とんかつも豚汁もカレーです。
「まず前提として、世界中どこを見渡しても『カレー』という料理はないんです」 と、口火を切る沼尻さん。
そもそも「カレー」という言葉は、 18世紀にイギリスのC&B社がカレー粉を発明したときに生まれたと言われている。「辞典でカレーと引くと『カレー粉を使ったカレー味の料理』。カレー粉と引けば『カレーを作るときの調味料』と出てきます」。まるで鶏と卵のジレンマだ。しかし、それならばカレー粉さえ入っていればカレーと定義できるのではないだろうか。そんな疑問を投げかけると、「C&B社のカレー粉のレシピが残っ ていないことが問題なんです」と、返ってきた。
沼尻さんによると、現存のカレー粉やカレールーは、レシピが失われたC&B社の味に近付けるべく、各社の努力で作られたものだと言う。
「カレーを定義するための大枠であるカレー粉の原材料を、誰も知りません。それなのに、『カレーはこうであるべきだ』と論じるのっておかしいと思いませんか?」と、“沼尻論”はさらに熱を帯びていく。
定義がないままカレーは世界に広がった
仮に、現存のカレー粉を定義の根拠にすると、ウスターソースやケチャップなどと原材料がかぶる。スパイスを根拠にするなら、七味や山椒も当てはまる。
「そうなると、それらをかけたとんかつや豚汁なんかもカレーと呼べてしまうんです」。
他にも、煮る、炒める、焼くといった調理法。においや形状、色で定義しようものなら、当てはまる料理が多すぎる。徐々に“カレーは存在しない”という説に合点がいってきた。
「ここまで来ると、料理人と食べている人が、お互いにその料理をカレーと認識しているかどうかにかかってくるわけです。ところが、これがまた難しい。今からそれを証明しますね」。沼尻さんはキッチンへ 向かった。
ほぼ同じ食材と調理方法で、「カレーじゃないけどカレーと呼ばれる料理」と、「カレーなのにカレーじゃない料理」を作るのだと言う。一体なにが出来上がるのだろう?
カレーじゃないけどカレーと呼ばれる料理
南インドの煮込み料理・チキンステュー。味付けは塩とココナッツミルク。口当たりサラサラで辛味ゼロ。
カレーなのにカレーじゃない料理
日本の食卓でおなじみのクリームシチュー。とろみが強く、チキンステューより濃い口でピリリ胡椒の辛味。
「カレー」は単に都合のいい言葉。
チキンステューのほか、南インドの郷土料理・オーランや、野菜を塩とココナッツオイル、青唐辛子とともに蒸した総菜・トーレンなどもお目見え。辛味が無く、カレーとは思えないが、現地の人々は、南インド地域外や海外の人に英語で「これはカレーだ」と説明するという。
「自分たちの作っているものがカレーだと思っていない現地の人々にとって、カレーとは、単に説明するときに都合のいい言葉なんです」。
なるほど、「カレーじゃないけどカレーと呼ばれる」のはそれゆえか。一方、クリームシチューは、食材や調理法がチキンステューとほぼ同じだ。しかし、ステューはスパイスが入らないのに対し、シチューはしっかりと香り、カレーと呼べなくもない。
「でも、これをカレーだと思っ て作る人も、食べる人もいない。だからカレーではないんです」。
定義がないなら新たに作ってしまえ!
「結局、それぞれの地域や国で呼称される料理名があり、日本の 『カレー』 に相当する料理はないんです」と、沼尻さん。
「花椒や唐辛子などのスパイスを使った麻婆豆腐を、 『豆腐カレー』とは呼ばないでしょう?」。
食材や調理法、地域のどれでも、カレーを定義できない理由の総括だ。また、「独自の定義を決め、『これが日本カレーだ!』 と、世界に向けて発信すべきだと思うんです」 とも。
自分が今まで食べていたものは、本当にカレーだったのか? 常識を疑ってこそ広がる世界がある。
これら全部、カレーっちゃカレー。
『ケララの風 モーニング』店舗詳細
取材・文=高橋健太 撮影=オカダタカオ
『散歩の達人』2020年9月号より