思わず唸る、香り高くて繊細な味のスープ
JR西日暮里駅から道灌山通りを西に下ること数分、和風で小じゃれた店構えの『麺屋 義』が現れた。ちょうど店の前を通りかかった人が、看板を見上げて「ここ、有名なお店だよね」と話している。
店内は、黒を基調としたシックな雰囲気。コの字カウンターに囲まれた厨房で、てきぱきと働くスタッフたちの無駄のない動きが美しい。券売機で食券を購入し、席に座って、カウンター内のスタッフに券を渡すというよくあるスタイルだ。
まずは王道かつ一番人気のメニューをと考えて選んだ特製醤油らーめんは、あっという間にやってきた。
その澄んだ見た目を裏切らないクリアな味のスープは、ひと口すすった後に腹の底から感嘆のため息が漏れる。鶏と魚介、それぞれの旨味がしっかりと効いていて、ほどよい歯応えのストレート麺ともよく合う。
トッピングは、ナルト、ネギ、海苔、そして肉厚のメンマに、2種類のチャーシュー。焦げ目が香ばしい豚バラの方は、箸でホロリと崩せるほどにやわらかい。目を白黒させながら味わった後、一見たんぱくそうな鶏の方も一口かぶりついてみれば、こちらはぎゅうっと肉汁が染み出てくる感覚があるほどしっとりとして、しみじみ頷いてしまうおいしさだ。
夢中になって食べ進め、スープを飲み干し、大満足で丼ぶりを置くと……おや? 丼ぶりの底に「ありがとうございます」の文字と、それをあらわす手話のイラストが。
味、香り、見た目、それぞれにしっかり気を配る
この店の店主である毛塚和義(かずよし)さんは、生まれつき耳が不自由な方。2006年から聴覚障害者だけのプロレス団体「闘聾門(とうろうもん)」を運営しており、代表も勤めていた。自分の店を持ちたいと考えるようになってラーメン学校に通い、2016年に『麺屋 義』をオープン。毛塚さんをはじめ、店で働いているスタッフもみな耳が不自由な方だという。店に問い合わせ用の電話番号がないのはそのためだ。券売機の上には麺の硬さの希望を伝えるための木札が置いてあり、それを食券と一緒に渡すシステムになっているなどの工夫がされている。
つまり、あの澄んだ味のスープは、毛塚さんが音のない世界で作り上げたもの。だからこそ至極繊細なバランスに仕上げられるのかもしれない……と妙に納得してしまう。
「味、香り、見た目。この3つに気をつけて作っています」と毛塚さん。自身が好きなのは濃厚魚介つけめんだったそうだが、店の開業時はシンプルなものからスタートした。そのひとつが、今回いただいた特製醤油らーめんだ。
スープに加える醤油だれは、4種の醤油をブレンドしてつくるというこだわりっぷり! なかでも、伝統海塩「海の精」を使用した生醤油を仕上げに加えているのが、鮮やかな風味の秘訣なのだそう。
また、山形県産の白醤油と沖縄県産の塩を2種類、さらに瀬戸内の塩もブレンドして魚介スープを合わせているという塩らーめんも、醤油に負けず劣らず妥協がない。さらに、どのメニューにも着色料や保存料、化学調味料は使用していないのもこだわり。小さな子供や体調を気にしているお客さんにも安心して食べてもらいたいという願いからだ。
大変なことは「いろいろありすぎて……」
お恥ずかしながら手話の心得がない筆者。メールや筆談で取材の対応をしてもらったのだが、毛塚さんもスタッフさんもとても朗らかで丁寧に対応してくれた。お店を利用する立場でも全く不便は感じられず、むしろ店内が静かで心地よいという声もあるほど。
しかし、毛塚さんがここに至るまでにはたくさんの苦労や試行錯誤があった。「本当は上野や新橋、田町あたりにお店を出したかったのですが、電話対応ができるスタッフがいないのは難しいと断られてしまって」。
現在の場所に店をオープンした後、最初は聴覚障害のある方やそれに関わるお客さんが多かったそう。だが、徐々にこのおいしさが口コミで広がり、このエリアのラーメンといえば名前の挙がる店になった。今、『麺屋 義』の味を求めてやってくるのは、サラリーマンのほか、カップルや女性も多いという。
いくつもの試練を乗り越えて、これだけの人気店となったのはすごい。しかし、ハンデがあることを一切抜きにして「うまい!」と思うほどのクオリティのラーメンを提供していることも、やっぱりすごい。
大変なことは「いろいろありすぎて……」という毛塚さんだが、お店を開いてよかったと思うエピソードも。「お客さんが、ラーメンを通して手話を覚えてくれたことがありました。食べ終わった後に私と顔を合わせるまで待っていてくれたり、おいしいと手話表現をだしてくれたりするのは、うれしいなと思います」。
今後の目標を尋ねると、「麺をつくりたい」という返事。現在は『浅草開化楼』の麺で、これはこれですでに完璧な一杯が完成しているようにも見えるが、より上を目指したいという意欲に脱帽する。そしてなにより、あのスープを作り上げた毛塚さんによる製麺とあらば、期待せずにはいられない。
さらには「久しぶりにプロレス興行もやりたい。20周年に卒業というテーマで集まりたいですね」とも。なんというバイタリティだろう!
毛塚さんの優しい笑顔に見送られて、店を後にする。前日に「ありがとう」「おいしい」の手話を覚えて取材に臨んだのだが、筆者の下手な手話でちゃんと伝わったかな。もう少し練習して、また食べに行ったとき改めて伝えなくちゃ。
『麺屋 義』店舗詳細
取材・文・撮影=中村こより