まず、広瀬すずがヒロインを務めた『なつぞら』のあらすじをおさらい

最初に『なつぞら』がどんなドラマだったのかを、簡単に振り返ろう。

ヒロイン奥原なつ(広瀬すず)は、太平洋戦争で両親を亡くし、父の戦友柴田剛男(藤木直人)に引き取られ北海道に移住。幼馴染の山田天陽(吉沢亮)の影響で絵やアニメに興味を持ち、アニメーターを志し上京。東洋動画に入社し、上京から7年後には初の原画担当アニメーターとなる。そして、大沢麻子(貫地谷しほり)、坂場一久(中川大志)、神地航也(染谷将太)ら若手アニメーターとともにアニメ草創期を駆け抜ける……というストーリーだった。

スピッツの軽やかなオープニングテーマが印象的なフルアニメのオープニングも忘れられないが、アニメ業界の裏側が見られることからアニメファンからも人気を博した。昭和30年代中頃から昭和40年代のアニメ業界が事細かに描かれており、視聴者は日本アニメ文化とヒロインなつの成長を、自分がその時代に生きているかのようなリアルさを持って半年間に渡り体感できた。

なつが上京して最初に暮らしたのは、将来を夢見る街・新宿

そろそろ、なつ(広瀬すず)と散歩に出かけよう。このドラマは1946年(昭和21年)から始まるが、東京が舞台となるのはヒロインなつが上京しアニメーターを志す1950年代から。

まず行ってみたいのが、なつが1956年(昭和31年)に上京後、住み込みで働いていた“川村屋”。この店は、なつの幼馴染である雪次郎(山田裕貴)の父・雪之助(安田顕)が菓子職人修行した場所だ。雪次郎とともに、なつも“川村屋”で住み込みで働くことになった。カレーが名物だったこの店のモデルは、インドカリーの有名店「新宿中村屋」だ。

加えて、後になつが出会う茂木社長(リリー・フランキー)は“角筈屋書店”という本屋の店主だったが、こちらのモデルは「紀伊国屋」。中村屋も紀伊国屋も靖国通り沿いにある、今見ても「これぞ新宿」という風景の真っ只中に、なつはいたというわけだ。

しかし、当時の新宿は今と趣がだいぶ異なっていた。今でこそ商業都市、観光都市となった新宿だが、当時は「文化の発信地」の役割を担っていたのだ。1885年(明治18年)にJR山手線、新宿駅が誕生している。それでもこの頃は東京の東側、日本橋、浅草の方が元気だった。新宿にとって大きな転機が訪れるのは1923年(大正12年)。9月11日に関東大震災が南関東を襲ったのだ。新宿は被害が少なく、震災後に周辺地域の人口が飛躍的に増えたという。

昭和初期には前述の中村屋が喫茶部を作り、紀伊国屋も誕生している。『なつぞら』でもドラマの鍵となった「ムーランルージュ新宿座」ができるなど、繁華街として栄えてゆく。

戦後もすぐに闇市ができるなど復興が早く、なつが上京した1956年(昭和31年)の暮れには「新宿コマ劇場」が営業をスタートする。この頃は、今でいう高円寺や下北沢のように発信者になりたい若者たちの街で、寺山修司、唐十郎らアングラ演劇のトップランナーや、岡本太郎らアーティストたちも新宿に集っていた。

なつは後に、新宿路地裏にあった亜矢美(山口智子)のおでん屋“風車”に住むこととなるが、この店も飲み屋ながら文化人が集まるサロンとして描かれていた。アニメーターとして成長していくなつが、新宿という街で東京の生活をスタートさせたというのは、偶然ではないだろう。新宿は、若きクリエイターや野望を抱いた者たちが、将来を夢見るのに最適の街だったのである。

なつが働いた“東洋動画”は今の東映アニメーション

続いてなつと一緒に訪れるのは、彼女の職場となる“東洋動画”。こちらのモデルはその名前からもわかるように、「東映動画」。『東映アニメーション』として練馬区大泉に今もスタジオがある。

『なつぞら』では、“わんぱく牛若丸”、“神をつかんだ少年クリフ”と数々の作品が“東洋動画”で作られたが、これらも東映アニメーションの名作がモチーフだ。東映アニメーションは、日本の歴史、そして『なつぞら』を語るうえで外せない場所といえよう。

東映アニメーションの大泉スタジオは、西武池袋線大泉学園から歩いて15分ほどの場所にある。『東映アニメーションミュージアム』を併設しており、アニメの歴史を振り返られる場所としても有名だ。敷地内にリヴィンや無印良品などが入ったプラッツ大泉という商業施設があり、もはや一つの街と化しているが昭和30年代はまだまだのどかな風景が広がっていた。『なつぞら』の東洋動画の人々は毎日忙しそうに働いていたが、休憩時間はみんなゆったりまったりしていた。大泉という土地の持つ牧歌的な雰囲気も、彼らを癒やすのに一役買ったに違いない。

なつが入社後、色を塗る仕上げ課として参加したのが長編漫画映画“白蛇姫”だ。このアニメのモチーフは『白蛇伝』。日本初のカラー長編アニメで、声優陣には、かの森繁久彌の名前がある。この映画は、後に東映動画に入社する宮崎駿らに強い影響を与えたというレジェンド作なだけに、なつがまさに「日本アニメ草創期」のど頭から活躍していたことがわかる。

なつ夫妻が暮らした街、西荻窪を散策

最後になつと訪れるのは西荻窪。この街はなつが結婚後に“いっきゅうさん”こと坂場一久(中川大志)と結婚後に住んだ街だ。実は、杉並区は練馬区と並ぶアニメの聖地として知られている。荻窪と西荻窪の間には『東京工芸大学 杉並アニメーションミュージアム』がある。アニメーションの歴史に気軽に触れられる施設があるのは、今もアニメ制作会社が多数存在する杉並区ならではだろう。

ここから西荻窪方面に歩いていくと、閑静な住宅街が広がる。いっきゅうさんが「あなたの人生を作ります、傑作にします」と熱く語ったプロポーズシーンを思い出しながら、そうか2人はこんな素敵な街に住んでいたのかと思わず微笑んでしまう。

善福寺川を越えると、その先に大きな公園が。どんぐり公園の名で親しまれている「井荻公園」だ。なつといっきゅうさんが西荻に引っ越してきたのが1967年(昭和42年)。この公園はその3年後に開園されているから、なつは長女の優(ゆう)ちゃんを連れて遊びに来たに違いない。今も小さな子どもたちが公園中を駆け回り、元気な声がこだましている。緑いっぱいの西荻らしい光景だ。

そして、ここから歩いてすぐのところにあるのが「坂の上けやき公園」。推定年齢200年という大きなけやきが目印だ。西荻随一のパワスポともいえるこの地を、なつも訪れていただろう。なんてったって、けやきの合間から美しい「なつぞら」が見えるのだ。空を見上げながら、遠き北海道に想いを馳せていたかもしれない。

そして西荻窪といったらこの景色。最後は古き良き飲み屋街にも足を延ばしてみたい。

ドラマ後半でなつたちが働いたのは麻子(貫地谷しほり)が率いるマコプロダクション。隣町の吉祥寺にあったという設定だ。ここで『ルパン三世』をモデルとしたアニメ“三代目カポネ”などを作っていた。と、考えると、アニメ作りで忙しい合間をぬって、マコプロメンバーが西荻で一杯、アニメ談義に花を咲かせるなんてこともあったかも。西荻窪駅の象徴ともいえる老舗焼き鳥店『やきとり戎(えびす)』は1970年代前半に創業している。なつといっきゅうさんが2人で乾杯していたかも、なんて想像しながら飲んでいると偶然奥の席の若者グループがアニメトークをする声が聞こえてきた。

なつたちが育んできたアニメ文化は、確かに今の世に引き継がれているのだ。

文・写真=半澤則吉 参考文献=『連続テレビ小説 なつぞらPart1.2』(NHK出版)

半澤則吉
1983年生まれ。朝ドラ批評家・ドラマライター。幼少期よりNHKの連続テレビ小説、朝ドラに親しみ、2015年より朝ドラ批評家を名乗り活動。現在は双葉社「日刊大衆」などに寄稿する。『さんたつ』では町中華探検隊の一員として「町中華探検隊がゆく!」を連載中。