さて、いよいよゴールデンウィーク。少しずつ暖かくなってきて、お出かけ……いやいや、新型ウイルスが蔓延する自宅待機の時代、そうはいかないものです。

では、休日に行きたくなるところを地図で見てみましょう。

駅の西側と東側でこんなに違う

東京の根津では、いつもなら根津神社のつつじ祭りで賑わう頃。根津は谷中、千駄木との回遊性もあり「谷根千」と呼ばれることもあります。根津と千駄木は地下鉄千代田線の駅がありますが、「谷中」という駅はありません。最も賑わう谷中銀座商店街は、千駄木駅か日暮里駅か、どちらかから歩いて行くことになります。日暮里駅の西側は、そんな谷根千の玄関口でもありますが、東側には東京一の繊維街があります。西側の谷中は、古い建物が多く商店街が賑わいますが、東側は雑居ビルとタワーマンションが混在し、飲食店や繊維店等が入居しており、その雰囲気は大きく違います。

日暮里駅の西側、谷中銀座商店街。地元の人も海外の人も多い(平常時)。
日暮里駅の西側、谷中銀座商店街。地元の人も海外の人も多い(平常時)。
日暮里駅の東側。繊維街だけでなく飲食店もあるが、タワーマンションと雑居ビルが混在する。
日暮里駅の東側。繊維街だけでなく飲食店もあるが、タワーマンションと雑居ビルが混在する。

さて、このように東西で雰囲気の異なる街は、地図でどのように描かれているのでしょうか。

こうして見ると、東西で鮮やかに道路の模様が違います。ここまでくっきり道路模様に違いが出るのは珍しいのですが、なぜここまでの違いが出てくるのでしょうか。ここで、昔の地図を見てみましょう。戦前、1937年の同じ場所の地図です。

繊維街が当時から現在の場所にあったかは定かではありませんが、こうして見ると、いまの道路模様と違います。あるとき、道路網はガラッと変わったのです。

こうした道路網の作り変えの多くは「区画整理」によるものですが、東京では区画整理が進んだのは約100年前と70年前。関東大震災後と戦後間もない頃です。このとき建物密集地は火災に見舞われ、多くの建物が倒壊した後、新しく建つ建物が密集しないよう、太い道路が規則的に交わる区画に作り変えられたのです。こうした道路網は、震災と戦災の復興の結果でもあるのです。対する西側、谷根千のほうは、寺院が多く、戦災を受けていない地域が多いため、古民家が多く残っています。

古い道が残る街もあれば、新しい道ができる街もある。道路の形を見るだけで歴史が見えてきそうですね。

同じ「碁盤の目」の都市でも違いがある

さて、連休で遠出と言えば、京都や奈良、あるいはそろそろ暖かくなってきた北海道でしょうか。しかしなかなか遠出できないので、やはり地図を見てまいりましょう。

京都はよく「碁盤の目」の都市と言われます。奈良もそうです。そして札幌はそれ以上に碁盤の目です。この3都市は、どんな違いがあるでしょうか。

まずは札幌市郊外の住宅地です。さきほどの日暮里以上に道路が太く、規則的です。大通りは、それぞれの道が平行か直交するかで、道がきれいに整っています。小道を見ると、規則的なこともあれば、迷路のように不規則な道もあります。とはいえ大通りの道と平行で直線的です。

続いて京都です。京都御所の少し南側の地図ですが、これが碁盤の目と言われる京都の道路網です。

あれ? みなさんお気づきでしょうか。東西の道路に赤い点線を入れてみましたが、平行なようで、平行ではないのです。南北の道路は点線は入れませんでしたが、よく見てみて下さい。こちらも平行ではありません。京都には規則的で平行な区画もある一方で、このように少しずれた道路が多々存在します。

昔の都市だから区画の作り方が適当だった……のではなく、のではなく、平安京ができた当時は規則的な碁盤の目だったはずです。平城京のメインストリート、朱雀大路はもともと84メートルの道幅で、東京・新宿の靖国通りや大阪の御堂筋の2倍弱ほどの道幅でした。車がなかった時代、さぞ広く感じたことでしょう。

しかし、鎌倉時代、戦国時代に一度荒廃し、朱雀大路は農地になったり御土居(外敵から守るために豊臣秀吉が築いた堤防)になったりといった変化がありました。その後再び道路にになりましたが、それがいまの千本通です。今やメインストリートというよりは、市街地の西端の道路で、道幅は太いところで25メートル、細いところで10メートルを切り、直線ではなく少し曲がってもいます。長い歴史の栄枯盛衰を経ると、敷地の境界や道路の形は少し崩れてくるのです。千本通に限らず、京都のあらゆる道の形が平行、直交しているように見えて、よく見ると少しずれているところに、都市ができてから今に至るまでの長い年月を感じます。

では、それ以上に古い平城京、奈良はどうでしょうか。

こちらは奈良市街地より少し南、古くからの景観が残る「ならまち」周辺の地図です。こちらも条里制の平城京の影響で、道路はほぼ縦横に直交する碁盤の目のようですが、よく見てみると、形が崩れています。点線で、元あったであろう、碁盤の目状の線を入れてみましたが、道路は大きく曲がったりなくなったりしています。京都以上に古く、歴史の長い街ゆえの道路模様でしょう。京都と奈良はともに、戦災や震災の被害を受けていないため、古くからの建物が残り、区画整理されずに古い道路や建物が残っているのです。

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遠くの街にお出かけできなくても、遠くの街の地図なら見られます。タイムスリップできなくても、道路模様から歴史を感じてみてはいかがでしょうか。

文・地図・写真=今和泉隆行

今和泉 隆行
空想地図(実在しない都市の地図)を描く空想地図作家。通称「地理人」。近著は「どんなに方向オンチでも地図が読めるようになる本」(だいわ文庫)。

第1弾では入り組んだ道路模様の謎に迫りました

散歩とは切っても切り離せない「地図」。現在地を知り目的地に向かうための道具であるだけでなく、眺めるだけで数多くのことを読み解ける“よみもの”としても楽しむことができる。実在しない都市の地図を描く空想地図作家として活躍し、連載「グーグルマップを使っても迷子になってしまうあなたへ」でも“先生”としてご登場いただいた今和泉隆行さんに、おうちで地図を眺めて楽しむ方法を教えていただいた。