浅草6丁目に現れた穴場カフェ

今や浅草には、高級なスペシャリティ豆を用いた自家焙煎のスタイリッシュな店が方々に潜んでいるのだ。シブ喫茶が点在していたかつての浅草(それもよかったんだけど)しか知らないと、たまげる事になる。この状況はコーヒー好きにはうれしいけれど、その一方、混雑でゆっくり過ごせない事もしばしば。これはちょっと困る。

どこかいい場所ないかなと散歩力を駆使して探し回ったところ、さすが歴史ある浅草ですなあ。まだあまり注目されていないエリアがこっそり残っていた。浅草寺を正面に見て、寺の裏手の右斜め奥、言問通りの向こう側の浅草6丁目あたり。招き猫で有名な今戸神社へと至る隅田川寄りの水辺エリアである。

かつては猿若町と呼ばれ、江戸歌舞伎の三大芝居小屋がそろい踏みする華やかな「芝居町」であった。江戸〜戦前ぐらいまで遊興地としてにぎわい、山東京伝や永井荷風など多くの文人に長く愛された粋な歴史を持つ。近くの桜橋を渡れば、向こう側は昭和下町の風情漂う穴場繁華街が待っているのもよい。

しかし現在の街並みは、レザー関連の会社や工房が目に付く程度で地味そのもの。飲食店はほぼないというか、知られていない。しかしながらこの場所の将来性と、繁華街から適度に離れたヌケ感ある心地よさに気づく人だっている。かくして、あえて、攻めの開店をはたしたのが『Café PA•TRI•CIAN』である。2025年1月オープン。そしてこのカフェ、攻めの姿勢はロケーションだけではない。

店内で存在感のある大型スピーカーから心地よい音楽が流れる

ガラス張りの雑居ビル1階にあり、グレーを基調とするシンプルな店内は外光が明るく注ぎ、ゆったりした造り。のんびり長居するのによさそうだ。窓辺に垣根のようにぐるりとめぐらされた植物は、クールな雰囲気の店内に柔らかみを与え、日差しを調節し、さらに緑が少ないこの辺りで店の目印も兼ねている。カウンターの照明にも蔓(つる)を這(は)わせ、四方に緑を配した様はスタイリッシュなジャングル風呂をちょっと思わせる。

そういった工夫に加え、このカフェ最大の特色が、奥行きある店内の突き当たりに構える、大型スピーカーの存在だ。

パトリシアン700(Patrician 700)、知る人ぞ知るEV(エレクトロボイス)社の伝説的なビンテージ・スピーカーである。EV社は劇場などの音響設備を専門とするアメリカの老舗メーカー。音の素晴らしさは業界で世界的に轟き渡っている。一時期個人向けのスピーカーを出したことがあり、これはそのひとつ。1960年発売、家庭用といっても1台約150kg、直径75cmのウーハー搭載、大人がひとり潜り込めるサイズの、どえらい大型スピーカーである。自宅の大広間に設置できるお方向けときている。Patrician=貴族の名に恥じぬ、戦後アメリカの黄金時代のもたらした希代の逸品だ。

このクラスのスピーカーだと、きちんと音を鳴らすのも一仕事。店では知識豊富なオーディオのプロが、真空管アンプを始めオーディオ機器を厳選してセッティング。半世紀以上前のスピーカーともなるとそろそろ寿命が危ぶまれるが、状態は上々で瑞々しい音を店内に響かせている。豊かな低音を伴って演奏のディティールを繊細に再現、まろやかに全体を包み込む空気感が素晴らしい。長く聴き続けても音疲れしない。むしろスッキリするあたりもさすがである。

日本でパトリシアン700が完璧な状態で使用されているのは、現在この店くらいだという。ロケーションといい、とんでもないカフェである。

店内で普段流す音楽のソースはBluetoothやCD。しかしレコードを掛けるとより本領を発揮することもあり、毎週水曜にレコード鑑賞会も開催、好事家が地方からも集まってくる(13時30分〜18時)。パトリシアン700はジャズや小編成のクラシックの再生にことに秀でているが、鑑賞会では掛けるジャンルに縛りはない。鑑賞会を主催しているのは中山新吉さん。オーディオカフェ「音の隠れ家」も開いていたオーディオのプロで、名だたるジャス喫茶の店主と交流を持つ、いぶし銀のジャズ粋人である。『Café PA•TRI•CIAN』の音響設置もオーナーと交流ある氏が手がけた。

中山新吉さん。
中山新吉さん。

鑑賞会では中山さんが、おすすめLPを解説ともども流してくれることも。ものやわらかな口ぶりと、時に知られざるくせ者ジャズ、時にクラシックなどなど、幅のある熟練のレコード選曲がこれまた楽しい。ちなみに店はガラス張りながら防音効果抜群で外への音漏れ対策も万全。なので音量に気兼ねなく没頭できる。

こだわりのコーヒーからペルー料理まで充実

代理店を本業とするオーナーが、さる縁で保管していたこのスピーカーの活躍の場を作りけたいと発起、中山さん尽力の元誕生したのが『Café PA•TRI•CIAN』である。ゆえに店名にもなっている。だが、そこまでこだわっていてもジャズ喫茶のような、沈黙の支配する敷居の高い店ではない。レコード鑑賞会やコンサートなどのイベントを除けば、音楽は高音質なBGMに徹して音量は控えめ、おしゃべりの邪魔にもならない。加えて飲食もヘルシーであることに重点を置いた、こだわりの品揃え。オーディオ抜きでも十分魅力がある。

まず営業時間からして8〜22時、そして無休と使い勝手がいい。地元とのつながりを重んじ、コーヒー豆は1962年創業で自家焙の販売専門店『浅草ツルヤコーヒー』のロースト深めなペルー産。トーストやサンドイッチ類は1950年開業の老舗町パン『テラサワ』のパンを使っている。どちらも下町の日常食のレベルの高さにうなさられる。両方とも味わってみたいなら、午前ならモーニングセットがおすすめ(11時30分まで)。

3種類あり、上写真のものはCセット1650円。テラサワの食パン+アボカド+カフェ自家製季節のジャムとキャロットラペ、キヌアサラダというヘルシーな構成。トーストした食パンの適度な食感と毎日食べても飽きのこない(であろう)、控えめなコクと旨味、自然な味わいのジャムとの取り合わせは食べてみる価値あり。

昼時ならツナ入りキャロット+食パンのキャロットサンドのセット1650円がいい。スタッフに料理学校の名門ル・コルドン・ブルーの卒業者もいるので、味わいは本格的。

紅茶も横浜の紅茶専門店『MITSUTEA』のハイクオリティーなスリランカ紅茶を使用、隙がないぞ。

さらにこの店ならではのメニューが、ペルー料理のアヒ・デ・ガジーナ1100円だ。若き店長・佐藤エルサさんは父親がペルー人で、幼少期からなじんでいるペルー料理をメニューに盛り込んだ事による。ペルー特有の黄唐辛子ペーストで鶏ムネ肉を煮込んだものをライスで食す。唐辛子を使っていてもほぼ辛みなく、クリーミーな味わいが新鮮。印象としては日本のホワイトシチューに近い。

ペルー系だと伝統的カクテルのピスコサワー1650円も味わえる。ペルー原産のブドウを素材とする蒸留酒をベースにした、ほろ苦い酸味が魅力のさわやかな一杯。料理にも合うし、昼から飲みたくなる。

他にもタピオカ粉とパルメザンを使い店内で焼き上げるポンデケージョ880円、スペルト小麦と甜菜(てんさい)糖を使った深味あるキャロットケーキ660円など、ビーガン対応、グルテンフリーの要素を盛り込んだメニューを揃える。品数をさらに増やしていくそうで、店でも使用している食材の販売なども検討中。

アヒ・デ・ガジーナ。
アヒ・デ・ガジーナ。
キャロットケーキ(手前)とスリランカ紅茶。
キャロットケーキ(手前)とスリランカ紅茶。
店長の佐藤エルサさん。
店長の佐藤エルサさん。

オーナーはジャズライブをはじめイベントの機会も増やし、グローバルで多彩な場所に育て上げていきたいという。

このエリアの今後の発展を含めて、大いに期待したい攻めの大人カフェなのである。

住所:東京都台東区浅草6-25-9/営業時間:8:00〜22:00/定休日:無/アクセス:私鉄・地下鉄浅草駅から徒歩10分

取材・文・撮影=奥谷道草