そんな時、ジョン・レノンが取り入れていたという「プライマルスクリーム療法」を思い出した。詳細は覚えていなかったが、直訳するとプライマルは「原始」、スクリームは「叫び」。つまり、原始的に叫ぶことによって、自分でも忘れていた抑圧されていた感情が解放され、心のデトックスが行われる。ジョン・レノンが誰もいない砂漠の真ん中で座禅を組みながら叫びまくっているイメージが想起された。そのイメージが合っているのかは分からないが、とりあえず今の自分はそういったものを欲している気がしたのだ。

音楽スタジオやカラオケボックスに行けば、全力で叫ぶこともできるだろう。だが私はそんな人工的な施設の中ではなく、何も遮るもののない自然の中で叫びたかった。半径1km以内に誰も人がいない場所で魂を解放したい。すべての雑念を忘れて思いのままに叫んでみたい。

そんな場所は東京にはない。いやもしかしたらあるかもしれないが、もっと自然のパワーが強い場所に行きたかった。思い浮かんだのが東北だ。一度ライブで仙台に行った以外、東北に行ったことはなかったが、東北の山には何か神秘的なパワーがありそうだ。そんなところでプライマルスクリームを行えば、きっと魂も解放されるだろう。意を決した私は、すぐに使いかけの青春18きっぷを購入し、2泊3日の旅に出発したのだった。

新庄行きの列車で一人きり

家を出るのが遅かったため、東北地方の南端、山形に入る頃にはもう夜になっていた。初日のうちにできるだけ北へ行こうと思っていたので山形県で最も栄えていそうな山形駅を通り過ぎ、何となく聞いたことのある新庄という地を目指す。午後10時過ぎ、電車の外は真っ暗で全く民家の明かりが見えない。終点の新庄に近づくに連れどんどん人が降りていき、最終的に車両に私一人となっていた。それなりに栄えている新庄に向かっているのに誰も乗っていないのはおかしいのではないか。パラレルワールドに迷い込んでいるような気がして怖くなり、電光掲示板の文字が得体の知れない謎の文字になっていないか何度も確認していたが、やがて問題なく新庄駅に着いた。

駅近くの適当な安ビジネスホテルにチェックインした後、ホテルを出て近くの小さな飲み屋街を歩き、50代くらいの男性店主が営んでいるらしき居酒屋を発見。客は誰もおらず、店主は暇そうにスポーツ新聞を読んでいる。こういう土地に根付いた寂れた店に行くのが旅の醍醐味だ。

「お兄さん、見ない顔だねえ」「実は今日、東京からたまたまここに来たんですよ」「へえ、素敵だね」「どこか行った方がいい場所ありますか?」「〇〇は絶対行った方がいいよ」そんな会話のシミュレーションをしてから店に入ったが、瓶ビールを飲んで餃子を食べている間、全く会話はなかった。店内にはテレビの音だけが流れ、店主はずっとスポーツ新聞を見ていた。ホテルへの帰路、明日からは自分から知らない人に話しかけようと心に決めた。

秋田らしくない秋田駅前

翌日。日本海沿いの路線で秋田へと向かう。プライマルスクリームを行うに適した場所はないかと外の景色に目を凝らしていたが、意外とどこまで行っても民家が点在しており、全く人がいない場所はない。数時間そうしていると秋田駅に着いたので電車を降りてみた。秋田駅前はよくある田舎のちょっと栄えた街といった感じで、特別秋田らしいものはなかった。しいて言えば「きりたんぽ屋」がいくつかあったくらいか。

あてもなく商店街を歩いていると、街路樹が見覚えのある白地に赤い斑点模様の布で巻かれている。そのまま進むと、道沿いの美術館で『草間彌生展』が開催されていた。やることもないし、これも何かの縁と思い入ってみた。作品を見て回りながら、なぜ自分は今、秋田まで来て『草間彌生展』を見ているのだろうという不思議な感慨を抱いた。

時間がないので青森まで行くのをあきらめ、本州を横切って岩手に向かう。山間の無人駅のようなところがあれば途中下車してプライマルスクリームをしようと思ったが、イメージ通りの駅はなかった。イメージに近い駅があっても、数時間に一本しか電車が来ないような駅で日が暮れて野宿するリスクに身を晒すのは嫌だ。結局盛岡まで行って居酒屋でホヤを食べ、近くのサウナに宿泊。翌日、宮城、茨城経由で帰京した。

結局最後までプライマルスクリームは実行できず、ほとんど電車に乗っているだけの旅は終わった。魂は全く解放されなかった。

旅に出る前に目的地を決めるのはダサい。計画を立てず、現地に行くまで何が起きるかわからない、そんな偶発性こそ旅の醍醐味だと考えていた自分は青かった。この東北旅行を機に私は、「るるぶ」「じゃらん」などを活用し、あらかじめ有名な観光地を調べ、お得なクーポンなども手に入れてから旅に出るようになったのである。

文=吉田靖直(トリプルファイヤー) 撮影=鈴木愛子
『散歩の達人』2019年10月号より

何年か前にCSの音楽番組に出演した際、よく当たると評判の占い師にバンドの行く末を占ってもらった。我々のバンドは「今年が分岐点となる重要な年だから必死に頑張った方がいい」とのことだった。私はうんうんと頷きながら、疑いの目を向けていた。そんなものは、いつ誰に対しても当てはまる言葉だと思ったからだ。だが私個人に対する「あなたの『楽してお金を儲けたい』という強い思いが、バンド全体に悪影響を与えています」という鑑定を聞いたとき「この人は本物だ」と思った。
地元の友達に誘われ、初めてクラブに行ったのは20歳前後の頃だった。連れて行ってもらったのは出会い目的の客ばかりの、いわゆる「チャラ箱」だ。友達は女の子に次々と声を掛け、10分もすると仲良くなっていた。羨ましかったが、ゴリゴリした色黒の男たちの中で場違いな存在としか思えず、一人黙ってクラブを退出。渋谷駅前で喉の限界までタバコを吸い、数時間始発列車を待ったのである。