『豊臣兄弟!』前夜

早速であるが、第一話で描かれておるのは永禄2年(1559)ごろじゃ。

信長様が将軍・足利義輝様に謁見するべく上洛したのが永禄2年の2月2日のことである。

その中で美濃の斎藤義龍殿によって刺客が差し向けられ、それを知った秀吉と秀長が信長様に報せる様が描かれておったわな。

じゃが丹羽兵蔵殿なる者に遅れをとって手柄とはならなかったという話であったか。

実はこの信長様の暗殺計画と丹羽兵蔵殿が信長様をお守りした話は、織田家の仔細がまとめられておる資料『信長公記』に記されておる。

史実をなぞりながら秀吉達を描く、なかなかの妙手であったのう!

ちなみに暗殺計画を察知し、刺客の前に自ら現れた信長様は「お主らの行いは、馬車の前に立ちはだかるカマキリが如し」と仰ったと『信長公記』に記されておる。

そしてこれは蛇足であろうが、現世の皆々が尾張から京へと行くとなったらば美濃を経由するのが定石であろうが、美濃の義龍殿と対立しておったために、信長様は桑名から八風(はっぷう)峠を越えて三重県経由で京へ向かっておるぞ。

戦国中期の尾張

信長様の上洛の理由の一つが、間もなく果たされる尾張統一の報告であったとされておる。

此度はこの辺りを掘り下げてまいろうではないか!

そもそも尾張は応仁の乱以降、北を治める岩倉織田家と南を治める清洲織田家に分かれ争っておった。

信長様が当主となったのは織田弾正忠家と呼ばれしお家。

弾正忠家は尾張の南側を治める清洲織田家の重臣格の家柄であった。

後に天下を取られる信長様も、はじめは尾張を二分する家のさらに重臣の立場に過ぎなかったのじゃ!

ちなみに尾張の誠の国主は室町幕府三管領(かんれい)が一つ斯波家であるのじゃが、ここまで話すと些(いささ)か話が混み合って参るで此度は割愛致すわな。

清洲織田家の家臣であった弾正忠家であったが、父・信秀様の時代に朝廷に近づいて厚遇を受けたことや、信長様が港を用いて商いに力を入れ、経済が潤ったことで大いに力を増し、主君にあたる清洲織田家を凌ぐほどに勢力を伸ばしていったのじゃ。

信長様の尾張統一

すると清洲織田家は次第に信長様の力を恐れるようになり、父・信秀様が病で世を去り信長様が後を継いだことをきっかけに、信長様と敵対することとなる。

しかも当時は東から今川家が尾張を狙っておって、清洲織田家と今川家により挟み撃ちとなった。

じゃが、当主となってから早速の難局にも関わらず、信長様はその戦の才と策謀を用いてわずか3年で清洲織田家を滅ぼし清洲城を手に入れたのじゃ。

これが天文24年(1555)の事、『豊臣兄弟!』一話の4年前のことじゃな。

続いて信長様と敵対したのは岩倉織田家、先にも紹介した尾張の上半分を治めておった家である。

織田家は美濃の斎藤家と同盟を結んでおったのじゃが、信長様の義父・斎藤道三様が子の義龍殿に討たれたことで同盟は破棄され、岩倉織田家と手を組んで信長様へ攻勢に出た。

無論今川家からの攻勢も続いておったでな、三つの家を開いて取らねばならんかったわけじゃ。

じゃがこれだけに留まらず、さらにここで信長様の弟君・信勝様が信長様と対立、信長様の領地へ攻撃を仕掛けたのじゃ!

信長様再び絶体絶命。

かと思いきや、稲生(いのう)の戦いで信勝様を破り、浮野の戦いで岩倉織田家を下して尾張統一を成し遂げられたのじゃ!

ちなみにこれらの戦には儂、前田利家も参陣し武功をあげておるぞ!

尾張統一が永禄2年(1559)。ちょうど第一話の頃合いであるわな!

尾張を統一していよいよ今川や斎藤といった戦国大名との戦に望まんとしておるのが此度の大河の始まりといえよう。

終いに

さあ此度は大河ドラマ前夜を語って参ったが如何であったか!!

実は信長様の尾張統一までの道のりは描かれることが少ないでな、覚えおくと何かと助けになるであろう。

各地の大名家を語る折に、信長様は生まれた家と時代に愛されたと表されることが多いと聞くが、領主の陪臣の立場から10年近い時をかけ一国の城主となったことを知れば、その印象も変わってくるのではなかろうか。

むしろ代々の名家である武田や今川、島津といった面々や、戦国時代初期から力を伸ばしておった伊達や北条家と異なり、一代で小領主から天下を取ったことを考えれば、戦国有数の実力で下剋上を成し遂げたお方といえるのではなかろうか。

して、一話の様子じゃと本年の信長様は温かみや懐の広さが確と描かれるような予感である。

いかなる信長様が見られるのか本年一年誠に楽しみであるわな!

ちなみに本年は儂の出番も多そうじゃなあと構えておったら、まさかの儂が織田家を追われておる頃が始まりで肩透かしを喰らっておった。

儂の出番にも要注目である。

本年は大河ドラマ『豊臣兄弟!』に合わせた話を多く記そうと思うておるから、楽しみに待っておいてちょうよ!

して、一話の最後に秀吉と秀長出生の地として名古屋市中村区が紹介されておったわな!

次回の戦国がたりでは中村区を巡りて秀吉ゆかりの地を特集いたそうと思うておる。

楽しみに待っておってな!

それでは改め本年もよろしゅう頼む。

また会おう、さらばじゃ!

文・写真=前田利家(名古屋おもてなし武将隊)

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