尾久三業の中心的存在だった『割烹熱海』
荒川区の西側に位置する西尾久。都電荒川線(東京さくらトラム)が路面を走り、隅田川や荒川に近い。子供たちが集まるあらかわ遊園もあり、のんびりとした雰囲気が漂う地域だ。この地域には『大阪屋』というおでん種専門店があり、さらにひと駅離れた場所には『九州屋蒲鉾店』が営業している。
かつて尾久と呼ばれたこの地域は大正時代にラジウム鉱泉が湧き出たことによって遊興地として発展した。周辺には多くの料亭が営業し、芸妓や労働者でにぎわっていたという。あらかわ遊園もかつては演芸場や大浴場が集まる施設だった。
『割烹熱海』はその中心というべき存在の店だった。大正2年(1913)に都電(王子電気軌道)が開通したことをきっかけに、創業者である根岸要之助氏が尾久を熱海のような歓楽街に発展させようと計画し、温泉を掘り、大正6年(1917)に割烹旅館を開業した。
芸妓組合も根岸要之助氏が発足し、尾久は瞬く間に三業地(旅館、芸妓、待合で三業)へと発展していった。実は「東京おでんだね」の祖母は芸妓として尾久で働いており、個人的に縁の深い場所である。昭和11年(1936)に起きた阿部定事件の待合「満左喜」は『熱海』の親戚筋だという。
『熱海』は関東大震災のあとも発展し続けた。陸軍の関係者や政治家も多く訪れ、2000坪の敷地には300坪ほどの池があり、屋形船を浮かべて客をもてなしていたという。
戦時の空襲により建物は消失してしまったが、2代目の女将であった根岸澄子氏が料亭を復活させ、長きにわたって西尾久の顔として人々に愛され続けてきた。店内に飾ってある「熱海」のレリーフは、東京大空襲で唯一焼け残った鬼瓦だ。
現在の『熱海』はカウンター席10席と4名の個室のみの営業となっている。2021年2月に閉業するも、12月から規模を縮小して再オープンした。
3代目社長の根岸昌彦さん自ら料理を手掛けており、カウンター越しに一流の職人技を堪能できる。一品ずつ食材や調理法を解説してくれ、質問に丁寧に答えてくれる。以前は多くの職人を抱え、何百人という顧客を一度に迎えた根岸さんにじっくり接客していただける。客数を絞ったからこそ味わえる贅沢なひとときだ。
献立に目を移すと「おでん」の文字を確認できた。おでん会席は自家製のおでんだけでなく、前菜やお造りなどを楽しめる。実はおでん会席は常連客に向けた献立であったが、『熱海』のInstagramで紹介されていたため電話で申し込んだ。根岸さんには快く受け付けていただいたが、数に限りがあるので事前の相談は必須となる。
食前酒とビールを味わっていると、絶妙なタイミングで最初の料理が運ばれてきた。お箸染は「柿と蓬麩(よもぎふ)の胡桃和え」で、美しい柿の器に盛り付けられていた。柿の甘みとヨモギの香り、クルミの香ばしさが絶妙に絡み合い、芸術品のような味わいとなっている。紅く染まった柿の葉も美しく、目と舌で実りの秋を堪能できる。
八寸も秋の季節を存分に堪能できる組み合わせとなっていた。ちなみに八寸とは、四方が八寸(約24cm)の杉の角盆に盛り付けられた料理のことで、前菜や口取りに相当する。奥から時計回りに鮟鱇(あんこう)肝ポン酢ジュレ掛け、揚げカシューナッツ柿玉子、車海老黄身寿司、エシャロット彩り揚げもろ味噌となる。
ひと品ごとに職人のこだわりが隅々に韻きわたっており、創造性に富んだ味わいに驚きとうれしさが交互にこみあげてくる。根岸さんのつくる料理や発する言葉には職人の矜持を感じるが、決しておごることなく、味わう人の気持ちを第一に考えていることが伝わってくる。木耳とうずら玉子、茶蕎麦を使った柿玉子の細工に感心していると、根岸さんは「日本料理では一般的な細工」なのだと丁寧に解説してくれた。
食材も一流、技も一流、遊び心にも一切の妥協を許さないが、それに加えて顧客に寄り添う姿勢に学ぶことが多くあった。根岸さんと相対していると「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉が思い浮かんでくる。
お造里も盛り付けが素晴らしく、しばらくじっと眺めていたくなる。わさびにも細工が施してあり、崩すことに躊躇してしまう。刺し身は本鮪、天使の海老、真鯛昆布〆、彩り妻が並ぶ。
本鮪と海老は土佐醤油でいただくが、真鯛は煎り酒が用意される。煎り酒とは日本酒に梅干しや鰹節などを入れて煮詰めたもので、醤油が普及する前によく利用された。まろやかであっさりとした口当たりは白身魚や貝類の刺身に相性がよい。『熱海』では時間をかけ、一升のお酒を二合ほどまで煮詰めるという。
刺し身のおいしさは言わずもがなだ。細部まで創意工夫が行き渡り、それぞれの個性が存分に引き出されていた。
和食料理人が生み出すこだわりのおでん
そして今回の目玉であるおでんの登場だ。カウンターにコンロとおでん専用の鍋が用意される。お箸染からお造里まで素晴らしい料理ばかりだったので、おのずと期待感は高まる。
鍋のなかには練り物以外のおでん種が複数入っており、どれも食べ頃になっている。ちくわぶが入っているのも東京の下町の風情を感じられてうれしいところだ。
コンロは煮崩れないように弱火にしているところも気配りを感じさせる。おでんはぐつぐつ煮立てるイメージがあるが、丁寧に扱ってこそ最高の状態で楽しめる。どんな料理にもいっさい手を抜かない、熟練の料理人の矜持が感じられる。
練り物は別皿に盛り付けられて提供される。すべて手づくりと聞いていたので、これだけの種類を揃えているとは思わなかった。手前は車海老真薯、帆立菊花蒸し、雲丹入りはんぺん、奥は蟹さつま揚げ、銀杏天、蓬麩天、牛蒡巻となる。
練りからしのほかに柚子味噌もつけだれとして提供される。柚子の皮が入っており、香りが非常によい。練りからしも粉から溶いたものを使用しており、つーんと鼻に抜ける辛さがさらに食欲を掻き立てる。
まずは鍋のなかのおでん種から味わっていこう。大根は厚めに切られており、口に運びやすいようにひと口大に切れ目が入れてある。こんにゃくはきめ細やかな隠し包丁が美しく、白滝は結び目が大きくなっており、汁をたっぷり含んでいる。
大根の切れ目に沿って箸を入れると、汁が中心まで染みていることがよくわかる。煮込み過ぎによってくたびれておらず、大根の適度な食感とやさしいほろ苦さを残している。
お次は玉子と焼き豆腐、ちくわぶだ。どれもベストな煮加減となっており、ひとつずつ口に運ぶたびにその完成度に唸ってしまう。どれもおでんの主役になり得る存在だと再認識する仕上がりとなっている。おでん汁は鰹節と昆布の合わせ出汁だが、香りと旨味がしっかり感じられ、ぬくもりがありながらも透き通るような上品な印象を感じさせる。
「どのおでん種も素晴らしい」と興奮しながらおでんを味わっていると、おかみさんが「おでんに合いますよ」と日本酒を紹介してくれた。秋田県横手市の阿櫻酒造の「純米大吟醸 無濾過原酒 一穂積」は、おだやかな香りとやさしい味わいながら、ふっくらとした質感が感じられた。
日本酒を紹介していただいたおかみさんは丁寧で控えめな接客ながら、愛嬌があって老若男女に愛されるような魅力的な性格の持ち主だ。弾むような笑顔を浮かべながら、筆者の話に真剣に耳を傾けてくれる。彼女の接客も3代目の料理に匹敵する、『熱海』の大きな魅力だといえるだろう。
手づくりの練り物は鍋に入れて温めてもいいが、そのまま食べてもおいしい。むしろ、魚のすり身本来の味を堪能できるのでおすすめだ。練り物が別皿で提供されているのは、このような理由からだ。
練り物には帆立や蟹など、贅沢な具材がふんだんに使用されている。また、どれも魚のすり身の旨味が感じられるが非常に上品な味わいとなっている。フードプロセッサーなどを使わず、すりこぎとすり鉢で丁寧に擦り込まれているそうだ。揚げ蒲鉾は油の香りが素晴らしく、冷めても揚げたてのおいしさが味わえる。和食料理人の技術はこれほどまで高いとは、料理を口にするまで想像もしなかった。
はんぺんにはウニが擦り込まれており、濃厚な香りと味わいが口の中に広がっていく。すり身は真薯や揚げ蒲鉾と同様に旨味が強いが臭みはいっさいない。ほのかに紅い色合いは秋の紅葉を連想させる。
おでんを堪能したあとは、締めの稲庭うどんだ。コシと喉越しがよく、おでんの後でもするすると入る。デザート(水菓子)として運ばれてきたシャインマスカットと水玉マイクロトマトを使ったシャンパングラスゼリー寄せを堪能し、おでん会席はフィニッシュとなった。
尾久に遊興地を興し、100年以上の歴史を刻む『割烹熱海』。素晴らしき職人技が3代目の根岸さんに受け継がれ、それをカウンター越しに堪能できるのは極上の体験といえるだろう。
『熱海』には戦前からの常連客や親子3代にわたって通う人々が訪れるが、皆、『熱海』をこよなく愛しており、根岸さんやおかみさんも彼らをあたたかく迎えている。伝統に裏打ちされた極上の料理を提供しながらも、実家にいるようなぬくもりを『熱海』は与えてくれる。地元客でなくともぜひ一度訪れて、『熱海』の魅力を味わってもらいたい。
割烹熱海の基本情報
東京都荒川区西尾久3-19-3
03-3800-8853
定休日:月・火・水・木
営業時間:7:30~21:00LO
割烹熱海のWebサイト、Instagram
取材・文・撮影=東京おでんだね