『渋谷で5時』(1993年)
最近のハチ公は近寄りがたい存在に!?
その後も『ヒカリエ』とかいろいろできた。地上にあったはずの東急線が地下に移動したりして、慣れていないと大人でも道がわからなくなる。
それだけに、モアイ像やハチ公を見つけた時には、やっと自分の現在位置が把握できてホッとする。
しかし、いまはハチ公の存在感ってかなり薄れているよなぁ。80年代頃までは、渋谷での待ち合わせとくれば必ずといっていいくらいに、
「じゃあ、ハチ公前で」
そういうことになったものだが。90年代になると違う、そうじゃない。
最近人気が再燃して2022年の紅白歌合戦でも歌われた『違う、そうじゃない』のレコードB面には、鈴木雅之と菊池桃子がデュエットした『渋谷で5時』が収録されていたのだけど、たしかに世の中はもうそんな感じだった。いちいち細かく待ち合わせ場所を決めなくても「渋谷で5時」と、この程度のアバウトさで出会うことが可能になっていた。
誰もがポケベルを持つようになっていたから、テキトーに喫茶店に入って居場所を伝えればそれですむ。
そうそう『渋谷で5時』も、ポケベルのCMソングだった。あの頃はやたらテレビから流れていたから、いまも夕刻の渋谷を歩くとあの曲が幻聴のように聞こえてくる。40代以上にはそういう人も多いのではないか?
ポケベルが普及し始めたのが80年代後半。それ以前は、待ち合わせの場所がとっても重視されていた。家を離れるともうお互い連絡はつかない。待ち合わせに失敗すればその日は会えなくなってしまう。だから確実に出会える場所で、確実に見つけてもらえるよう努力しないといけない。夕景をぽや〜んと眺めながら楽しむ余裕はなかった。
人があふれるハチ公前で、約束の時間になっても相手の姿が発見できないと不安になってくる。見つけてもらえないと困るから「ハチ公の尻尾のところ」「ハチ公の右足」とか、立ち位置もかなり細かく決めていた。はじめて渋谷で待ち合わせた時、ハチ公の尻尾を必死で掴んでいたのを思いだす。
しかし、いまのハチ公はといえば……広場でぽつんと孤立している。その周辺にはあいかわらず人が多いけど、なぜかみんなハチ公を避けるようにして近寄らない。その少し後ろには外国人らしき人々が記念写真の行列をつくって待っていた。
ああ、そうか記念撮影の邪魔にならぬよう、みんな忖度して離れているのだな。ハチ公との距離の遠さに、30年の時の隔たりを感じるよなぁ。あの尻尾や前足を必死で掴みながら友人を待っていた頃が懐かしい。
『MajiでKoiする5秒前』(1997年)
90年代の渋谷は怖くてちょっと苦手……
1997年に発売された広末涼子の『MajiでKoiする5秒前』がヒットしていた頃は、さらに「待ち合わせ場所」を気にしないですむようになっていた。
数年間で世の中はさらに進歩している。1997年はPHSが契約700万台のピークに達した年でもあり、すでに高校生の間にも普及していた。渋谷に着いてからPHSで連絡を取りあえば、相手の居場所はすぐ分かる。「待ち合わせ場所」なんて言葉は、昭和時代の死語ってな感じ。
文明の利器のおかけで待ち合わせの問題は解決したが、しかし、それでも渋谷の待ち合わせには不安がつきまとう。渋谷はちょっと苦手。と、歌詞にも腰が引けた感じが見てとれる。
渋谷は、そこにあまり馴染みのない人にとって異世界の魔境になっていた。
渋カジ・ファッションとか流行り始めた90年代初頭の頃、夜のセンター街は怖かった。チーマーの抗争とかエアマックス狩りとか、怖い話を聞くし、幻覚キノコ(当時は合法だった)が路上で堂々と売られている。新宿や池袋と比べて無法地帯感が濃厚だった。90年代後半も、そういったイメージが定着していただけに。
また、あの頃のスクランブル交差点を歩く女性たちの半分以上がド派手な化粧とファッションの“ギャル”や、その女子高生版の“コギャル”だった。そんな印象がある。水木しげるさんの妖怪漫画に出てきそうな“ヤマンバギャル”も昼間から普通に見かけた。
渋谷がそんな感じになったのは『109』の存在が大きい。
1978年に『109』が開店した時には、20代後半の女性をターゲットにした大人のブランド店が中心だった。が、90年代に入った頃に10代の若者向けにシフトチェンジ。90年代後半に安室奈美恵に憧れるアムラーが出没したあたりから、道玄坂にそそり立つ特徴的な建物が存在感を増してくる。全館ほぼギャル向けファッションの店で占められ、ギャル向け雑誌などによく登場するカリスマ店員が話題になったりもして、ギャルたちの聖地になっていた。
そりゃ、まあ……郊外で暮らす普通の女子高生は腰が引けるだろうな。
『MajiでKoiする5秒前』の歌詞では道玄坂を避けて、公園通りでデートを楽しんでいる。チーマーやギャルが跋扈(ばっこ)する遙か以前から、渋谷は若者の街。その頃は道玄坂やセンター街よりも、若者たちの目は公園通りに向いていた。
70〜80年代のパルコは買い物するだけの場所じゃない。アートや演劇、出版などの情報発信基地といった感じ。1985年には内田裕也をNYのハドソン川で泳がせるなど、CMでも一世を風靡(ふうび)するようになり、そのイメージは強くなっていた。
90年代の若者は大人をガン無視して、独自路線を突っ走っていたけど。80年代の若者は大人たちの背中を追いかけ追い越そうと背伸びした。だから服装にも大人以上にお金を使ったDCブランドを着て上品でもある。
『MajiでKoiする5秒前』を作詞・作曲した竹内まりやは、当時の公園通りを歩いていたお洒落な若者たちの世代とかぶる。90年代になった頃には40代の大人。やっぱ、道玄坂は避けたくなる。女子高生ではなく、10年前は若者だった大人の目線でもそうなる。
『サイレントマジョリティー』(2016年)
ハチ公にも触れない、そんな渋谷はもう嫌だ!!
そして、ヤマンバギャルが跋扈する狂乱の世紀末から、21世紀になって。正気を取り戻そうとした渋谷では「大人の街」の再建をめざした大改造が始まる。その過渡期に「大人への反抗」っぽいコンセプトでデビューしたのが欅坂46だった。
2016年4月に発売された彼女たちのデビューシングル『サイレントマジョリティー』のMVが撮影されたのが、旧東急東横線渋谷駅ホームの工事現場。また、山手線ホームの人混みで踊るメンバーの姿もちらりと映る。ああ、そうだよ。山手線ホームも2023年1月に大改造されて、当時とは形状がかなり変わっている。
さて、度重なる工事で渋谷はオトナに生まれ変われたのだろうか? その問いに対して大人の私が思うのは……ギャルや渋カジのチーマーに囲まれている頃よりもっと、いまの渋谷は居心地悪い。
昔の記憶がこびりついた世代には、駅や街が変わる都度に居心地の悪さが増してくる。現在位置さえ把握できない怖い場所で、落ち着いて楽しめるわけがない。だから、昔から変わらぬ姿で同じ場所にあるハチ公を見ているとホッとする。近くに寄って頭でも撫でてやりたくなるのだけど……いまの時代は近くには寄れない。記念撮影の邪魔になるから。ああ、面倒臭い世の中だなぁ。
取材・文=青山 誠