ポスター跡は、街中の意図しないアート
壁や自動販売機、ゴミ捨て場、地域の掲示板。そこに貼られたポスターを見ることはあっても、剥がした跡に注目したことがあるという人はどれくらいいるだろうか。
カメラマンの齋藤洋平さんは、多種多様な「ポスター跡」を撮り続けている。
「コロナ禍で散歩くらいしかやることがなかった時に、近所で偶然、地下道の入り口のポスター跡に目が留まったんです。近づいて細部を観察してみると、テープが乾いてパリパリになった様子がグラフィカルで。作ろうと思って作られたテクスチャー感じゃない、意図しないアートのようでグッと来ました」
「そのまま歩いていたらすぐに2枚目も見つかって、同じ日のうちに5、6枚、ポスター跡の写真が撮れちゃったんです。
もともと散歩は好きで、毎回なにか撮影テーマを決めて歩いていました。ポスター跡は初めて撮ったその日に何枚も見つかったことで『これは無限に観察できるな』と、その後も撮り続けるきっかけになりました」
ポスターは、表側がメインで、裏面のテーピングはあくまで裏方。剥がした跡のことまで考えてテープを貼る人はほとんどいないだろう。だからこそ、長年のテープ跡の蓄積が意図しないデザインを生み出すことがある。
「ポスター跡の魅力の一つは『街中の意図しないアート』という点です。ポスター跡の中には、ジャクソン・ポロックのペンキを撒き散らした抽象画のようなものや、ピエト・モンドリアンの構成された作品のようなものもあります。
上の2枚の写真は、高円寺や上野の高架下で撮影したものです。少し猥雑な雰囲気がある地域性が、ポスター跡に現れていますね」
ポスター跡には貼り主の性格がにじみ出る
ポスターの貼り方には正解も正式なルールもない。だからこそ、ポスター跡から貼り主の性格が垣間見えることもある。
「もともとデザインや写真をやっていたので、いかに少量のテープで効率よく貼るかについて考える機会が結構多かったんです。最初にポスター跡が気になった時も、『ああ、この人はこうやって貼ったんだ』というポイントにも注目してしまいました。
たとえばこの写真なんか、テープのことを結構過信していますよね。それか、すぐに剥がす予定だったのか。どんなテープを使っているのかも気になってしまいます」
「クロスや片方だけのスラッシュは、スタンダードな貼り方ですね。跡もかっこいいし、『わかるなあ』と思います」
「このシンメトリーなポスター跡は、数学的ですよね。なかなかこういう貼り方は思いつかない。独特な美学を感じました」
「一方この貼り方は、超適当。このポスター跡があったのはお店でしたが、もし僕が店長だったら、こんな貼り方をしたスタッフはちょっと信用できないかもしれません(笑)。でも、これはこれで芸術的です。僕はどちらかというと几帳面な方なので、超適当な方がむしろ面白いですね」
「電柱にランダムに貼られたテープは、使っているテープが同じなのでおそらく同じ業者さんですよね。ケチって使っている人と、大きく使っている人が混在している。新人が大きくカットして使ったら『このテープは強力なんだから細くていいんだよ』って、怒られたりして。僕も強力なテープはポイントで貼ればいいと思うタイプなので、たくさん使う人がいたら『そんなに使わなくていいよ』と思ってしまいそうです(笑)」
「『わかるなあ』という場合と、『こんな貼り方する?』という場合があって、ポスター跡には貼った人の思想や性格が見えてくるのが面白いです。ポスターを貼るときには、貼ることにしか集中せず、剥がした跡がどうなってしまうのかまで考えていない。また、そこに貼り主の思想が無自覚に漏れているのにもあまり気づいていない。
誰も覚えておらず、跡だけが物語っているのがいいですよね。
ポスターという情報がないと、そこに存在しているのにほとんどの人は通り過ぎて、意識してみようとしない。だからこそ、貼り主の無意識の癖や意図しないグラフィカルな表現を読み解いていくのが楽しいです」
ポスター跡が物語る地域性
繁華街からご近所まで、様々な場所でポスター跡を鑑賞してきた齋藤さん。ポスター跡を鑑賞するのにおすすめの地域はあるのだろうか。
「情報の入れ替えが激しく、歴史やごちゃつきの美のある街では、味わい深いポスター跡をたくさん発見できます。これまで訪れた中だと、上野や高円寺は面白かったですね」
ご近所で見つけたポスター跡から、意外な地域性を発見したこともあるそう。
「近所の公民館で見つけたポスター跡です。毎回お知らせを貼っている場所で、おそらく一番外側の枠が、過去一番大きいサイズのポスターだったのでしょう。それがなくなっても新しいポスターを別のところに貼るわけでもなく、外側の枠からはみ出さないように、几帳面に内側に貼っている様子が分かる。好き勝手に貼ったポスター跡も多い中で、剥がした跡まで気にする律儀さがいいな、と思いました。
また、そんな地域性のあるところに自分が住んでいると知れて嬉しかったです」
「このポスター跡も、今住んでいる伊豆市のごみ集積所で見つけました。迷彩柄のようで、絵画的でかっこいいですよね。いろんな種類のテープが使われていて、年輪も感じます。
ポスター跡は、勝手に都会の繁華街に多いのかなと思っていたんですが、今住んでいる地域でも、几帳面で素敵な地域性を感じられたり、絵画的なポスター跡が2枚見つかりました。
これをお読みの方も自分の住んでいる地域を散歩してみると、『ちゃんとしているな』『めちゃくちゃだな』など、ポスター跡から自分の住む場所の地域性が見えてくるかもしれません。
旅先でもポスター跡を1枚撮って帰ると、その地域を別の角度から、解像度を上げて楽しむことができるので、気分が盛り上がります」
無意識に通り過ぎてしまうささやかなものこそ、記録したい
現在、インスタグラムでポスター跡の写真投稿を続けている齋藤さん。発信を続けるうちに、日本以外の人からも共感のメッセージをもらうことがあるという。
「フォロワーは、アジアを中心に海外の方が多いですね。街角に貼られた『南無阿弥陀仏』シールを撮り続けている方や、『No Parking(駐車禁止)』と書かれた壁を撮り続けている方など、海外のさまざまな路上観察者から『ポスター跡の写真、いいね』とメッセージをいただいたこともありました。
ポスター跡って、国を問わず世界各地にあると思うんです。世界中の方に共感してもらえるのは嬉しいことですね」
齋藤さんは、ポスター跡以外にも、路上の自動販売機や放置された傘など、様々な対象物を撮影し続けている。齋藤さんにとって、路上観察とはどのような時間なのだろうか。
「記録しなければ記憶にも残らず消えていってしまうものでも、写真に撮って集めることによって、様々なものが浮かび上がってくるのが面白いんです。自動販売機もポスター跡も、一枚一枚の写真は何てことない風景ですが、ほとんどの人が通り過ぎてしまうなんでもないものこそ、集まるとそれぞれの背景や場所の特性が見えてきます。
無意識であるものこそ、僕が記録しないと誰も目に留めないという変な使命感もあって、写真に撮っておきたいと思いますね」
なにかにピントを合わせてみる。一枚一枚はささいなものでも、それを記録したり見比べたりしてみると、日常風景に埋没していたものの中から何かが見えてくる。
気づいていないだけで、街中にはそういった世界の断片が無数に散らばっているのだろう。
取材・構成=村田あやこ
※記事内の写真はすべて齋藤洋平さん提供