔の苑路拡張等若干の変更が行われたが、これらのうち最も悲惨をきわめたのは、昭和十九年秋、明治初年以来水源保護の任に当ってきた八十年の杉を一万五千本という大量伐採したことである。いうまでもなく苛烈を極めてきた太平洋戦争による都民の被災殃死者用棺材としてであった。公園の風致はここにおいて一変し、幽邃なかつての杉林の風趣はもはや過去の語り草となってしまった」(『井の頭公園(東京公園文庫)』p63)

 

明治以来池畔に広がっていた杉林は、第二次世界大戦末期に空襲犠牲者を納める棺桶などの材料として伐採され、戦後その代わりにケヤキや桜などの広葉樹林が植えられた。花見の名所として知られる池畔の桜をはじめ、現在の井の頭公園の風景を形作る木々には、そのような歴史もある。

野外ステージに弁財天。「Y」字型の池畔をぐるりと歩く

再び七井橋の近くまで来ると特徴的な形をした井の頭公園野外ステージが見えてくる。この日は何のイベントも開催されておらず、舞台がパネルのようなもので目隠しされていた。

野外ステージ。
野外ステージ。
うさぎの遊具が一個だけ。
うさぎの遊具が一個だけ。

野外ステージを通り過ぎ、これで井の頭池の東半分をぐるっと回ったことになる。再び七井橋と狛江橋を渡り、今度は池を西に向かって歩いてみる。

日本庭園。
日本庭園。

園内の一角に雪吊りが施されている松の木を見つけた。どうやらここは「日本庭園」らしく、そういえば東屋や庭石のようなものがあり、ここだけ若干和風だ。この場所には昭和8年(1933)~1983年まで屋外プールがあり、地下水を使っていたためにとても冷たかったという。

日本庭園からさらに西に向かって歩くと、道の脇に「井の頭の石造物群」「井の頭池遺跡群」という2つの説明板を見つけた。それぞれの解説を読むと、井の頭弁財天には江戸町民の厚い信仰を受けていたことを示す石造物が残されていて、井の頭池周辺には旧石器時代、縄文時代から人が住んでいた痕跡がある、ということのようだ。

土地勘がなかったりその土地の歴史を詳しく知らない時、こうした道端に設置されている解説板は、街を歩き、見る際のとても良いヒントとなる(歩き疲れているとつい読み飛ばしてしまいがちだが)。

説明板を過ぎると井の頭弁財天の仏閣が見えてくる。取材時は「井の頭弁財天尊」と書かれた旗が参道の両脇に並んでいた。

井の頭弁財天。旗がこのように並ぶのは行事の時のみで、普段は立てられていないそうだ。
井の頭弁財天。旗がこのように並ぶのは行事の時のみで、普段は立てられていないそうだ。
公園の外へと続く参道の石階段。この階段から井の頭公園通りまで弁財天参道となっている。
公園の外へと続く参道の石階段。この階段から井の頭公園通りまで弁財天参道となっている。
『散歩の達人』2026年3月号掲載「水と歩く」15話のタイトル部分。
『散歩の達人』2026年3月号掲載「水と歩く」15話のタイトル部分。

境内や参道には石燈籠や石橋、狛犬、宇賀神の像などがあり、いずれの石造物も江戸期(1700年代~1800年代)のものだ。今回「水と歩く」のタイトル部分に描いた狛犬は明和8年(1771)のものらしく、私がこの連載で描いたものの中でもかなり年代の古いものかもしれない。

御殿山を進み、かつての「人食い川」・玉川上水へ

弁財天を参拝し、井の頭公園をよく訪れていたというWeb『さんたつ』の担当編集者さんにおすすめされた御殿山エリアを目指す。

井の頭公園というと井の頭池周辺のイメージしかなかったので、池の周り以外にも公園が広がっていることすら知らなかった。

三鷹の森ジブリ美術館の案内板。「吉卜力」はキチトカ、ヨシトカではなく中国語でJí bǔ lìと読む。
三鷹の森ジブリ美術館の案内板。「吉卜力」はキチトカ、ヨシトカではなく中国語でJí bǔ lìと読む。

御殿山の名は将軍家光が鷹狩りの際の宿所を立てたことに由来するそうだ。「鷹狩り」というとかつて江戸近郊にあった街の歴史を調べるとよく出てくる「江戸近郊あるある」で、家光の時代には大久保、中野、大塚、板橋、王子、谷中、千住、葛西、小菅、青山、目黒などで鷹狩りや鹿・猪狩を行っていたという(『井の頭公園(東京公園文庫)』p10)。

御殿山エリアにはイヌシデ、コナラ、クヌギを中心とした雑木林が広がっている。先ほどまでの池畔に比べて歩いている人も少なく静かで、井の頭公園にこんな場所があったのかと驚く。

御殿山へ向かう道。
御殿山へ向かう道。
雑木林。
雑木林。

雑木林を抜けてさらに西に進むと、細いまっすぐな道に沿って柵が続いている。地図には玉川上水と書かれているが、柵の内側には草木が生い茂っていてその中はよく見えない。柵が途切れたところに橋が架かっていて、そこから下をのぞき込んでようやく玉川上水の流れを見ることができた。

玉川上水脇の道。
玉川上水脇の道。
玉川上水に架かるほたるばし。
玉川上水に架かるほたるばし。
玉川上水。
玉川上水。

ちなみに、太宰治が入水した地点はここから800mほど上流にある。現在の小川のような流れからは想像もできないが、当時(1948年)は「人食い川」と呼ばれるほどで、水量豊かな水がかなりの速さで流れていたという。

武蔵野の樹々を見上げる。
武蔵野の樹々を見上げる。

池の西側から七井橋へ。徳川家ゆかりの湧水がここにも

玉川上水を後にし、再び御殿山を抜けて井の頭池に戻る。今度は井の頭自然文化園水生物館を右手に見ながら、池の西端を歩く。

左手に石で囲まれた小さな池が見えてくる。近くに立つ看板には「お茶の水」とあり「徳川家康がこの池の湧水を関東随一の名水とほめてお茶を入れて伝説から」その名がつけられたという。地下水の減少により、現在の「お茶の水」は地下水をポンプで汲み上げている。

ちなみに御茶ノ水駅のある御茶ノ水は、神田川の北側にあった高林寺境内の湧水を秀忠の茶の湯用に献上したことが地名の由来とされ、井の頭池の湧水とは関係がないようだ。

お茶の水。
お茶の水。

お茶の水の前から池の方に向かう道を進み、池畔に出る。井の頭池の他の場所に比べると、池の周囲をまわるメインの道から少し離れているせいか、ここだけ周りから隔絶されているような、よりひとりになれる場所といった感じがする。池の西端から東の方まで臨める位置にあるため公園全体の奥行きも感じられ、広い公園の中でわざわざこのエリアのベンチに座っている人の気持ちが少しわかる。私もここがなんか良いと感じたし、公園によく来る人は、それぞれのベストポジションがあるのかもしれない。

野口雨情の歌碑近くのベンチ。
野口雨情の歌碑近くのベンチ。
ベンチから見た池。
ベンチから見た池。

池の西側から再び七井橋の方へ向かう。これで井の頭池をちょうど一周したことになる。

東京東部に住む私にとって、水辺というと荒川や隅田川のような河川の土手や遊歩道を連想しがちで、井の頭公園のような池畔の風景は新鮮だ。不忍池もあるが、周囲の環境はかなり異なる。

井の頭池は、杉並区の善福寺池、練馬区の三宝寺池とともに武蔵野台地三大湧水池とよばれていて、いずれも武蔵野台地50m崖線(がいせん)とよばれる崖の下から湧き出た湧水からなっていた。それらの池から湧き出た水は神田川、善福寺川、石神井川となって、最終的には隅田川へ注ぐ。私の見知った風景の源のひとつは、武蔵野から湧き出た水なのだ。

武蔵野から江戸に向かう水の流れを、その水源を歩くことによって理解する。今回は神田川の源流だけしか見ていないけれど、いずれ玉川上水の始まりである羽村の取水堰(せき)も訪れてみたい。

この日は七井橋通りの『武蔵野珈琲店』で紅茶を飲んで帰路に就いた。新小岩駅に着いて周囲の雑踏から聞こえるさまざまな言語に、ああ、帰ってきたな、と思う。

池のほとりにいたカモ。オカヨシガモのメスだろうか? 水辺に集まるのは人間だけではない。
池のほとりにいたカモ。オカヨシガモのメスだろうか? 水辺に集まるのは人間だけではない。
『武蔵野珈琲店』にて。
『武蔵野珈琲店』にて。

 

取材・文・撮影=かつしかけいた

【参考文献・URL】

井の頭恩賜公園 Inokashira Park 公式ホームページ, 東京都建設局(2026年2月16日参照).
https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/jimusho/seibuk/inokashira

井の頭恩賜公園 Inokashira Park 公式ホームページ, 2019年3月,「井の頭恩賜公園公式キャラクターひゃくさいくんひゃっこちゃん」, 東京都建設局(2026年2月16日参照).
https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/jimusho/seibuk/inokashira_old/character0001

三井住友トラスト不動産HP,「このまちアーカイブス 東京都 吉祥寺 1:江戸期・明治期の吉祥寺」(2026年2月16日参照).
https://smtrc.jp/town-archives/city/kichijoji/index.html

前島康彦 著『井の頭公園』,郷学舎,1980.11. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/12422798 (2026年2月10日参照)

三鷹まるごと博物館,「昔写真を見る」(2026年2月16日参照).
https://ecomuse.jp/historical-photos/

武蔵野プレイス,「武蔵野市地域映像アーカイブ」(2026年2月16日参照).
https://www.musashino.or.jp/place/1001617/1002793/index.html

東京都建設局建設局, 2019年8月, 「建設局へ寄せられた都民の声(平成29年11月)」(2026年2月16日参照).
https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/about/info/jouhoukoukai-potal/tominnokoe/tominnokoe_2911

渡辺一夫, 2025年10月, 「なぜ井の頭公園に外来針葉が根付いた?都市に生きる森の楽しみ方」,一般社団法人プラチナ構想ネットワーク「森林循環経済」(2026年2月16日参照).
https://forestcircularity.jp/2025/10/num-150/

鈴木育男 元子, 2020年7月,らかんスタジオと吉祥寺の歴史「井の頭公園プール」,らかんスタジオ「レンズの裏側」(2026年2月16日参照).
https://laquan-insights.com/withlaquan/%E4%BA%95%E3%81%AE%E9%A0%AD%E5%85%AC%E5%9C%92%E3%83%97%E3%83%BC%E3%83%AB/

日本の地形千景プラス,東京都:武蔵野台地の湧水(三宝寺池・善福寺池・井の頭池)(2026年2月16日参照).
https://www.web-gis.jp/GM1000/GM_Red1/GM_Red1-056.html

吉祥寺活性化協議会, 2025年5月,「狛犬も指定文化財!井の頭弁財天の石造物群!」,吉祥寺.me(2026年2月16日参照).
https://kichijoji.me/column/guide/inokashira-park0824/

武蔵野市,「武蔵野History 太古の豊かな暮らしを今に伝える井の頭池遺跡群」,季刊むさしのナンバー100 2012年秋号(2026年2月16日参照).
https://www.city.musashino.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/001/824/musashino100_p12_13_history.pdf
https://www.city.musashino.lg.jp/shiseijoho/koho/kikan_musashino/2012/1001824.html

時田慎也, 2021年12月,「太宰治が旅立った「玉川上水」愛と謎に満ちた史跡の宝庫を歩く」(2026年2月16日参照).
https://intojapanwaraku.com/rock/travel-rock/162402/

羽村市郷土博物館 編『玉川上水散策』,羽村市教育委員会,1995.3. 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/pid/13220621 (2026年2月13日参照)

武蔵野市,2025年3月,「井の頭池における徳川家康のお茶の水」,『武蔵野ふるさと歴史館だより』第8号(2026年2月16日参照).
https://www.city.musashino.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/018/520/202111_tayori_008-s10.pdf
https://www.city.musashino.lg.jp/heiwa_bunka_sports/furusatorekishikan/1018520.html

千葉県浦安市というと現在では大型テーマパークの印象が強いが、元々は漁業の街として有名だった。山本周五郎『青べか物語』(1961年、文藝春秋社刊)では「浦粕町」「根戸川」といった名前で、漁師町だった頃の浦安町の様子が描かれている。埋め立てによって町域を拡大してきた浦安を歩いていると、旧市街と新しい街とで風景が全く異なることに気づく。今回は埋め立て以前より浦安の中心地として栄えてきた「元町」地域を主に歩いてみたいと思う。
前回は東京メトロ東西線浦安駅から出発して浦安市内の境川、旧江戸川沿いを歩いた。浦安市の中でも埋め立てが行われる前からにぎわっていた旧市街「元町」と呼ばれるエリアだ。今回はJR京葉線新浦安駅を起点に、埋め立てで新たに造成された新市街「中町」と「新町」エリアを歩いてみようと思う。
『一銭五厘たちの横丁』という本がある。写真家の桑原甲子雄が昭和18年(1943)ごろに撮影した出征軍人留守家族の記念写真をもとに、およそ30年後の昭和48年(1973)から49年(1974)、ルポライターの児玉隆也氏が写真に写る人びとの消息を求め、撮影場所である旧下谷区を訪ね歩いた記録だ。以前山谷堀を通った時に、ずいぶんきれいに整備されたなと思ったのだが、しばらくその周辺を歩いていなかったこともあり、今回は『一銭五厘たちの横丁』に記された街のひとつである旧金杉下町(かなすぎしもちょう)、現台東区三ノ輪1丁目からスタートして、山谷堀に沿って隅田川までを歩くことにした。
いつでも行ける距離にあるのに行ったことのない駅をGoogleマップで探していたところ、埼玉高速鉄道の川口元郷駅を見つけた。都内からだと地下鉄南北線王子駅から浦和美園行きに乗り、そのまま乗り換えなしで10分ほどで着く。駅の近くには芝川と荒川が流れており、水辺を歩くのにもよさそうだ。私の住む葛飾区からは足立区を隔てて隣の隣、近くて行ったことのない街を散策してみた。