「神保町そのものが“レコードの街”だった」
神保町で生まれ育った中村保夫さんの音楽人生は、この街とともに歩んできた。「最初に買ったレコードは『黒猫のタンゴ』と『タイガーマスク』。幼稚園の頃、地元の『富士レコード社』、僕らは“フジレコ”と呼んでいたお店で買ってもらったんです」。小学生の頃はシングル盤が500〜600円。小遣いをはたいて月に1枚がやっとだった。
中学3年の頃にはディスコに足を運ぶようになる。バブル景気の直前、風営法の改正などの事情もあり、中高生たちが歌舞伎町のディスコに足繁(しげ)く通うカルチャーが生まれた数年間があり、中村さんもそこに居合わせていた。
「小学校の同級生とのクラス会の帰りに、そのままディスコに行ったんです。実際に通うようになると、そこでかかっている曲をどうしても家でも聴きたくなって」
ラジオやテレビで耳にしたディスコサウンドに憧れ、最初は「富士レコード社」などで7インチの日本盤を購入。12インチは貸しレコード店「ジャニス」で借り、気に入れば御茶ノ水にあった「シスコ」で買うのが定番コースだった。
神保町の中古レコード店にも足を運び、50円や100円のシングルを掘り当てていった。「神保町そのものが“レコードの街”だった。中古レコード屋を巡るだけで、毎日が新しい音楽との出合いでした」。
レコードの街・神保町から“神保町系”へ
「僕の中では、日本の歌謡曲もクラブでかかっていいはずだ、と思っていたんです」
当時は異端視されたが、かたくなに続けた結果、自らの感覚を「渋谷系があるなら、僕がやっているのは“神保町系”」と名付けた。
「地元・神保町で歌謡曲のレコードを買っていたところから自然に生まれた感覚。日本の曲だけで踊らせるスタイルがしっくり来たんです」
こうして“神保町系”というスタイルは、中村さんのDJとともに、この街から育っていった。
「アナログな街」で広がる音楽文化
神保町は古書店、中古レコード店、そして老舗の喫茶店が揃う“アナログな街”だ。中村さんはこう語る。「古本を探している人がレコードにも手を伸ばしたり、逆に音楽好きが古本屋をのぞいたり。そうやって文化が交差するのが神保町の面白さだと思います」。
やがて自身の出版社「東京キララ社」を立ち上げ、音楽書を手掛けるようになると、出版記念イベントが自然にDJパーティーへと発展した。出版とDJがつながっていく中から、「和モノ」を聴くシーンも生まれていく。
「イベントを行ったジャズバーでレコードをかけたら、和モノを入れた瞬間にすごく盛り上がったんです。『これは歌謡曲だけでやってもいけるな』と確信しました」
その後、「和モノ」を中心としたイベントを行い、その流れは普及し、昨今では日本語が乗った音楽がクラブなどでかかる風景は当たり前に受け入れられるものとなっている。
現在は、神保町で運営するスペース『RRR』を拠点に、誰でもDJで参加できる「オープンブース」を定期開催。さらに老舗喫茶『さぼうる』では昼下がりのDJイベントを行い、コーヒーやビールを片手に、有名DJの選曲を楽しむ試みを続けている。
「レコード屋も喫茶店も個人店主の色が強くて、顔なじみになれば会話が生まれる。音楽好きが集まるには最高の環境だと思います」
また神保町には、他の街ではあまり見掛けないようなマニアックな店も多い。
「知らない曲を安く買って大当たりすることも多い。そういう偶然の発見と広がりは、ネット検索では絶対に味わえない。神保町で育んだ“掘る感覚”の延長ですね。あと、かつてはジャズ喫茶もたくさんありました。僕も高校生の頃、普通の喫茶店だと思って入ったらジャズ喫茶で、店内の全員がコーヒー片手に無言で音楽に耳を傾けていて驚いたことがありました。あれは“音楽の聴き方”を教えてくれる経験でしたね」
中村さんは神保町を「少し立ち止まって、後ろを振り返りながら歩く街」と表現する。「東京には最先端を追いかけて走り続ける街もありますよね。でも神保町はその対極。風景も大きく変わらず、懐かしさが残っている」。だからこそ、せかせかせず、ゆっくりものを楽しむ人にぴったりな街だという。
「古本屋やレコード屋を回って、喫茶店でひと息つきながらレコードを眺める。そんな過ごし方ができる街は東京でも貴重でしょう。僕はレコードを通じてこの街に育ててもらった感覚があるし、ここで音楽を聴いてもらいたいという思いでイベントを続けています。古いものを愛でる文化は、必ず次の世代に伝わるはず。神保町はその懐の深さを持った“音楽の街”だと思います」
(主に)毎週金曜開催!「RRR FRIDAY」
東京キララ社のオフィスでもあるイベントスペース『神保町RRR』では、さまざまなDJによるプレイをはじめとしたイベントを定期開催。詳細は公式SNSにて随時更新。Instagram:@jimbochorrr
取材・文=パンス 撮影=加藤熊三
『散歩の達人』2025年10月号より





