ユニークな店名に秘めた店主の心意気
秋葉原駅は、山手線・京浜東北線と総武線が十文字にクロスしているので出口が複雑だ。『殿(シンガリ)』への最寄り出口となる昭和通り口は総武線ホームの千葉寄りにある。出口を出て、昭和通りを渡って左へ。一つ目の角にある『CoCo壱番屋』のところを曲がれば、ほどなく左側に看板が見えてくる。
店は2009年にオープン。馬好きだった店主の宮本圭さんは、北海道の牧場で働いたこともあったという。しかし、職業としては飲食店を選び、14年間勤務したのち36歳で独立した。
それにしても『殿』とは珍しい店名だ。「しんがり」とは競馬用語で最下位のこと。馬好きの宮本さんらしいネーミングといえなくもないが、商売で最下位とは、あまりふさわしい名とは思えない。
実はこれにはもう一つ意味がある。「しんがり」とは、戦いにおいて軍勢が退却する際に軍列の最後尾で敵の追撃に備える兵のこと。つまり、殿さまを守る重要な役割があるのだ。店頭の丸い看板には屋号とともに武士のシルエットが描かれている。どうやらこちらが真意のようだ。
店の外まで客があふれる人気店
扉を開けるとメニューや競馬のポスター、写真などで埋め尽くされた壁が目に飛び込んでくる。なんともにぎやかな光景だが、これを見ただけでも営業時の活気が想像できる。
手前に10人ほどは座れそうな大きなテーブル席があり、L字のカウンターが店の奥に続く。最奥部は2層になっており、下がビールケースを台にしたテーブル席、2階はロフト風の板張りの座敷となる。これに加え、店頭にはドラム缶を置いた立ち飲み席まである。席のバリエーションも豊富だからさまざまなシチュエーションで利用できそうだ。
安価だからいくつもの料理をオーダーできる
メニューを見て驚いた。本日の刺身はゴマぶり刺、カツオ刺、炙りしめサバ、ミル貝刺があり、いずれも350円。信州の白味噌と名古屋の赤味噌をブレンドしてじっくり煮込んだ豚もつ煮込み350円。これは安い!
「盛りは少なめですが、一人で来てもいろいろ食べられるように、1品あたりの単価を安くしているんです」と宮本さんは話す。
この店の会計システムがちょっと変わっている。席に着いたら各テーブルやカウンター上に備えられたカゴに、一人あたり2000円くらいの現金を入れる。料理が運ばれるとスタッフがかごの中から代金を持っていく。つまり、キャッシュオンデリバリーというわけだ。現金がなくなったらオシマイというシステムだから、最後の会計時に「いくらかかったかな?」と気にすることなく飲める。
メニューは多いけど、迷ったらまずはハラミ炙りを
「肉には自信があるんです」と宮本さんが話す。聞けば、友人が営む肉卸問屋から仕入れているそうで、ハラミ炙り750円、レバてき、ハツてき、上ミノ炙り各650円は「ぜひ食べてほしい」と胸を張る。なかでもハラミ炙りは売切れ必至の人気料理なので、早めのオーダーを。
とりからも名物メニューの一つ。2個から注文できて、ラッキョタルタル、油淋ソース、おろしポン酢から味を選べる。2個350円、4個600円、6個800円。
アイデア料理と楽しい演出
この日は仕込み中で味わうことができなかったが、名物料理の一つに納豆刺450円がある。ひきわり納豆を海苔で巻いて凍らせ、ルイベ状になったものを薄切りにして醬油をつけて味わう。凍った納豆が口の中で溶けていく食感が楽しい。「納豆を凍らせただけなんですが、こうした意外性のあるものって酒のつまみにはぴったりなんです」と宮本さんは話す。
酒もオールラウンドの品ぞろえ。日本酒や本格焼酎は日々の仕入れで銘柄が変わるので、品定めは店内中央に設置した冷蔵庫をのぞいて決める。芋焼酎や麦焼酎のボトルは(4合)やかんで提供される。こんなところにも楽しく飲んでほしいという店からのメッセージが込められている。
秋葉原の横丁、飲食店が連なる街並みの中でも昭和レトロ感を漂わせる外観はちょっと異質。店頭ではドラム缶テーブルで立ち飲みをし、ポスターやメニューに囲まれた店内のテーブル席も大盛りあがり。通りを歩いているだけでも店の活気が伝わってくる。店の片隅で飲んでいるだけでも元気がもらえそうな気がする。今日の疲れを吹き飛ばすならこんな店がいい。
取材・文・撮影=塙 広明 構成=アド・グリーン