チェーン店が好き

私は地元が札幌なのだが、札幌に住む友人の娘ちゃん(中学生)が、私に憧れているらしい。その理由は、「東京のフリーライターってかっこいい」というものだ。

それを聞いていたたまれなくなった。「東京のフリーライター」という言葉からイメージする女性像はかっこいいかもしれないが、私自身はぜんぜんかっこよくない。たしかに、オフィスカジュアルを着て、小難しいビジネス用語を使って取材をしているときの私は少しだけかっこいいかもしれない(そういう記事もけっこう書いている)。けれど取材がない日は、すっぴんで部屋着の上に半纏を羽織り、築50年以上の団地の一室で黙々と執筆している。収入は同世代の正社員より低いし、フリーランスだから仕事が少ない月もあるし、大人なのにぜんぜん安定していなくてかっこ悪い。

仕事だけではなく、プライベートもまったく華やかではない。地方に住んでいる友達には「東京は面白いお店やイベントがたくさんあっていいな~」と言われるけれど、私は出不精なので、メディアで紹介される話題のお店には行かない。イベントもリアル脱出ゲームも行かないし、ディズニーランドだってもう10年くらい行っていない。

じゃあどこに行っているのかといえば、もっぱらファミレスや居酒屋などのチェーン店だ。チェーン店はいい。一人で気楽に入れるし、人を誘っても嫌がられることがないし。普段はオシャレなお店を予約してくれる編集者の友人も、私が「夜のデニーズで恋バナしませんか?」と誘ったら、大喜びでやって来てパフェを食べていた。

この連載は、「チェーン店」を切り口として、41歳バツイチフリーライターの私のリアルな日常を描くものだ。かっこよくはないけれど、「東京砂漠」という言葉を使うほどには寂しくも虚しくもない、たまにちょっと楽しい平凡な日常。たぶん多くの人が、そんな日常の中を生きている。

前作の連載を終えてからのこと

私は2025年4月までこの『さんたつ by 散歩の達人』で、「やがて、思い出になってゆく」というエッセイの連載をしていた。当時からの読者のために少し近況報告をしたい。

4月のある日、推しているアイドルグループの仙台公演を観に行った日に、「やがて、思い出になってゆく」の最終回が公開された。3年半も続いた連載だった。半年ほど前から「タイミング的にそろそろ区切りをつけよう」という話が出てのことで、私にとっても満足のいく最後だった。

けれど、楽しみにしていたライブと3年半続いた連載が同時に終了したことで、私は燃え尽きてしまったらしい。その日からは何をしても楽しくなくて、「なんだかな~」という日々が続いた。

ぼんやりと過ごしているうちに5月になり、noteで「創作大賞」というコンテストがおこなわれることを知った。気力は低迷していたが、「離婚から2年が経ったし、新しい恋を見つけるまでの過程をエッセイに書いて応募しよう」と思い立った。となると、新しい恋を見つけなくてはならない。私は、重い腰を上げてマッチングアプリを始めた。

すると、ビギナーズラックで恋人ができた。元夫と15年一緒にいたので、恋人ができるのは17年ぶり。お互いに大人だから、いい距離感でお付き合いしている。創作大賞は獲れなかったが、副産物的な幸せを得られたので、勇気を出してマッチングアプリを始めてよかった。

そんな中、『さんたつ』の担当編集さんから「食をテーマにした新連載を始めませんか?」と声をかけていただき、今、この原稿を書いている。

連載のコンセプトと、「東京チェン飯diary」というタイトルは私が考案したものだ。私は文体が淡々としているからこそ、タイトルだけでもポップにしたかった。

取材帰りの日高屋は染みる

さて、話をチェーン店に戻そう。

そもそも私は外食をあまりしない。理由は単純で、家の近くに飲食店がないからだ。友達と出かけたときか、取材の帰りが遅くなったときしか外食をしないので、頻度は月に2~4回といったところか。

結婚していた頃は、取材帰りに外食をすることはなかった。夫が家で料理を用意して待っていてくれたからだ。しかし、4年前に元夫と別居してからは、取材の帰りに駅のそばの日高屋に寄るようになった。町田には日高屋が3店舗あるが、行く店舗は決まっている。

日高屋は関東のみで展開しているチェーン店で、一言で言えば「安くて一人客も気軽に入れる中華屋さん」。ラーメンも餃子も炒飯もニラレバもビールもあるし、おつまみもさまざまな種類がある。かと言って飲み会をするには店舗が小さく、「みんなでワイワイ」という雰囲気ではなくて、一人で飲んでいるおじさんが多い。昔ながらの安心感があるというか、デートというよりは一人や気心の知れた友達と行くのに向いている。

しかし、意外なことに女性の一人客も多い。私は取材にはロンシャンのバッグを持って行くのだが、同じバッグの女性と席が隣り合ったことは一度や二度ではない。服装からしても、おそらくは会社員だろう。ロンシャンを持って出勤し、遅い時間に日高屋で夕飯を取って帰る。そんなライフスタイルの女性が、この東京にはどれだけいることか。

味については、餃子はおいしいと思う。野菜炒めや炒飯などの一品料理もおいしい。ラーメンは親しみやすい味だ。レモンサワーはさっぱりめで、おつまみ系は味がしっかりめなのでついついお酒が進む。

日高屋を知ったのは専門学校生のときで、御茶ノ水駅の近くに日高屋があった。しばらくして別の街でも同じ看板を見かけて、「あぁ、チェーン店なんだ」と思ったのを覚えている。初めて入ったのは大人になってからで、元夫と、乗り換えの間に慌ただしく中華そばを食べた。そんな感じで、私にとって日高屋は長いこと「知ってはいるけど特に愛着のないチェーン店」だった。

私の中で「取材帰りの日高屋」が定番化したのは、ある取材がきっかけだった。人気VTuberさんがゲスト出演するオンラインイベントがあり、私はイベント後のVTuberさんへのインタビューを担当した。VTuberさんはリモート出演だが、私や編集さんは渋谷のスタジオに出向いてイベントを観覧し、そのあともパソコン越しにインタビューをおこなう。

その日は土曜日だった。ここ数年、週末の渋谷はカオスだ。スクランブル交差点では外国人がこぞって動画を撮影し、ハチ公前では地下アイドルたちが純朴そうな青年を捕まえて長々と立ち話をしている。取材自体は楽しいしそこまで疲れないのだが、それが週末の渋谷でおこなわれることで、私はかなりの気力を奪われていた。

取材を終えて編集さんと別れ、渋谷から井の頭線に乗り、下北沢で小田急線に乗り換える。ヘロヘロになって町田に着く頃にはもう終バスが出発したあとで、「どうせタクシーで帰るならごはん食べてこう」と、何も考えずに日高屋に入った。

ビールと餃子で自分を労いながら一息つく。冷たいビールと優しい味の餃子が、疲れた心に染みる。思わず目を閉じると、渋谷のカオスや取材がうまくいった喜び、「交通費、電車の分は出るけどタクシー分は自腹だろうなぁ」などのさまざまな思いが脳裏を交錯する。生きている、という感じがする。

気付けば時刻は23時30分を越えていて、慌ててワイヤレスイヤホンを耳に押し込み、radikoで『SixTONESのオールナイトニッポン サタデースペシャル』を聴く。田中樹くんの軽妙なトークに小さく笑ったりしつつ、次は何を頼もうか、席に設置されたタブレットを操作する。

渋谷のスタジオでのオンラインイベントは4カ月にわたって月1で開催され、私はそのたび、週末の渋谷のカオスに揉まれては日高屋で癒やされた。イベントは日曜におこなわれることもある。そんな日は日高屋でビールを飲みながら、radikoのタイムフリー機能を使って『安住紳一郎の日曜天国』を聴いた。

それからというもの取材帰りの日高屋が癖になり、他の取材の帰りにも行くようになった。前は餃子をよく頼んでいたが、最近はもっぱら「野菜たっぷりタンメン」を頼む。あっさりした塩ラーメンの上に、キャベツ・もやし・にんじん・ニラ・少しの豚肉の炒め物がのっているこのメニューは、こんなに体によさそうなのに、食事管理アプリ「あすけん」に入力したところ800kcal以上もあって仰天した。

「野菜たっぷりタンメン」はちょっとしょっぱいけれど癖になる味で、私はこの野菜炒めの部分を自宅でよく再現して食べている。

「一人で生きられそう」は私にとって褒め言葉

若い女性の編集さんに「取材のあと、よく日高屋で一人飲みするんです」というと、「かっこいいですね!」と言われたが、別にかっこよくはない。それは、夜遅い時間の日高屋の、あの枯れた雰囲気を見ればわかるだろう。あんなのは、私が憧れていた東京ライフではない。

けれど、取材のあとに日高屋でごはんを食べていると、「私、一人で生きられるようになったんだなぁ」としみじみ実感する。悪くない実感だ。

アイドルグループ・Juice=Juiceの楽曲に『「ひとりで生きられそう」って それってねえ、褒めているの?』というタイトルの曲がある(名曲なのでぜひ聴いてみてほしい)。若い頃の私はメンタルが不安定で寂しがり屋で、世の中を生き抜く能力も低くて、「自分みたいな人間は一人じゃとても生きられない」と思っていた。一人で生きていける女性に憧れつつも、自分には無理だと諦めていた。23歳のときに元夫と出会って、彼と一緒に生きていく道を選んだときは、「これで一人じゃなくなった」とホッとしたものだ。

けれど、いろいろあって元夫と別居して一人暮らしを始めて、「あれ、私って意外と一人で生きていけるのでは……!?」と思った。その思いは希望の色をしていた。

一人は寂しい。けれど、まったくもって惨めではない。一人で生きられることは自由であり誇りだ。「一人で生きられそう」は私にとっては誉め言葉だ。

元夫の手料理は大好きだったし、彼には今も感謝している。けれど、彼の手料理よりも、取材帰りに食べる日高屋の野菜たっぷりタンメンのほうが、「自分の力で生きている」味がする。

こんな人生も悪くないんじゃないかと、私は思っている。

文・写真=吉玉サキ(@saki_yoshidama

今まで、新橋について書くのを避けてきた。思い出すのも嫌だったからだ。
2022年12月30日、年の瀬の常磐線・磯原駅に人の姿は少なかった。改札前のベンチに男性が1人腰かけていたので、私は誰もいない窓辺までスーツケースを引きずっていき、母に電話をかけた。「今、磯原駅。さっきまでKさん(夫)の実家にいたんだけど出てきちゃって……。これから町田に戻る。明日、札幌行きの航空券を取ったの。実家で年越ししていい?」「もちろん。あなたが町田で1人で泣いているより、実家に帰ってきてくれたほうがよっぽどいいわ」駅に来る前に事情をLINEしていたせいだろう、母はすんなりと飲み込んでくれた。通話を終えて、改札前の大きなベンチに座る。どうしてこんなことになってしまったんだろう。
先月、この連載をお休みさせてもらった。書けなかったのだ。舞台となる街は決まっていたものの、どうしても内容を決められない。なぜなら今回が最終回だからだ。夏頃から担当編集氏と相談し、「最終回はふたたび今住んでいる町田を舞台に、現在とこれからのことを書く」と決めていたものの、最終回だと思うと肩に力が入ってしまい、具体的に何を書いたらいいのかわからなくなった。