タイの雰囲気や食文化を体感できる「都心のタイランド」
有楽町と内幸町のあいだに広がる日比谷エリアは、劇場や映画館が立ち並ぶエンターテインメントの街だ。明治時代には「鹿鳴館」や『帝国ホテル』などがつくられ、国際外交の拠点として発展してきた歴史もある。日比谷エリアの徒歩圏内に、世界各国の専門料理店が点在しているのは、そのためなのかもしれない。
地下鉄日比谷駅のA4出口を出てすぐの場所にある「第二日比谷ビル」。その10階に、1989年にオープンしたタイ料理店『シャム有楽町』がある。社長はタイの隣国・ラオスの出身で、シェフは全員タイ出身の方。そして店内の色鮮やかな装飾が異国感を演出している。
「テーブルやイスに『SiAM(シャム)』って彫ってあるんですけど、これらは手彫りのオーダーメイド。間仕切りや壁画も全部、タイの職人に彫ってもらったものなんですよ」
そう教えてくれたのは、社長の息子であり、同店の店舗責任者を務める福田さん。お名前も言葉遣いも、まるっきり日本人だが、「両親が外国人なので、日本人の血はまったく入っていない」とのこと。
「ぼくは日本の八王子で生まれて、八王子で育った外国人(笑)。血で言ったら、タイとかラオスのほうになりますね。だから一応タイ語で意思疎通は取れるんですけど、第一言語は日本語です」
日本で生まれ育ったとはいえ、福田さんの文化的なルーツはラオスやタイにある。当然、食文化も例外ではない。福田さんにとって「味噌汁はミソスープ」であり、「トムヤムクンとか漢方スープがお袋の味」なのだそうだ。
タイ人シェフが腕を振るう、旨辛メニューにハマる
『シャム有楽町』のランチセットには、ガパオやカオマンガイをはじめとしたタイの名物料理がズラリと並ぶ。6種類の創作メニューもあり、どれも気になる……。
今回は「辛いものが好きな方におすすめ」と福田さんがイチオシする創作メニュー、三段豚(さんだんぶた)のパッピッグア1320円をオーダー。さらにサイドメニューの鳥肉めん450円も注文して、ちょっと豪勢なランチをいただくことに。さっそくパッピッグアを調理するところを見せてもらった。
「パッピッグアの『パッ』は炒めるっていう意味で、『ピッ』は唐辛子、『グア』は塩。なので、豚肉を塩と唐辛子で炒めたものですね。もともとはバンコクの田舎料理で、コロナ禍のちょっと前ぐらいから、タイでも大ブームが起きたんですよ」
調味料は、塩、唐辛子のほか、胡椒、ニンニク、ナンプラー、オイスターソース、シーズニングソース、醤油など。また、しっかりとした歯応えがある豚肉の素揚げは、甘みのある豆のソースでコーティングしてある。
ご飯は、タイ地方でとれるインディカ米(=ジャスミンライス)。福田さんいわく「タイではご飯といったら、これしかない」とのこと。「パラパラしていて油と相性がいいので、肉になじみやすいお米ですね。食物繊維が豊富なので、便秘改善とかダイエット食として有用なんですよ」。
できあがったパッピッグアは、鳥肉めんと一緒に提供される。またランチセットなので、ミニサラダやデザート、スープ、コーヒーも付く。サイドメニューを含めると、かなりのボリュームだ。
まずはパッピッグアから実食。硬めに揚げた豚肉は、かみしめるほどに甘辛さと旨味があふれ出す。口に入れた瞬間は甘く、徐々に追いかけてくる辛さは、やや強めで、後まで持続するタイプ。これが心地よく食欲を刺激し続ける。ジャスミンライスのやさしい風味やパクチーの香りが、アクセントになっているのもいい。
続いては、鳥肉めんをすする。タイの米粉でつくられた細い麺「セン・レック」のツルツル&モチモチとした舌触りが印象的だ。トッピングの蒸し鶏は、生姜で炊いたもので、しっとり柔らかい食感に仕上がっている。
「鳥肉めんのスープは、鶏ガラスープに胡椒、ナンプラー、ニンニクオイルなどを加えたものです。すごいシンプルなんですけど、ナンプラーとニンニクオイルと、蒸し鶏の味わいが落とし込まれている、っていう感じですね」
ちなみに卓上の各種調味料で、味変をすることも可能。パッピッグアに乾燥唐辛子を、鳥肉めんにはナンプラーを、といった具合に、料理に合わせて活用したい。
同店のメニューは、福田さん親子とタイの料理人によって開発されている。本場の味を大切にしているため、タイ料理好きならハマること間違いなしだ。辛すぎるものや酸っぱすぎるものに関しては、マイルドに調整済みなので、タイ料理になじみがない人も一度は味わってみてほしい。
高級食材を使えばいいとは限らない、タイ料理の奥深さ
「タイという国が好きな人にアプローチできるような料理づくり」を心掛けているという福田さん。そのポリシーは、創業当初から変わらず受け継がれてきた。ところで、店名の「シャム」とはどういう意味なのか。
「タイの昔の国名は、サイアムともシャムとも言うんですけど、そこから取っています。創業当時のうちのコンセプトは、タイの高級料理店でした。でも日本の物価が高まりすぎて、タイの高級料理は、日本ではチープになっちゃったんですよ。いまもその状態ですね」
タイにも高級料理店はある。しかし高ければ高いほど、その料理はヨーロッパ風になっていく、と福田さんは言う。反対に「安ければ安いほど、タイの味になる」そうだ。
「たとえば、安い米粉麺に高級なエビを足したら、おいしくはなります。ですけど、それは現地の人間が食べているタイ料理じゃなくなっちゃう。タイはもともと裕福な国ではなかったので、その特色ある食文化はお金をかけて再現するものじゃない。安さこそ、新興国の持ち味なんです」
『シャム有楽町』は、タイという国の料理を提供するだけのお店ではない。タイという王国に根付く食文化の魅力を日本に伝える場所なのだ。ちなみにタイの人々は、生の唐辛子をかじりながらライスを食べるという。日本で言えば、お漬物みたいな感覚なのかも。
構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=上原純