◆散歩コース◆

体力度:★☆☆
難易度:★☆☆

  • 登山シーズン 1月~6月、9月~11月
  • 最高地点 180.3m(浅間山)
  • 登山開始地点 20m(大磯駅)
  • 歩行時間 2時間50分
  • 歩行距離 約7.5km
スタート
大磯駅
駅前の大磯迎賓舘を見学してから現東海道に出て左折。先で左の旧東海道に入っていくと今にも倒れてきそうな松並木が出現。東海道本線の下を抜けて行く。

高来神社
化粧坂などを過ぎると左手に高来神社の鳥居が二つ。その上に高麗山が見える。登山口は神社の裏手に。

高麗山
坂の緩い女坂か急な男坂を選び高麗山へ。広場のような山頂には高麗寺の礎石が残っている。

湘南平新展望台
高麗山からは縦走になる。木橋を渡ると八俵山。その先はアップダウン、岩場などの変化に富んだ道をゆく。浅間山を過ぎるとアンテナの立つ湘南平へ。

旧島崎藤村邸
湘南平からは善兵衛池方面へ下山する。麓の住宅地まで約20分。あとは住宅地を抜け東海道本線をくぐって藤村邸に寄ってみた。

めしや大磯港
旧藤村邸から東海道に出て左折。その先で右折して大磯港のそばの『めしや大磯港』に寄ってから駅へと向かう。

ゴール
大磯駅

アクセス:
[行き]品川駅からJR東海道本線で大磯駅へ。約55分。
[帰り]大磯駅からJR東海道本線で品川駅へ。約55分。

現在の地形図では「千畳敷」という表記だが、一般的には湘南平である。戦後に平塚市と神奈川中央交通が協力して整備した際に、当時の市長が湘南平と名づけたのだそうだ。それは1958年のことらしい。正確にいうと、その泡垂山と東部にある高麗山を合わせて湘南平というわけだ。

戦前の昭和の地図には「千疊敷山」という表記があり、今までいろいろと呼び方が変わってきたところでもある。

湘南平はハイキングコースが整備されていて、尾根沿いのコースのほか、尾根に上がるルートもいくつかあるので、何度でも楽しめる。

今回は東側の高来(たかく)神社の裏手から上がり、高麗山から縦走して、浅間山から湘南平へ。下山は善兵衛池方面へ下りて、大磯港から駅へと向かうコースにした。一番普通のコースである。

スタートは大磯駅。最初の駅は関東大震災で崩壊し、1924年(大正13)に再建された駅舎は、最近のちゃらちゃらしたどこでも同じような駅舎とはちょっと違う。

それよりもさらにいいのが、駅前にある大磯迎賓舘だ。名前からしてすごいが、その風情がなかなかいい。建築は1912年(大正元)で、今はイタリアンの店に。そこを覗いてから、現東海道に出て先で旧東海道へと入って行く。

旧東海道はほとんど車が通らないことと、幅の広い道がなんとも気持ちがいい。散歩には最適な道で、さすが江戸時代の幹線道路だと感心する。今にも倒れてきそうで倒れない江戸時代に植えられた松並木の下を歩いて、高来神社へと向かう。

高麗山は高麗寺山ともいい、江戸時代までは山頂に高麗寺という寺があった。明治の廃仏毀釈で高麗寺は廃寺になり、高麗神社だけが高来神社と改名して残った。7世紀に高句麗から来た渡来人によって建立されたといわれる。
高麗山は高麗寺山ともいい、江戸時代までは山頂に高麗寺という寺があった。明治の廃仏毀釈で高麗寺は廃寺になり、高麗神社だけが高来神社と改名して残った。7世紀に高句麗から来た渡来人によって建立されたといわれる。

鳥居の奥には神社、その真後ろに立っているのが高麗山だ。高来神社は江戸時代までは高麗寺という名称で山中にあったようだが、明治時代の廃仏毀釈によって高来神社と改名して、麓で存続している。

神社の裏手から高麗山へ上がると道は二手に分かれる。右が女坂、左が男坂。だいたい男坂が急な上りということになっている。歩きはじめだし、体が温まっていないということで、急ぐ旅でもないしと、楽な女坂を選択する。

上がって行くと深い森の中へ。ちょっと登っただけでこれほど自然豊かとは。実はこの森は高麗山県民の森といい、29haの広さがあり、南斜面の9haはスダジイ、タブノキなどの常緑広葉樹の自然林。県の天然記念物でもある。これだけまとまってあるのは県内でも珍しく、貴重だという。幕末までは高麗寺の所有、明治以降は御料林となったので、伐採を免れたのだろう。

女坂を通り高麗山へ登る途中から相模湾を望む。伊豆大島がくっきりと見えた。
女坂を通り高麗山へ登る途中から相模湾を望む。伊豆大島がくっきりと見えた。

森を上がって高麗山へ。山頂は江戸時代まで高麗寺があったところで、寺の礎石が今も残っていた。高麗山から縦走のような尾根歩きとなる。展望はないが、豊かな森が周りを覆っているので、気持ちよく歩ける。八俵山(はっぴょうさん)などを過ぎて1時間ほどで浅間山。ここから富士山を遥拝したという浅間神社の祠がある。

浅間山の手前の尾根道には広場のようなところにスイセンが咲いていた。近くにはエノキの巨木がある。
浅間山の手前の尾根道には広場のようなところにスイセンが咲いていた。近くにはエノキの巨木がある。

前方に巨大なアンテナが見えてきた。どうやら湘南平に着いたようだ。

湘南平のシンボル、テレビ塔。展望台がある。平塚テレビ中継局が正式名。1972年に完成した。展望台は現在改修工事中で2023年度中には工事が終了する。
湘南平のシンボル、テレビ塔。展望台がある。平塚テレビ中継局が正式名。1972年に完成した。展望台は現在改修工事中で2023年度中には工事が終了する。

山頂は広く、名の通りあくまでも平ら。左手に相模湾に浮かぶ伊豆大島が見える。思ったより近い。江の島、三浦半島、奥には房総半島も見える。

湘南平から相模湾を望む。手前に流れるのは花水川、その先に平塚漁港、その上が江の島になる。奥は三浦半島。
湘南平から相模湾を望む。手前に流れるのは花水川、その先に平塚漁港、その上が江の島になる。奥は三浦半島。

広場の先には不思議なサザエの貝殻のような建物。レストランや展望台がある。サザエの階段を上がって展望台へ上がった。

見晴らすと、富士山や丹沢や箱根方面の眺望。海と山と街並みの饗宴が始まっていた。標高たった181m。低山の魅力が凝縮している山というしかない。湘南平にまさる低山は、まず東京周辺にはないだろうと思うくらいだ。

新展望台から北側の丹沢方面の展望。大山を中心によく見える。
新展望台から北側の丹沢方面の展望。大山を中心によく見える。
湘南平の新展望台からの眺め。手前の低い丘は曽我丘陵。左端から明神ヶ岳、その右隣の ぽっこり山は金時山、富士山下のぽっこりは矢倉岳になる。
湘南平の新展望台からの眺め。手前の低い丘は曽我丘陵。左端から明神ヶ岳、その右隣の ぽっこり山は金時山、富士山下のぽっこりは矢倉岳になる。
東海道沿いにある鴫立庵。西行法師が大磯で詠んだとされる歌にちなみ江戸期に草庵が結ばれ、その後、俳諧道場として今にいたる。
東海道沿いにある鴫立庵。西行法師が大磯で詠んだとされる歌にちなみ江戸期に草庵が結ばれ、その後、俳諧道場として今にいたる。

山歩きメモ

湘南平から来た道を少し戻って、分岐から楊谷寺横穴墓群へ寄ってみるのもおすすめ。分岐から10分程度。そのまま下りることもできるし、少し戻って高田公園から駅へ向かうことも。

アドバイス

危険箇所はないので軽装備でも可能なコースだ。高麗山の先、岩場が少しあるので靴は登山靴が望ましい。歩き足りない人は、旧藤村邸から東海道を西へ30分ほど歩けば旧吉田茂邸へ。帰りはバスで大磯駅方面へ。

 

旧東海道の松並木

倒れそうで倒れない江戸時代の面影がここに

大磯は旧東海道の大磯宿があったところで、その面影がいくつか残っている。それがこの松並木や一里塚など。大磯駅の西側の大磯中学校付近には200mにわたって松並木が残る。見事なものだ。写真の松並木はコース上にある山王町のもの。

楊谷寺谷戸横穴墓群

大磯町は古代人の墓の密集地だった

大磯町や隣の二宮町には遺跡が多いが、横穴墓が大磯周辺には1000基もあるという。横穴墓は古代人の墓で、楊谷寺の横穴は21基あり、7世紀以降のものらしい。天井部分がアーチ形や切妻屋根型など造りも精巧なもの。

旧島崎藤村邸

文豪が最晩年の2年間を過ごしたつつましい居宅

引き戸にはいまや貴重な大正ガラスが使われている。
引き戸にはいまや貴重な大正ガラスが使われている。
冠木門に割竹垣で囲まれた玄関。
冠木門に割竹垣で囲まれた玄関。

藤村が終の棲家として1941年(昭和16)に移り住んだ家。亡くなるまでの2年間を過ごした。ここで絶筆となった『東方の門』を書き続けた。大磯には政財界の人々の大別荘があるなか、藤村の家は小さな平屋だった。

●9:00~16:00、無料。月曜休。大磯駅から徒歩5分、☏0463-61-4100。

めしや大磯港

漁協直営の店は今でも並ぶ人気店

大磯港のすぐそばにある大磯漁協直営の店。いわば魚専門食堂で、昼と夜の部があり、メニューは多少違う。その日に揚がった魚によってメニューが変わる。人気の店なので、だいたい開店前には客が並んでいることが多い。

●11:00~14:00(13:30LO)・17:00~21:00(20:30LO)、水曜休。大磯駅から徒歩10分、☏0463-62-1755。※駐車場は県営駐車場(有料)などを利用。

取材・文=清野編集工房
『散歩の達人 日帰り山さんぽ 低山をきわめる!』より