よじょう(ガクテンソク)

1981年生まれ、兵庫県宝塚市出身。本名・四条和也。国分寺歴2年。2005年、中学時代の同級生である奥田修二と「学天即(のちにガクテンソクに改名)」を結成。2023年に東京進出し、『THE SECOND 2024』で優勝。2021年には狩猟免許を取得し、「限りなく鹿に近づける」という特殊能力を開花させた。

絶妙な距離感が生む笑い

——国分寺に住まれたのはいつからですか。

よじょう 東京出てきてすぐなので、2023年の4月からですね。

——『THE SECOND』(以下、セカンド)で優勝された時は、国分寺がネタにもなっていました。

よじょう 僕がこっちに引っ越してきた時、先に東京にいる芸人からは「なんでそこなん?」「遠いで」とか言われてて、めっちゃいじられたんですよ。吉本のイベントで漫才する時も「僕国分寺に住んでます」って何の気なしに話したら、思いのほかお客さんがザワついたりして。僕ら東京の土地勘ゼロだったので「え、そういう地域なん?」みたいな。

——そういう地域ではないですが(笑)。

よじょう 芸人が東京に出てきて一発目に住む街ちゃうやろっていう笑いですよね。そこで相方の奥田が「この地名っておもろいんや」って気づいたのか、そこからネタになった感じですね。僕もしばらく経ってからようやくその意味が分かった感じです。

——国分寺は住みやすいすてきな街ですが、確かに各劇場に行くのとかはちょっと大変かも。

よじょう 新宿までならまあ2、30分ですけど、ほかはやっぱり遠い。武蔵野線で幕張までは1本で行けるしわりかし座れるんですけど、1時間半以上座れすぎてしまうので、腰痛の原因にもなります。

後がない東京進出を癒やした「夏みかん」

——実際に国分寺に住んでみてどうでしたか。

よじょう めっちゃ良かったです。たぶん自分はめちゃくちゃ都会だと合わないんですよ。大阪時代は僕、甲子園の方に住んでましたし。少し郊外のほうがしっくりくる。

——そもそもガクテンソクさんが東京に来るきっかけって何だったんですか。

よじょう いずれ東京に行ってたくさんテレビに出たいという気持ちはどんな芸人でも持ってるはずなんですけど、大阪である程度飯食えるようになると、それもだんだん薄れてくるんです。僕らもいずれ行きたいなと思いながら、いざもう40になってしまったので。このタイミングで行くしかねえなと。大阪にお世話になってるけど、東京で何かしらを得て、また大阪に還元できたらいいなって思ってました。スタッフには「なんで行くんですか。大阪の劇場で飯食えてるのに」って止められましたけど、その気持ちは変わらなかったですね。

——安定を捨てて東京にやってきた。

よじょう ほんまにそうですね。もしセカンドなかったら、もうガリガリになってるんじゃないですか。東京に来た時ちょうどセカンドが始まったんですけど、初年度はグランプリファイナルに残れなかったんですよ。でもその時幕張の劇場の支配人がすごく良くしてくださって、劇場にめっちゃ出してくれた。「大宮セブン」ってあるじゃないですか。僕ら勝手に「幕張ワン」って自称してました(笑)。

——大阪でのお仕事をしながら?

よじょう 大阪の仕事はほとんどなくなりました。それは行く前に言われていて。東京行くといったん大阪の仕事はなくなるよって、先輩方に。ほんまにセカンド取れなかったらと思うとゾッとします。で、今は大阪の劇場にまた呼んでもらえるようになりましたから。

——ご家族は国分寺での生活をどんな風におっしゃっていますか。

よじょう 楽しんでるみたいです。ほんまにのんびりできるって。畑も多いし、かといってのどかすぎない。大学があるので学生も多くて活気ありますし。めちゃくちゃ都会でもないし、田舎でもないし、ちょうど混ざって住みやすい。あと僕の体感ですけど、ちょっとだけ人が優しい気がしますね。

——人が優しい。

よじょう こっちに越してきてすぐ家の近所を歩いてたら、民家の前に山盛りの夏みかんが積まれてあって。貼り紙に「採れすぎたんでよかったらお食べください」って書いてある。大阪でもそんなの見たことないです。タケノコも自然と生えてるし、誰も収穫してない栗の木とかあるし、野菜の無人販売所もある。のんびりとしてて優しい。

——よじょうさんは狩猟の免許を持ってらっしゃるんですよね。

よじょう コロナ禍でやることほんまなくなってしまった時、たまたま見たテレビで狩猟の番組やっててちょっと興味持ったんです。ほんで免許取ってみようかなと。国分寺は山梨近いじゃないですか。特急に乗ったらすぐ山梨の射撃場に行けるのもいい。

——よく芸人さんはちょっと無理して高めのマンションに住んでモチベーションにするといいますが、こうしてお話しているとそういうギラギラした野心を全く感じません(笑)。

よじょう 俺あんまないんですよね、野心。欲があんまりない。ほんまに飯食えて住むとこあったらそれでいい。この間、メッセンジャー黒田さんのYouTubeに出させてもらったんですけど、コンビとしてちょうどバランスいいって言われました。両方ガツガツしてもあれやしなって。やっぱバレてるんですね(笑)。

——小さい頃からそういう性格でしたか。

よじょう そうですね。マイペースってずっと言われてましたね。あまり芸人には向かないタイプだったかもしれない。ガツガツいくのは苦手っちゃ苦手です。

——芸人やってて良かったなって思うのはどんな時ですか。

よじょう 楽屋がやっぱ楽しいですよね。人がおもろいので。芸人っていい人ばっかりなんですよ、結局。仕事も漫才も楽しいですけど、周りの芸人と話してるときに一番喜びを感じてるかもしれない。僕、兄ちゃんと妹がいるんですけど、兄妹たちの同僚や友達エピソードを聞くと「あんまおもんないな」って思ったりします。

——比べちゃダメです(笑)。でもいい人が寄ってくるというのはよじょうさんのお人柄の気もします。ケンカすることってあるんですか。

よじょう 俺、怒ったことほぼないんちゃうかな、ほんまに。中学生ぐらいの時に妹とケンカしたとか、それくらい。コンビでのケンカもあんまりないです。奥田が細かくブワーって言うタイプなんで、それに合わせてもしんどくなってくるんですよ。中学時代から一緒にいて、もうお互い40代半ばになってきて、ほぼほぼ何にもないですけどね。

国分寺最大にして最高の魅力とは

——ストレスが溜まったときは?

よじょう 近所を犬連れて散歩します(笑)。国分寺にはでっかい公園があるので。武蔵国分寺公園とか、この辺の道もすごく風情があるので、散歩してると気が紛れます。春は武蔵国分寺の跡地の桜がライトアップしてめっちゃキレイです。

——なんでしょう、よじょうさんはなぜか作家とか映画監督の雰囲気があるんですよね。

よじょう 僕のうちの近くに太宰治さんが行きつけだった『若松屋』という鰻屋さんありますよ(笑)。ピースの又吉さんは太宰さん好きじゃないですか。その店には又吉さんのサインが飾ってあります。僕もちょくちょくその鰻屋さん行くんですけど、まだサインを求められたことはないです。

——ぜひこの号を読んで、『若松屋』さんによじょうさんのサインが飾られますように(笑)。

よじょう あとよく行くのは、コロッケの『丸愛』さん。おじいちゃんがやってるんですけどめっちゃうまいです。昔からやってる地域密着のお店です。

——国分寺でお酒を飲むこともありますか?

よじょう ありますよ。駅周辺ですけど、奥さんとよく飲んでます。ネタを考えに図書館にも行きますし、そう考えるとだいぶ国分寺を満喫していますね(笑)。

——よじょうさんが東京で果たしたい夢ってなんですか。

よじょう そうですね……もちろん芸人なりたての頃は「ダウンタウンさんみたいになりたい」という夢もありましたけど、土台才能がね、違うので。でもどんな風になっても漫才だけは続けていきたいなと思います。

——街の雰囲気とご自身の醸し出す空気がこんなにもマッチしているのも珍しいんじゃないかと思います。あらためて、国分寺という街の魅力を教えてください。

よじょう そうですね。自然も多いし、適度に都会ですし、人も優しい。でもほんまにほんま、国分寺でよかったなと思うのは……中央線の特快が止まるところです。

今回お話を伺った場所は……

ゆっくりとした時間が流れる憩いの場『おたカフェ』

お鷹の道沿いにあるカフェ。イベントも多数開催。「こくベジ」を使ったメニューが豊富で、11時30分~15時なら野菜と鶏肉のスープカレーのセット1200円など。そのほかの時間ではグラスデザート600円など。

住所:東京都国分寺市西元町1-13-6/営業時間:9:00~17:00(カフェは9:30~16:30LO、食事は11:30~15:00LO、チケット販売は~16:45)/定休日:月(祝の場合は営業、翌火休)/アクセス:JR中央線・武蔵野線西国分寺駅から徒歩15分

国分寺崖線の湧水を生かした庭園「おたかの道湧水園」

2009年開園の国分寺市立歴史公園。弘化5年(1848)築の本多家長屋門(市指定文化財)や七重塔模型が点在。武蔵国分寺跡資料館も併設。北側は国分寺崖線にかかり、湧水源など豊かな自然環境が楽しめる。

住所:東京都国分寺市西元町1-13-10/営業時間:9:00〜16:45/定休日:月(祝の場合は翌火休)/アクセス:JR中央線・武蔵野線西国分寺駅から徒歩15分

取材・文=西澤千央 撮影=鈴木奈保子
『散歩の達人』2025年9月号より