巨大さに圧倒された大船観音

昭和初期から建立が計画され、1960年に完成した大船観音。内部に入ることもできる。
昭和初期から建立が計画され、1960年に完成した大船観音。内部に入ることもできる。

そのうち、そこが大船駅であること、白くて巨大な像が大船観音であることを知った。実際に大船駅で下車し、大船観音の足元、いや胸元まで訪れたのはだいぶ後のことであるが、その巨大さに圧倒されるとともに「あの時車窓から見えた仏の、すぐ近くまで来た」という感慨深さがよぎったものだ。

近くに寄るとその大きさに圧倒される。
近くに寄るとその大きさに圧倒される。

大船観音は「電車の窓から見える仏」の代表格だろうが、他にも電車に乗っていると、流れる風景の中に突如として大仏があらわれることがある。

西武秩父線に乗っていると、芦ヶ久保駅近くで不意に登場した大観音。正座しているように見える。
西武秩父線に乗っていると、芦ヶ久保駅近くで不意に登場した大観音。正座しているように見える。

大抵はどこか別の目的地に向かうべく電車に乗っているため、スルーせざるを得ない。スマホのカメラを立ち上げて写真が撮れればまだいい方で、ほとんどは「あ、仏、あああ通り過ぎちゃった」と悔しい思いをすることになる。今回はそんなスルー仏をスルーせず、途中下車して会いに行ってみたい。

わざわざ途中下車して会いに行く

まずは以前、東海道線・小田原~早川間の車窓から見えた白い観音像を目指す。しかもその観音様、買い物かごのようなものをぶら下げていたように見えたのだ。あの観音は何なのだろう。

早川駅で下車してみると、確かに住宅地の奥に観音が立っていた。

住宅地の奥に見える魚籃観音。買い物帰りの奥さんにも見える。
住宅地の奥に見える魚籃観音。買い物帰りの奥さんにも見える。

駅から観音を目指して歩くこと数分、「厄よけ魚籃(ぎょらん)観音」と書かれた看板が見えてきた。薬王山東善院に建立されているこの観音、足元に辿り着くと思った以上に大きい。

真下から見上げるとカゴの中身が見えづらいが、魚の尾びれは確認できる。
真下から見上げるとカゴの中身が見えづらいが、魚の尾びれは確認できる。

説明を見ると、海上安全や魚貝類への報恩感謝などを祈念し、昭和57年に建立されたとのことである。鉄筋コンクリートでできた高さ13メートルの観音は、両手に魚を入れた籠を持っている。魚籃観音は三十三観音のうちの一人で、大魚に乗った姿であらわされることもあるようだ。美しい姿ではあるのだが、どうにも「魚屋に買い物に行った帰りの奥さん」という雰囲気もあって、微笑ましい仏像であった。

 

「なんだ!あの金ピカは!」と思う間もなく電車は武蔵溝ノ口に到着した。
「なんだ!あの金ピカは!」と思う間もなく電車は武蔵溝ノ口に到着した。

またある日、南武線に乗っていると、津田山~武蔵溝ノ口間で、金色に輝く大仏の背中が目に入ってきた。

あれは一体何なのだろう。武蔵溝ノ口で降りた私は、線路沿いの道(野川柿生線)を津田山方面にしばし歩いてみた。すると、道路に向かって金色に輝く仏像が立っているではないか。

夏の日差しの中で、より一層ギラギラしているお守大佛。
夏の日差しの中で、より一層ギラギラしているお守大佛。

「お守大佛」と名付けられたこの仏は、眞宗寺の敷地内に建立されており、この寺が所有する霊園にも同様の黄金仏が建立されているようである。ともかくも、この圧倒される印象は、車窓から黄金仏の背中を見ていただけでは得られなかっただろう。思い切って途中下車して良かった。

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電車の中では、ついスマホなどをいじりがちな近頃であるが、窓の外にいつ素敵な大仏が突如登場しないとも限らない。今後は景色に注意して電車に乗りたいと決意するのであった。

イラスト・文・写真=オギリマサホ