武士とも深いかかわりが。いいとこどりの赤味噌
現世の者達に人気のなごやめしであるが、我ら武士の文化とも深い関わりがある。
なごやめしといえば、味噌カツや味噌煮込みうどん。味噌が用いられることが多くあるわな!
これは、味噌が戦の陣中食としてよく食べられていたことが元となっておる。
味噌は長持ちする上にミネラルなる物や塩分が多く含まれておって戦で走り回って汗をかいた時に誂え向きなんじゃな!
徳川家康殿は味噌を重宝し、特に三河発祥の赤味噌を好んで食べておった。
故に味噌は戦国時代に大きく進化を遂げ日ノ本中に広まったとも言われておるわな。
他にも武田信玄殿が味噌のもとを携行させて行軍中に味噌を作る陣立味噌を考案したり、伊達政宗が日本初の味噌工場を作ったりと戦国武将の味噌の話は数多残っておる。
因みに名古屋の赤味噌は実に濃い味をしておるのじゃが、実は塩分量は白味噌や他の味噌よりも少ないんじゃ!
濃い味を楽しみつつ塩分も抑えられる、正にいいとこ取りの味噌といえよう。
きしめんの起源を知っておるか?
名古屋を代表する麺、きしめんは名古屋城の築城の折に作業人に振舞ったうどんを茹で時間の短縮のために薄く伸ばしたことが起源の一つとされておって、これまた武士の歴史と深い関わりがある。
その折に力がつくようにとキジの肉をのせておったことからキジめん、きしめんと名前がついたとも伝わっておる。
起源は諸説あるが、平たい麺は味がしみやすく濃い物好きな名古屋の民から好まれて、名古屋のご当地麺として定着したようじゃのう。
手羽先にひつまぶし……商人文化のもと発達した食
戦国時代には日本を代表する武士を多く輩出した尾張名古屋であるが、江戸時代になると交通の便の良さから行商人が集うたために商人の町として栄えた。
ひつまぶしや手羽先はこの商人の文化が元となってできたなごやめしじゃ!
ひつまぶしは、売り物にならない鰻(うなぎ)の端切れや大味なものをおいしく食べるために薬味を使ったり湯漬けにしたものが始まりとされておるし、手羽先は元々可食部が少なく客に出すことのなかった部位をまかないとして食べようとしたら存外美味で品書きに加えたら人気となったとも言われておる。
無駄をなくそうという商人文化によって生み出されたものと言えるわな!
利家推薦!夏バテに効く、なごやめし!
して令和6年。今年の夏はえらく暑いわな。
食欲もなく夏バテをしておる者たちも少なくないじゃろう。
そんな者たちにこの暑い夏にこそ食べてほしいのがなごやめしである!
汗をかいた時に良い味噌も然り、栄養価の高い鰻や手羽先も然り、他にも食欲そそる良き辛さの台湾ラーメンや台湾まぜそばなんかもあるで皆も挑戦してみてちょうよ。
最後に儂が薦めるなごやめしを、写し絵を載せて此度は終いといたそう。
そして、名古屋ではこの令和6年8月から11月15日まで「やみつき なごめしきっぷ」なる催しもしておる!食べ歩きにもってこいじゃな!!
王道のなごやめしは勿論、他にもあんかけスパや、名古屋みやげのかえるまんじゅうに現世風の手を加えた『ケロトッツォ』もあるで、皆の好みのなごやめしを見つけてみてな!
それでは次の戦国がたりで会おう!
さらばじゃ!!
取材・文・撮影=前田利家(名古屋おもてなし武将隊)