生まれ変わった「宮の湯」の建物

飲食店が軒を連ねる根津の路地で、大きな煙突がひとつ、空に向かってすっくと立っている。その側面には「SENTO」の文字。

不忍通りと言問通りの交差点からすぐの路地を入るとこれが見える。
不忍通りと言問通りの交差点からすぐの路地を入るとこれが見える。

「カフェとは知らずに、お風呂セットを持って来てしまう方も時々いらっしゃるんです」とは、店長の大里恵未さん。

銭湯「宮の湯」が惜しまれつつ約60年の歴史に幕を下ろしたのが2008年のこと。その後、ギャラリーやアートスペースとして活用された後、2021年にオープンしたのが『MATCHA&ESPRESSO MIYANO-YU』だ。建物全体が複合施設のようになっており、『亀の子束子』や古着屋『omnibus used&vintage』なども同じ屋根の下に並んでいる。

銭湯だった年月の方が圧倒的に長いだけでなく、当時の面影をしっかり残しているとあらば、お風呂のつもりで来てしまうのも無理はない。しかし、もし勘違いで訪れてしまったとしても踵を返さずにぜひ一服していってほしい理由がある。

創業当時の瓦が入り口の脇に飾られている。
創業当時の瓦が入り口の脇に飾られている。

「当店は、2019年にオープンした浅草合羽橋の『Sensing Touch of Earth』がスタートです。そこは海外から来たお客様が多いのですが、『日本のエスプレッソってあんまりおいしくないよね』っていう話を聞くことがあって」

もともとはエスプレッソがメインの店ではなかったが、お客さんの意見を聞きながら試行錯誤を重ね、本場の方にも「おいしいね」と言ってもらえるように。そうして味を追求するうちに自家焙煎した豆を使って提供したいということになり、焙煎機を置ける場所を探すなかで出会ったのが元「宮の湯」の建物だった。

スタイリッシュな焙煎機に思わず魅入る。
スタイリッシュな焙煎機に思わず魅入る。

店内は、入り口すぐのカウンター下が下駄箱になっていたり、小さな階段を登った先が小上がりの席になっていたりと、好奇心をくすぐるものばかり。どこに座ろうか考えるだけでも楽しいし、あちこち眺めて探検したくなる構造だ。

「年配の方は懐かしいと喜んでくださいますし、あまり銭湯文化に触れる機会がない若い方にとっては新しい発見もあるんですよね」

ボイラー室など銭湯の裏側も見られる(2023年末ごろまで)ので、銭湯時代に通っていた方が「こんなふうになっていたのか!」と興味深く見ていることも多いという。

天井が低くて屋根裏のような雰囲気の席。
天井が低くて屋根裏のような雰囲気の席。

リニューアルでさらに楽しく、おいしく

実は、取材時はお店のリニューアルを控えていた時期。2023年12月末~2024年1月頃からは、銭湯の浴室部分も新たに客席として開放する予定だという。まだ完成形ではないものの、その場所も見せていただいた。

もとは女湯だった場所で、壁のタイルや一部の蛇口など当時のままの姿が残っている。天井も高く、お湯はないのにまるでお湯に浸かっているような心地よさがある。

「スペースが広くなるので、ギャラリーとして使ったりワークショップを催したり、根津で“人が集まる場所”になるようなことを企画していきたいですね」

カランコロンと風呂桶の音が聞こえてきそう!
カランコロンと風呂桶の音が聞こえてきそう!

また、リニューアルに際し、ドリンクメニューには新しく抹茶のシリーズが加わった。静岡県島田市で、後継者不足で放置されてしまっていた茶畑を復活させて頑張っている方々と知り合い、オーガニックの抹茶を仕入れるようになったのだという。

「一杯ずつ丁寧に点てて作ってはいますが、そこまで特別なことをしているわけではないという感覚でした。でも、海外の方からとっても好評で、これってすばらしいことなんだなと気づかせてもらいました」

そうして、メインのエスプレッソだけでなく抹茶メニューもより増やし、力を入れるようになった。銭湯という日本の文化を満喫できる空間のなかで味わうのにぴったりの、日本が誇る味だ。

「有機栽培なので農家さんはとても大変なのですが、やっぱり味は格別です」と大里さんが言う通り、風味が強くて深いうまみがあり、渋さはほとんど感じられない。ラテとしては甘さ控えめで、ほんのりとお茶らしい苦味をしっかりと堪能できる。

抹茶ラテ650円。
抹茶ラテ650円。

もちろん、大定番のコーヒーも忘れちゃいけない。一番人気は、自慢のエスプレッソを使ったフラットホワイト。オセアニアでよく飲まれているスタイルで、ラテやカプチーノとも似ているがミルクの層が少なめでよりコーヒーの味がしっかりわかる。肝であるスチームミルクなどの割合作りが難しく、おいしく作れるようになるまでに2~3ヶ月はかかるという。

フラットホワイト650円。コーヒーメニューはすべてデカフェに変更も可能。
フラットホワイト650円。コーヒーメニューはすべてデカフェに変更も可能。

飲んでみると、ふんわりとしたスチームミルクが主張しすぎず主役のエスプレッソを引き立てていて、見た目よりもすっきりとした印象を受ける飲み口。普段はブラック派という方にもぜひ試してもらいたい飲みやすさだ。

また、お隣のパン屋さん『根津のパン』のパンが持ち込みOKというのもうれしい。

「パンはやっぱり焼きたてが一番だし、できればコーヒーと一緒に食べたいと思うので」と大里さん。週末の朝、パンを買ってここでコーヒーと一緒にいただくのがルーティーンになっている常連さんもいると聞くと、なんだか真似したくなる。

人々が交流できる根津のシンボルに

観光客も多いエリアだが、お客さんで多いのはやはり近所に暮らす人々。家族3世代で来てくれる方もいるほか、お客さん同士、高校の同級生とお店でばったり!なんてこともあったそう。

「コロナ禍にオープンしたということもあって、開店当初から地元の方との交流を深めることができたと感じています」と大里さん。

「以前は、カフェってひとりで自分の世界にこもるものというイメージがありました。でも、海外留学した時、現地の人はみんなカフェで他人とおしゃべりしていることに驚いたんです。カフェがコミュニケーションの場になっているのが、とてもいいなと思って」

気軽に立ち寄って、顔見知りの人と挨拶したり、初めて会う人と雑談したり……そんな光景は、海外のカフェのようであり、下町の道端のようでもある。それらが両立しているのが不思議だが、「そういったつながりや優しさは、銭湯の文化を継いでいるのかなと感じますね」と大里さん。

「根津のシンボルとして、交流したり、文化を発信したりできる場所にしていきたいなと思います」

映画プロデューサーやアーティストのお客さんもいて、BGMはオリジナルで制作しているという。
映画プロデューサーやアーティストのお客さんもいて、BGMはオリジナルで制作しているという。

コーヒー一杯でも、まるでお風呂上がりのようにホクホクと心があたたまるのは、“根津らしさ”そして“銭湯らしさ”によって生まれる温もりが、この空間に充満しているからだろう。

『MATCHA&ESPRESSO MIYANO-YU』店舗詳細

住所:東京都文京区根津2-19-8 SENTOビル1F/営業時間:10:00~19:00/定休日:不定/アクセス:地下鉄千代田線根津駅から徒歩2分

取材・文・撮影=中村こより