2023年1月の中旬、札幌に住む中学時代からの友人・知世(仮名)が東京に遊びに来て、ふたりで浅草に行った。

知世は実家からそう遠くない場所で一人暮らしをしていて、私が札幌に帰省するたびに会う。中1のとき、私がいたクラスに彼女が転校してきたことで知り合ったのだが、今のように仲良くなったのは大人になってからだ。私と知世を含めた4人で会うことが多いが、私たち以外は子育て中のため、最近は2人で会う機会も増えている。背がスラっと高くておしゃれで、シャイだけれど意外とミーハーな友人だ。

LINEでどこに行くか相談していたとき、知世が浅草を候補に挙げたので、「浅草でレンタル着物を着て街歩きしようよ」と提案してみた。前から一度やってみたかったのだ。レンタル着物なんて若い子みたいなこと、知世は恥ずかしがるかと思ったが、彼女は意外にも乗り気で、レンタル着物屋さんも調べてくれた。

当日は10時に浅草駅で待ち合わせたが、お互いのいる出口が離れていて駅構内で合流できず、いっそレンタル着物屋さんで集合することにした。

レンタル着物屋さんはビルの2階にあり、細い階段を上がっていくと店内にはすでに知世がいた。彼女はリフレッシュ休暇を利用して5泊の東京一人旅をしている最中で、京橋のホテルに滞在している。お正月も地元で会っているので、久しぶり感はまったくない。

ああだこうだ言いながら、ずらっと掛けられた着物を物色する。もう30代後半なので渋めの色と柄にするつもりだったが、つい、黒地に赤と白の大輪の花が描かれた華やかな着物を選んでしまった。知世はというと、白地に紫のややエスニックな柄が入った着物を選んでいた。色白な彼女によく似合う。

着つけてもらって髪をセットしてもらい、半幅帯とバッグと草履を選ぶ。オプションで羽織もつけた。私は白黒の細かいフクロウ柄(遠目にはギンガムチェックに見える)、知世は着物より濃い紫の花柄。知世は私のコーディネートを気に入り、「さすがセンスの塊!」と盛んに褒めてくれた。知世は昔から私のセンスを過大評価している。

レンタル着物屋さんを出て、まずは浅草寺に向かった。地図を見なくても方角がわかる。実は12月中旬の私の誕生日、夫と浅草でデートをしたのだ。そのときは別れる気なんてなかったのに、年末に急に限界が来てしまい、離婚を決意した。知世と会ったこの日は、まだ正式に離婚はしていないものの、話し合いはもう終わっていた。

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浅草寺の参道はお土産やお菓子のお店がひしめき、大勢の観光客でにぎわっていた。外国人観光客の姿も多い。私たちのように着物を着ている人も多く、そのほとんどが自撮りをしていた。YouTuberなのか、動画撮影しながら歩いている人もいる。

浅草寺をお参りして、おみくじを引いた。私は末小吉だった。吉の中で一番下らしいのだが、「これ凶じゃないの!?」と思うほど辛辣なことばかりが書かれている。病気は長引き、失くし物は戻ってこず、旅行も結婚も交際もやめておいたほうがいいらしい。特に「運命の者とも別れずに済むでしょう」と書いてあるのが気になる。知世は私のおみくじを覗きこみ、「夫さんのこと?」と言った。いや、困るよ。別れるんだから。

そのあとは浅草寺周辺の通りを散策し、夫と来たときに気になっていた「浅草メンチ」を買い食いした。ひき肉と玉ねぎの自然な甘さがいい。

ランチを食べるお店を求めてうろうろするが、なかなか決められない。散々うろついた末、古そうな味のある喫茶店を見つけて入る。私はピラフ、知世はフルーツサンドを食べながら、午後の行き先について話し合った。

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喫茶店を出て、まずは占いのお店に行った。大きな決断をしたばかりの身としては、今年の運勢が気になるところ。しかも私は新年早々ジャニーズの舞台のチケット詐欺に遭ってしまい、被害金額は大きくないものの、「この一年、ずっと運勢が悪かったらどうしよう……」と戦々恐々としていたのだ。

知世は「私は言われたことぜんぶ鵜呑みにしちゃいそうだからやめとく」と言いつつ、私の占いに付き合ってくれた。

お店には3人の占い師がいて、私は手相を専門とする女性の占い師を選んだ。年は私よりも少し年上だろうか。

占い師は私の手相を見るなり「今まですごく我慢してきた方」と言った。隣で知世が「当たってる!」と言いたげに、目を丸くして私を見ている。離婚までの経緯を知っているからだろう。

「もともとはすごく負けん気が強い性格だったけど、大人になるにつれていろんなことを飲み込んで飲み込んで、すっかり丸くなった方です」

その言葉にも、知世はうんうんと頷く。

その後も、占い師は次々と私の性格を言い当て、未来を予想していった。

「生まれ持ったものを表す左手には仕事や財運を表す線がない(!)が、現在を表す右手にはくっきりとその線が出ている。自分の努力で後天的に仕事の能力を得た方」

「いつも『自分はダメだ』と思っている方。自己肯定感の低さから、ダメな男性に寄ってこられる」

「40歳くらいで新しい出会いがあり、再婚の可能性もある」

気になる今年の運勢については、バーッと並べたカードから1枚を選ぶよう言われた。私が選んだカードは霧がかかった湖のカードで、「物事がよく見えていない暗示。もっと注意深く、慎重に見るようにして」と言われる。たしかに、よく見えていなかったからこそチケット詐欺に引っかかったのだろう。

私の占いが当たっていたからか、「私はやめとく」と言っていた知世も占ってもらうことにした。

知世は旅行などの「移動」をすると運気が上がるらしい。そう言われて、彼女は「会社の部署異動も入りますか?」と尋ねた。移動と異動では漢字が違うが、占い師は「部署異動も運勢がよくなる兆候」だと言う。それを聞いた知世は複雑な顔をする。昨年、新卒から勤めている会社で異動があり、新しい部署での仕事が気に入っていないのだ。

また、「人気があって、常に周りに人が集まる方」と言われたときは「えー、そうかなぁ」と納得がいっていない顔をした。しかし、私は当たっていると思う。知世は昔から常に仲のいい女友達がいて、よく友達と旅行に行く。一緒に旅行するほど仲のいい友達がいない私は、いつも彼女が羨ましかった。

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そのあとは浅草神社でお参りをし、Googleマップを見ながら少し離れたところにある今戸神社まで行ってみた。途中、通りすがりの老夫婦から「お着物、とってもよく似合ってる!」と褒められて嬉しい。

レンタル着物屋さんで着物を返却するとき、お店の方にツーショットを撮ってもらった。「楽しかったですか?」と聞かれたので、「すごい楽しかったです~! 30代最後のいい思い出になりました!」と答えたら、あとで知世に「わざわざ30代最後なんて言わなくていいのに!」と叱られた。だって、この歳になってレンタル着物を楽しめるなんて思ってなかったんだもの。

レンタル着物屋さんを後にして、銀座線で上野に移動する。時刻はもう夕方で、すっかり暗くなった上野公園を散歩し、ガヤガヤとにぎわうアメ横を散策して、居酒屋で早めの夕飯をとった。

知世の東京旅行も今日が最終夜だ。明日の今頃にはもう、彼女は札幌にいる。

私はサワー、知世はソフトドリンクを飲みながら、お互いの仕事や今回の旅行の話などをして、遅くなりすぎないうちに店を出た。一緒に銀座線に乗り、京橋で降りる知世を見送った。

すらりとした知世の背中がホームの人ごみに消えていくのを眺め、私は深いため息をつく。安心したのだ。こんなふうに休日を楽しめるうちは、私は何があっても大丈夫だろう。

私は1年半前から夫と別居していて、一人暮らしだ。一人暮らしな上にフリーライターなものだから、取材以外は人に会うこともなく、ひたすら家で一人で仕事をしている。何日も誰とも話さないことなんてざらだし、最後に笑ったのがいつだったか思い出せないくらい、笑うことも少ない。

そんな生活をしていると、ふと「私の人生に楽しいことなんてあるのかな」と思ってしまう。

だけど、あるのだ。それはたとえば、今日のような日。気心知れた友達と着物を着て街歩きするなんて、楽しいこと以外のなんだろう。実際、とても楽しかった。たくさん喋ったし、たくさん笑った。

この先もきっと、私は寂しくて退屈な日々を過ごすのだろう。離婚することで、寂しさと退屈さは増すかもしれない。

だけど、大丈夫だ。寂しくて退屈な日々の中にも、今日のような楽しい一日がある。だから私はこれからも生きていける。

大丈夫、大丈夫と心の中で繰り返し、表参道で千代田線に乗り換える。町田に着いたらチューハイを買って、家で一人で飲もうと決めた。

文=吉玉サキ(@saki_yoshidama

方向音痴
『方向音痴って、なおるんですか?』
方向音痴の克服を目指して悪戦苦闘! 迷わないためのコツを伝授してもらったり、地図の読み方を学んでみたり、地形に注目する楽しさを教わったり、地名を起点に街を紐解いてみたり……教わって、歩いて、考える、試行錯誤の軌跡を綴るエッセイ。
寝ても覚めても彼らのことを考えている。昨年から、関西ジャニーズJr.の6人組「Aぇ! group」にどハマりしているのだ。きっかけは、なにげなく見ていた「なにわ男子」のYouTube動画にAぇ! groupというワードが出てきて、「へぇ、そういう人たちがいるのか」と動画を見てみたこと。第一印象は「なんかアイドルっぽくない人たちだなぁ」。アイドルというより面白い大学生って感じだ。全員トーク力が高く、普通に話しているだけで笑いが生まれる。だけどそれほどテンションが高いわけではなく、見ていて心地がいい(あとで知ったが、メンバーの半数が20代後半なので落ち着いているのだ)。「安心して見ていられるグループだなぁ」と動画を見ていたらパフォーマンス動画を見つけ、歌とダンスのかっこよさにやられてしまった。トークとのギャップがものすごい。なんていうか、濁流に飲まれるように引き込まれてしまう。私はあらゆる配信サービスを駆使してAぇ! groupの映像を見漁った。たぶん、合法的に視聴できる過去映像はほとんど見たと思う。ライブチケットを取るため『ジャニーズJr.情報局』に入会したし、大阪エリアのラジオ放送を聴くためradikoに課金した。言わずもがな、メンバーがテレビに出れば必ず視聴する。まさか自分が、年甲斐もなくジャニーズにハマるとは。自分でもビックリなのだが、気づけばいつも彼らのことを考えているのだった。
秋だからだろうか、ときたま無性に寂しくなる。前提として私は一人暮らしだ。結婚しているのだが、ここ一年と少し、夫は地方にある自分の実家で暮らしている。夫の実家では高齢の義父と義母が二人で暮らしていたが、義父の認知症が進んで義母の手に負えなくなったため、夫が同居するようになった。夫はフリーランスのイラストレーターなので、居住を移すことが可能なのだ(ちなみに義父は認知症だが元気なため要介護度が低く、訪問介護サービスを受けている。施設ではなく自宅で介護しているのは夫の意思で、私も彼の選択を尊重しているつもり)。夫には都内で働く弟がいて、月に一度、週末に介護を替わってくれる。その間だけ、夫は東京の我が家へ戻ってくる。つまり、私と夫は月に一度しか会えない。友達からは、夫と一緒に暮らせないことを「可哀想に」と言われる。夫や義母からも「一人にしてごめんね」と謝られる。しかし、私は自分を可哀想とは思わない。むしろ、家族なのに介護を手伝えないことを申し訳なく思う。私ももっと夫の実家に行けたらいいのだが、仕事が忙しくてなかなか時間を作れないのだ。そんな私に夫は、「僕は僕で今の生活を楽しんでるから、サキちゃんは僕に遠慮しないで自分の生活をめいっぱい楽しんでね」と言ってくれる。そんなわけで私はこの状況に納得しているのだが、ときたま、発作のような寂しさに襲われることがある。「それ」がやってくるのは大抵、仕事と家事を終えた夜の時間帯だ。ほとんどの夜は本を読んだりラジオを聴いたりして寂しさが入り込む隙を作らないようにしているが、たまに失敗して、心にヒュっと寂しさが入り込んでしまう。寂しさは即効性のある毒のようなもので、あっという間に全身に回る。気づけば、愛用の手ぬぐいは絞れそうなほど涙でびしょびしょ。嗚咽が漏れ、ホラー映画に出てくる幽霊のように「寂しい、寂しい」と呻いてしまう。「寂しい」と夫に言えば、罪悪感を抱かせてしまう。友達に言えば心配をかけてしまう。そもそも愚痴を言いたいわけじゃない。誰かと話したいだけだ。でも、夫に電話すれば「寂しい」と言ってしまうだろう。じゃあ、なにげないふうを装って友達に連絡しようか。そう思うものの、友達はみんな仕事や子育てで忙しく、遠慮してあまり連絡せずにいるうちに、用件なく連絡する術を忘れてしまった。LINEのトーク一覧を遡り、誰かに声をかけられないか考えてみるけれど、話題が思い浮かばなくてスマホを放り投げる。私って友達いないなぁ……。そう思うとますます寂しくなって、すすり泣きが一段と激しくなる。こうなったらもう、人とつながることで寂しさを解消するよりも、孤独と共存する方法を考えたほうがいいのかもしれない。寂しさを飼い慣らすのだ。そのためには、一人の時間をもっと楽しめればいいのかも……。そんなとき、ラジオでなにわ男子の大西流星くんが「明日はオフだから一人で山形に行ってくる」と話していた。朝6時台の飛行機に乗って、おいしいものを食べて、帰りは新幹線で帰ってくると言う。私よりもはるかに忙しいであろう彼が、たまのオフに弾丸一人旅をしているとは。その気力がまぶしい。思えば、私は一人旅をあまりしない。一人旅どころか、都内でも「目的が明確じゃない外出」をすることはほとんどない。買い物や観劇など、目的があるときは一人でも出かけるが、目的なくブラブラするのは苦手なのだ。一人だと時間を持て余してしまいそうだし、退屈しそうだから。だけど、たまには目的なく散歩してみようか。一人散歩を楽しめるようになったら、この底抜けの寂しさをもっと飼い慣らせるようになるかもしれない。そんなわけで、次のオフに行ったことのない街へ行ってみることにした。どこにしようか考えて阿佐ヶ谷に決める。阿佐ヶ谷は前から行ってみたいと思いつつ行ったことがなかったし、次のさんたつの特集があるから。そうと決めたら、ワクワクする気持ちと億劫さがない交ぜになった。大西流星くんも山形に行く前はこんな気持ちだったろうか?