《プロローグ》三平ちゃん出演作とプロフィール

まずは三平ちゃんの出演作をズラーッと。

第40作『寅次郎 サラダ記念日』(1988)
第41作『寅次郎 心の旅路』(1989)
第42作『ぼくの伯父さん』(1989)
第43作『寅次郎の休日』(1990)
第44作『寅次郎の告白』(1991)
第45作『寅次郎の青春』(1992)
第46作『寅次郎の縁談』(1993)
第47作『拝啓車寅次郎様』(1994)
第48作『寅次郎 紅の花』(1995)
第49作『寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』(1997)

第50作『お帰り寅さん』(2019)

以上、計11作。これは初期のレギュラー登(演:津坂匡章〈現 秋野太作〉)の7作、中期のレギュラーあけみ(演:美保純)の8作をも上回る数だ。

一方でそのブロフィールには不明な点、あいまいな点が多い。

だいたい作中、ファーストネームでしか呼ばれておらず、姓は不明。年齢さえも不詳だ。

ただ第46作で店内で堂々タバコを吸っていることから推測するに、常識的に考えてこの当時(1993)すでに20歳オーバー。したがって第40作の初登場時で10代後半~20歳前後、第48作で20代後半、第50作で50歳前後となろうか。

出身は、はんなりした関西なまりでも見当はつくが、本人の口からも、「ボクの故郷、北海道やなくて京都……」(第44作)と言っているから、京都で間違いなさそう。

性格は、売(ばい)のサクラをしろと言う寅さんに対し、「ボク、そんなウソつくのいやです!」(第44作)とノーを突き付けているところから推して知るべし。

そして、就労の問題。

「なんだおまえ、まだいたのか」(第44作)

と、寅さんも半ばあきれるように、決して賃金が高くないであろう「くるまや」に三平ちゃんはわかっているだけでも足かけ7年も勤めている。

勤続年数も然ることながら、そもそもなんでよりによって「くるまや」に?
これが最大の謎だ。

まずは、その辺りを小説風に妄想してみた。

《本編》三平ちゃん 春の旅立ち

198X年、京都・洛中。京菓子の老舗・京極屋達吉。当代店主・睦実は店の帳場に三平を呼び出した。

三平。やや遠慮がちな性格に育った当家の三男、まだこの春に市内の製菓学校を出たばかりだった。

「三平、どうしても決心は変わらへんか?」
睦実はあきれ顔で言葉を継ぐ。
「お前は三男坊や。好きに生きたらええ。でもな、同じ菓子の道に進もうゆうなら、何も東京まで行くことないやろ。京都になんぼでもあるがな」

「お父はん、ボク京菓子作りたいなんて一言も言うてへんよ」
「ほな、お前、東京で何する言うんか?」
「ボク、東京の団子屋で働きたいんや」
思いもよらない三平の決意に睦実は即座に反対した。
「だ、団子屋ぁ~?あかん、あかん、そらあかんわ」
「何でですのん?」
「何でって、そらお前、ウチは12代続いた由緒ある京菓子の老舗やで。その倅が京菓子の伝統を守らんと、何で団子屋なんや」
まくし立てる睦実を見据えて、三平が言い放つ。
「由緒って何ですのん?」
「へ?」
「伝統って何ですのん?」
「お、おい、三平、こんなんお母はんの耳に入ったら、えらい怒りはるでぇ」
三平の反論にたじろぐ睦実が言葉を絞り出した時だった。
「話はすべて聞かせてもらいました」
場の空気を切り裂くように障子が開く。仁王立ちの様で現れたのたのは、様相に怒気を含んだ母・志乃だった。

妄想によれば三平の実家は京菓子の老舗。上はイメージ写真(コレド室町の『鶴屋吉信 TOKYO MISE』にて)。
妄想によれば三平の実家は京菓子の老舗。上はイメージ写真(コレド室町の『鶴屋吉信 TOKYO MISE』にて)。

「お、お母はん!」
「お、お前!」
「もうええ。2人ともそれくらいでやめとき」
夫の睦実を押し退けるように三平の正面に座り、居ずまいを正す志乃。
「三平、決意は変わらりまへんな?」
「お、お前、聞いとくれや……」
「婿養子は黙っとき!」
「ひ、ひいっ」
弱みでも握られているのだろうか、睦実は志乃に頭が上がらない。三平は母に向かい強い意志を込めて言った。
「お母はん、ボク、別に京菓子がイヤやなんて思うてません。ただ……」
「ただ、なんや?」
「もっと素朴な、団子とか餅菓子とかそんなんを扱う店で働きたい思てますねん」
「だから、それが何でかと聞いてますんや」
「ボク、一部のお贔屓さんだけやない、誰にも親しんでもらえて、食べたらみんな笑顔になるような菓子を商いたいんやわ!」
三平は大声で言い切った。母が、父が、はじめて見た、気の弱い末っ子の自我だった。しばしの沈黙の後、志乃が口を開く。
「ようわかった。あんたがそこまで言うんなら、ウチはもう何も言わん。ただやるんなら日本一の団子屋になりなはれ」
「お、お母はん……」
ホッとしたのか、三平の涙腺がにわかに緩む。
「それからな、これ持っていき」
志乃は懐に忍ばせていた封筒を三平に渡した。宛名には『東京都菓子工業組合御中』……。
「これ……って」
「そこの理事長あてに紹介状入れてある。修業先の相談に乗ってもろたらよろし」
「ってことは、お母はん、ボクが東京行きたい思てること知ってたんか?」
「ほほほほ。わてを誰や思おてはんのか? わては12代続いた京菓子の老舗、志乃屋の女将でっせ」

思えば母がこんな慈悲深い笑みを見せるのは久しぶりだったかもしれない。

「ええなあ。ワシもこんな肩身の狭い生活から離れて、東京行って遊びたいわ……歌舞伎町とか、吉原とか……。ブツブツ……」
「あんた、何か言うたか?」
「ひ、ひいっ」

八坂のソメイヨシノは盛りだが、嵐山の枝下桜にはまだ早い。三平、19。そんな春の出来事だった。(つづく)

妄想によれば19歳の三平は東京の団子屋で働くことを決意する。上はイメージ写真(柴又 帝釈天参道『髙木屋老舗』にて)。
妄想によれば19歳の三平は東京の団子屋で働くことを決意する。上はイメージ写真(柴又 帝釈天参道『髙木屋老舗』にて)。

取材・文=瀬戸信保
※この物語はいち「男はつらいよ」ファンの妄想に基づいて構成されたまったくのフィクションである。実際の「男はつらいよ」シリーズとの相関性は……想像におまかせする。

柴又から矢切は、映画、歌謡曲、文学の散歩道。『男はつらいよ』の寅さんをしのび、歌謡曲で有名になった渡し船に乗り、文学碑に刻まれた一説に純愛小説の場面に思いをはせる。