約60年、根津で営む老舗
『松好』の創業は1960年ごろ。店主の松井晃(ひかる)さんは3代目だが、商いの歴史はさらに遡り、松井さんの5代前から根津で洋品店を営んでいたという。
焼き鳥と釜飯を二枚看板として掲げるお店となってから、基本的なメニューはほぼ変わっていない。焼き鳥のたれも、60年間注ぎ足して代々受け継がれてきたものだ。
「20年以上使用している大山地鶏は、うまみがありがながらも比較的たんぱくな肉質が特徴なので、それに合わせて甘みのあるタレにしています」と松井さん。
備長炭でじっくりと焼きあげる焼き鳥は香ばしく焼き加減も絶妙で、それを丼ぶりにした焼き鳥丼も評判。コロナ禍以降本格的に増やしたというテイクアウトメニューは一品料理やデザートまで揃い、かなり充実している。
このままカウンターで焼き鳥を肴に一杯ひっかけたい誘惑に駆られる……が、しかし! 今日は『松好』のもうひとつの主役・釜飯のためにお腹を空かせてきたのだ。
特注の釜で炊く、極上の釜飯
ランチでもディナーでもいただける釜飯は、五目釜飯、とり釜飯、タコ釜飯、鮭いくら釜飯の4種類。今回は、一番人気だという五目釜飯をいただくことにした。
注文してから炊き上げるため15分ほどかかるが、このわくわくしながら待つ時間もいとをかし。焼き鳥を一緒に注文して、先につまみながら待つのもよさそうだ。
さあお待ちかね、お釜の木蓋をあけると、その彩りもさることながら鼻腔をくすぐるだしの香りに思わず歓声を上げたくなる。
大きなタケノコ、噛むほどに味が染み出るしいたけ、ふわっと柔らかな鶏そぼろ。どの具材もたっぷりと入っていて、エビと紅生姜もアクセントになり、しゃもじでよそう手が止まらない。そしてなにより具材のだしが染み込んだごはんは、やさしい味わいの奥でしっかりとうまみが効いている。これらの具材も味も、創業以来全く変わっていないというから驚きだ。
また、鉄の釜は特注品で、一般的なものよりも厚みがあるのだという。それによって調理に時間はかかるが、熱とおいしさが逃げず、米もふんわりと炊き上がる。
「季節によって適切なお米の浸水時間なども変わるので、温度などはかなり気をつけていますね」
受け継がれてきた技術と、道具のこだわり、そして繊細な配慮。すべてが噛み合ってできあがる味なのだ。
和洋の境界にとらわれない挑戦を
釜飯は定番の数種類のほか、牡蠣や秋刀魚など季節ごとに旬の食材を使ったものもあり、来るたびに新しい楽しみがある。
「釜飯、いわゆる炊き込みご飯って、いろんな可能性があると思うんです」と話す松井さん。最近はフォアグラとトリュフを使った釜飯も登場するなど、和洋折衷のメニューも考案しているという。
「洋の食材をうまく活用して、和食に切り替えられないかなといつも考えています。うまく転換することで、和食の可能性を広げたいと思って。抵抗感がある方もいるかもしれないですが、受け入れてくださる方にとってはいいことしかないので」
新しい個人店も増えている根津エリアだが、「昔ながらのお店は減ったかな」と少し寂しそうに話す松井さん。しかし、挑戦も忘れない老舗『松好』があれば大丈夫。そんな心強い気分にさせてくれるひとときだった。
『松好』店舗詳細
取材・文・撮影=中村こより