辛いものが得意ではなくても大丈夫
突然だが、筆者は辛いものがあまり得意とはいえない。嫌いではないし、むしろキムチ鍋も麻婆豆腐も好きで食べたいのだけれど、辛味の許容量に自信がないのだ。安心して食べられる辛さとわかっていればいいのだが、もし食べ切れなかったらどうしようと心配で、はじめて入る店では勇気が要る。
この気持ち、わかっていただける方も少なくないはず。というか、辛いものが得意な人と全くダメな人以外は誰もがそんな具合だろう。そして、そんな人が注文を躊躇してしまいがちなメニューランキングの第1位こそ「担々麺」ではなかろうか。あの赤いスープにどうしてもたじろいでしまう……。
いま頷いてくれた我が同胞たちに、ぜひとも足を運んでもらいたい場所がある。それは、千駄木の不忍通り沿いで営む『毛家麺店』。2000年オープンの四半世紀近く続く店なので、千駄木にゆかりがあるならご存知の方も多いだろう。以前は店の外壁に巨大な毛沢東の肖像画が掲げられていたので、そのイメージがある方も多いかもしれない。
中国の音楽が流れる『毛家麺店』の店内は、カウンター席が8席とテーブルが1卓のみ。一品料理も取り揃える中華料理店だが、店名の通り麺類が自慢だ。「お客さんの半分くらいは麺類を注文しますね」と話すのは、笑顔で出迎えてくれた店主の劉(リョウ)さん。約8種の麺メニューが並ぶなかでも、一番人気は担々麺だという。
「この担々麺は辛すぎないので、お年寄りや子供でも食べやすいと思います」と劉さんが話す通りまろやかなスープが特徴で、それがまた絶品と評判の一杯なのだ。
最高級の山椒と、スープの隠し味が決め手
早速、担々麺が運ばれてきた。スープの真ん中に挽き肉、ネギ、パクチーの山がそそり立つさまが美しい。てらりと赤く輝くラー油のなかに黒ゴマや山椒の粒が目立つが、これもまた『毛家麺店』の特徴だ。
「山椒にはさまざまな種類がありますが、これは最高級のものを使っています。安いものとは香りも痺れ具合も全然違いますよ!」と劉さん。
レンゲでスープを一口いただいてみると、山椒のいい香りがふわっと鼻を抜けた後に、ビリビリと山椒独特の心地よい痺れがやってくる。そして、それを包み込んでくれるやさしいゴマの風味。香ばしいのにクリーミーで、濃厚なのにさっぱり。なんとも不思議な味わいだ。
劉さん曰く「普通スープは鶏ガラや豚骨、野菜でとるのが基本ですが、そのほかにシイタケや干しエビも使っています。干しエビは、隠し味に少しだけ。多すぎるとおいしくないんです」。スープ自体にしっかりと旨味があり、かつ絶妙なバランスが保たれているからこそ、山椒の刺激がより際立つのだろう。
そもそもこのようなスープのある担々麺は日本独自のものといわれている。本場中国では汁なしが主流で、辛さもよりしっかり効いたものが多いそうだ。それに対し『毛家麺店』の担々麺は日本人の味覚に合わせて改良を重ねたもので、辛さは控えめ。初見では赤いスープに一瞬怯んだことなどすっかり忘れ、あっという間に平らげてしまった。寒い日ならホカホカに体が温まるし、暑い季節なら気持ちよい汗をかけそうな一杯だ。
また食いしん坊に朗報なのが、平日の15時までなら小ライスを一杯無料でつけられること。この旨味たっぷりのスープにライスを投入して、最後の一滴まで余さずいただくのもいい。
担々麺以外のメニューも安定のおいしさ
この日は、一品料理のなかからキャベツ炒めも注文した。甜麺醤等で甘辛く味付ける回鍋肉(ホイコーロー)ではなく、塩でシンプルに炒めたもの。シャキシャキのキャベツが驚くほど甘く感じられて、大ぶりのキクラゲも食感のアクセントになり、箸が止まらなくなる味だ。たまらなくライスが恋しくなったが、担々麺もあるので控えておいた。次に訪れた時は、絶対にライスと一緒に食べなければ……と思いながら頬張る。
担々麺が評判ということもあり遠路はるばるやって来るお客さんもいそうだが、最も多いのは近所の家族連れなのだという。この担々麺も辛すぎないので子供でも食べられそうだし、さっぱりした香港風の鶏麺(トリメン/とりそば)や、大エビが2匹入ったマレーシア中華風の蝦麺(エビメン/えびそば)なども人気。訪れる度、新たに試したくなるようなメニューを眺めていると、近所の常連さんが多いというのも頷ける。
今後は麺のメニューだけに絞ることも考えているという劉さん。一品料理がなくなるのは寂しいが、ひとつひとつ細部までこだわって作っているからこそだろう。絶品の担々麺がいつまでも食べられますように……。そう願いながら、ポカポカになった体で店を後にした。
『毛家麺店』店舗詳細
取材・文・撮影=中村こより