マイルールなどと偉そうなことを言ったが、そう大層なものではなく、例えば「ビーサンでライブをしない」程度のものだ。私は基本的に夏はいつもビーチサンダルを履いて過ごしているが、以前、ビーサンを履いたままライブをしたら共演者の古着屋店長から「ビーサンで人前に立つものではない」と注意された。なるほど確かにステージに立つ者がそんな格好では適当にこなしているように見えるだろう。以来、私はちゃんとスニーカーを履いてライブに臨むようになった。

ライブ時は上着を着用せずTシャツ一枚になるというのもマイルールだ。その方が必死にやっている感が出て、お客さんも感情移入しやすいのではないか。と言いつつ、実はビーサンもTシャツもこれまで何度か破ったことがあった。

そんな軟弱な私だが、これだけは過去一度も破ってないというマイルールがある。それが「ステージに譜面台を置かない」だ。

ボーカルの眼前に歌詞などを確認するための譜面台を置いているバンドがたまにある。聞けばブラッドサースティ・ブッチャーズなど私が尊敬するレジェンド的バンドも、過去譜面台を置いて演奏することがあったらしい。ただ、自分ではそれをやりたくなかった。

クラシックのコンサートなら演奏者の前に譜面台があっても気にならないが、ロックバンドのボーカルの前に譜面台があるとやはり気持ちが萎(な)える気がする。ロックバンド特有の生々しさが失われるのではないだろうか。もちろん、基本的にはみんな事前に歌詞を考え覚えた上で歌っている。それはわかっているが、できれば準備してきた感を出さず、その場で頭に浮かんだことを歌っているように見せてほしい。私にはロックバンドのボーカルに対しそのような理想像がある。

また譜面台を置くと観客の歌詞に対するハードルも上がってしまう気がする。「わざわざ考えてきてその程度か」「紙に書いてまでその歌詞うたいたかったのかよ」と思われてしまうのではないか。実際そこまではっきり言及している人を見たことはないが、無意識にそう感じる人はそれなりにいるのではないか。

もっとも、譜面台を置いた方がライブをやりやすいのは間違いない。私はライブ直前に新しく歌詞を作ったり変更したりすることが頻繁にあり、当日になっても歌詞を覚えきれていないことがまあまあ多い。そんな日は本番中も「歌詞を飛ばすんじゃないか」と常に不安が付きまとう。

これまでは歌詞のキーワードとなる部分を紙に書き、足元に置いておくことで対処してきた。床に置いたカンペならお客さんからは見えない。しかし視力1.5の私をもってしても足元の紙に書かれた小さな文字を読みながらリズムに乗って歌うのは至難の業だ。照明が暗くなって全く見えなくなるケースもある。そうすると完全に下を向き場合によっては顔を近づけカンペを凝視する羽目になり、「こいつ明らかになんか見てるな」と客席からもバレバレだ。ロックバンド特有の生々しさがどうしたと御託を並べておいて、このザマでは本末転倒である。それでも、今まで何百回と譜面台なしでライブをやってきたのだから今更ルールを曲げるわけにはいかない、その一心でなんとか譜面台に頼らずにやってきた。

譜面台は快適だった

しかし先日、新曲10曲を完成させライブで一挙に披露することになった。こんなにたくさんの新曲を一度にやるのは前代未聞だ。私は本番前夜になってもいくつもの歌詞を直しており、これは到底記憶しきれない、もう譜面台を置いて歌詞を見なければライブができないと観念した。

長年守ってきたマイルールを破ることへの心苦しさはあった。しかし改めて考えてみれば、今まで根拠のない自分らしさに縛られ世界を狭めていただけなのではないか。今までやらなかったことこそ、果敢に取り入れていくべきだろう、などとさまざまな自分への言い訳を用意し、私はついに譜面台を置いてライブをやることを決めたのである。

バンド史上初の試みは無事終わった。結果的に譜面台があるとめちゃくちゃライブがやりやすかった。歌詞を覚えてない不安が解消されるとこんなに楽だとはしらなかった。

翌日、ライブの感想をエゴサーチしたが、誰も譜面台のことには触れていなかった。やはり気にしていたのは自分だけで、他人からすれば譜面台があろうとなかろうとどっちでもいいことなのかもしれない。ただ、一度譜面台の快適さを知ってしまったらもう後には戻れない。どんどん楽な方へ流れていきやすい自分の性質を私は理解している。今までは本番直前まで頑張って歌詞を覚えようとしていたが、あれ以来「歌詞覚えられなくても最悪譜面台立てれば何とかなるか」という思考が自分の中に生まれてしまっており大変まずい。このままなし崩し的にマイルールを放棄し続けていたら自分の性質上いずれはライブ中におにぎりを食べたり、足が疲れたら床に座り込んだりしてもおかしくない。もしもそうなった場合は、「お前ライブ舐(な)めてんじゃねえぞ」と遠慮なく注意していただきたく思う。

今回は学生時代から50回以上壇上に立ち、勝手知ったるライブハウス『秋葉原 CLUB GOODMAN』にて撮影。
今回は学生時代から50回以上壇上に立ち、勝手知ったるライブハウス『秋葉原 CLUB GOODMAN』にて撮影。

文=吉田靖直 撮影=鈴木愛子
『散歩の達人』2023年5月号より

電気街、オタクの聖地、そしてアイドルの街。さまざまな顔を持つ秋葉原には多種多様な人々が集まるだけに、この街に流れる音楽も実に個性的だ。今回はあらゆる文化の集合地点アキバで、ライブカルチャーの中心として長きに渡り愛されてきた『CLUB GOODMAN』を紹介しよう。 ※TOP画像提供:『CLUB GOODMAN』
私が通っていた早稲田大学には当時数十もの音楽サークルがあったが、私がいたサークルは“オリジナル曲中心”を標榜していた点で他とは少し違った。ヒップホップ、ブラック・ミュージック、レゲエなどジャンルによって区別されているサークルが大半の中、実力はさておき、とにかく自分の音楽を作り、ひいてはその音楽で世に打って出たいという野心を持つ者が数多く属していたように思う。とはいえ、ごく一部の例外を除きその活動が世間に評価されることはない。サークル員たちはバンドを組み下北沢や新宿のライブハウスに毎月出演していたが、全く芽の出る気配のない数年を経た後も音楽を諦めきれず、またはサークル内の退廃的な空気に流され1年か2年留年した後、結局は普通に就職してそのうちバンドをやめてしまうパターンが大半だ。就活に力を入れて来たわけではないため有名な大企業に入社できるような者はほとんどおらず、大体は適当な中小企業に就職する。私も音楽で世に出るという野望を隠し持ってサークルに入ったクチではあるが、やはり1年留年して卒業する時期になっても音楽で食っていく道は全く開けていなかった。才能はなくともバンドを諦めて実家に帰るのはどうしても受け入れがたく、東京に残る口実として仕方なく小さなIT企業に就職したものの、全く適性がなく1年半で離職。その後、バイトを転々としながらのらりくらりとバンド活動を続け、今に至る。あの頃はバンドをやめて就職することが人生の敗北を意味するようにさえ感じていたものだが、30代も半ばになるとそんな熱っぽい考えも消えた。音楽家として生きていくことと、会社に就職して生きていくことの間にそこまで大きな隔たりがあるようにも今は思えない。もっとも、それは私が人一倍長い時間バンドにしがみつき、こうして媒体で時々自分の思うところを書かせてもらったりしているおかげで、表現欲や承認欲求といったものが多少は満たされているせいかもしれない。だが収入面でいえば、あの頃サークルにいた面々の中で現在の私は最下層になるのだろう。私の知る限り最も経済的に成功しているのは、「SUSURU TV.」というYouTubeチャンネルの運営会社の代表をつとめる矢崎という男だ。