この度筆を執らせていただく、熊本城おもてなし武将隊、加藤清正の末娘・八十(やそ)と申しまする。八十姫と呼んで下さりませ!
此度は、わたくしが生まれ育った熊本城を、姫の実家訪問よろしく楽しんでいただけたらと思いまする。熊本地震からの復旧が進む熊本城の魅力、お伝えしてまいるぞー!
熊本城おもてなし武将隊とは
「戦乱の世を駆け抜けた九州の名だたる武将・姫が、日ノ本を盛り上げるべく現代の世に蘇り、熊本城に集結。」……と、これは公式ホームページに載っておりまする。せっかくですから、だれか一人でも覚えていただけるよう、簡単にご紹介!
我らの大将「加藤清正」。時折炸裂する天然キャラが愛される所以でしょうか!(黒い直垂)
戦国の世で文武両道を極め、現代では貴重なツッコミ役の「細川忠興」公。(深緑の直垂)
海の司令官として世界に名を馳せた、迫力の演舞が魅力の「小西行長」公。(濃紺に灰色の直垂)
江戸幕府にも恐れられた鬼猛将、今では誰より優しい最年長「島津義弘」公。(コケ色の直垂)
戦国一の頭脳を誇る天才軍師、細やかなおもてなしが素晴らしい「黒田官兵衛」公。(薄紫の直垂)
長崎の名家出身で清正の大親友、金魚すくいがプロ級の腕前「大村喜前」公。(茶色の直垂)
誰より主君に忠実な筆頭家老、2022年に蘇ったばかりの「松井興長」公。(濃い紫の直垂)
二人の肥後大名(小西・加藤)に仕えた、ソフトクリームソムリエ「南条元清」公。(赤紫の直垂)
ここに、わたくし八十を加え、毎日「開門口上」や「おもてなし演舞」など、熊本城を盛り上げるべく活動しておりまする。SNSも活用して熊本城の魅力を発信しておりまするので、魅力たっぷりの武将隊にも会いに来てくださいませ!
日本三名城のひとつ、落ちない城
皆さま、日本三名城はご存知でしょうか?一般的に広く言われているのは、名古屋城、大阪城、そして我らが誇る熊本城でございまする。
世界遺産の姫路城や、今は皇居となっている江戸城を加える説もありまするが、九州の田舎にぽつりと築城された我らの城が名を連ねているのは、なかなか鼻が高いのでございまする!
現在の熊本城は、2016年に起きた熊本地震からの復旧工事が各所で行われており、「特別見学通路」からご見学いただけまする。熊本地震後に建設されたこの通路は、エレベーターやスロープも備えており、どなたでも見学しやすい造りとなっておりまするよ!
特別見学通路で最初に目に入るのはこの建物。「数寄屋丸二階御広間(すきやまる・にかいおんひろま)」と呼ばれ、400年前には客人をおもてなしする遊行の場として使用されておりました。
熊本地震によって土台の石垣が崩れてしまい、中に入って見学することは出来ませぬ。しかし、崩落部分から石垣の構造を知ることができるので、今のうちにご覧いただきたい景色のひとつとなっておりまする。
数寄屋丸二階御広間は、遊行空間ではございましたが、そこは難攻不落の熊本城。敵の侵攻に対する備えも万全でございまする。
例えば、建物の下部に並ぶ長方形の小窓。これは「狭間(さま)」と呼ばれ、建物の中から矢を放ったり鉄砲を撃ったりする為の仕掛け。有事の際には、建物にいくつも設けられた狭間を使い、外の敵兵めがけて攻撃できるのでございまする!
また、石垣の隅を登ってくる敵に対しては、「石落とし」とよばれる設備を設けておりまする。石や砂、はたまた熱湯やアツアツの油などを投げ落とし、櫓への侵入を阻止できる仕掛けでございました。
「狭間」や「石落とし」は比較的よくある防衛設備ですので、他所のお城でご覧になったことがあるかもしれませぬが、熊本城はその他にもまだまだ防衛の仕掛けがありまするよ!
映え!復興を見守る特別な眺め
さらに歩みを進めると、銀杏やクスノキの木立を抜け、堂々たる天守閣が目に飛び込んでまいりまする!
この位置から見える熊本城は、特に絶景!手前には「二様の石垣(にようのいしがき)」、その上に「本丸御殿」、奥には「大天守」が見え、写真撮影におススメの映えスポットとなっておりまする。
ちなみに、鹿児島の島津家を警戒して築城されたので、大天守は南向きに造られたと言われておりまする。というわけで、こちらが正面の景色なのじゃ!(※正面については諸説あり)
二様の石垣は全国的にも珍しく、積まれた時代が違う石垣が並んでそびえ立っておりまする。加藤清正時代に積まれた石垣の横に、本丸御殿を建てるための石垣を拡張したことで、このような特殊な構造が生まれたのです。
また、反対側を見下ろすと、幾重にも折れ曲がる不思議な形の通路がございまする。これは「連続外桝形(れんぞく・そとますがた)」という防衛設備。
四方を石垣に囲まれる桝形通路を、6回も連続して折り曲げることにより、敵の進軍速度が落ち、迷路のような通路に閉じ込められたところを、上から弓矢や鉄砲で一網打尽にしてしまう、恐ろしい仕掛けなのです!
このように、地上約6メートルの高さに位置する特別見学通路からは、熊本地震以前には見ることが出来なかった、高所からの特別な景色を楽しんでいただけまする。
熊本地震で各所に甚大な被害が出たことはまことに残念でしたが、特別見学通路からの景色は、復興が進む熊本城の歩みを間近で感じられる貴重なもの。復旧工事と共に、城内の景色は刻一刻と変化してまいりまするので、今しか見られない景色を堪能していただきたいのです!
暗闇を抜けて、見えてくる景色
階段をあがり、右手に市街地と阿蘇の山並み、左手に熊本城の石垣の石を切り出してきたと言われる山々の景色を楽しんだ後は、熊本城の名所として名高い「闇り通路(くらがりつうろ)」へと進んでまいりまする。
明かりが無ければ、隣の人の顔も分からないほど真っ暗だったと言われる闇り通路。実はこの場所、殿様の居住空間であると同時に政治の中心でもあった、本丸御殿への正式な「玄関」でございました。
かつては、闇り通路への入り口全てに門が建っており、大変セキュリティの厳しい空間でございました。殿様や客人を、本丸御殿へ安全にお通しするために造られた、特別な通路だったのでございまする!
その証拠に、この通路だけ、石垣の隙間に「漆喰(しっくい)」と呼ばれる白い建築材が塗り込められておりまする。漆喰にはすぐれた防火・防腐効果がございまするが、これをいちいち塗り込むのはお金と手間のかかること。いかに格式高い通路であったかをうかがい知ることが出来まする。
いよいよ!闇り通路を抜けると見えてくるのが、本丸にそびえる大銀杏と天守閣!
ここまでお疲れ様でございました。
熊本城天守閣は、大小の天守が連結している珍しい構造。熊本地震では、屋根瓦やしゃちほこが落下し、土台の石垣も崩落するなど、甚大な被害がございました。多くの市民が、熊本城の変わり果てた姿に心を痛めておりました。
しかし、熊本地震からわずか5年後の2021年3月、多くの皆さまの温かい声援とご支援のおかげで、天守閣は完全復旧!内部の展示も一新しており、1階「加藤時代」から始まり、階をあがるごとに熊本城の歴史を辿るような展示を楽しめまする。
さらに6階展望フロアからは、美しい熊本の街並みが一望できまするよ!あえて写真を載せませぬので、ぜひ皆様ご自身の目で見に来てくださいませ!
生き残った国指定重要文化財
最後は、400年前から残る熊本城唯一の多層櫓「宇土櫓(うとやぐら)」をご紹介いたしまする。
熊本城のほとんどの建物は、明治10年に起きた西南戦争の際、謎の失火によって焼失してしまいました。しかし、多層櫓で唯一、風上にあったことから焼失をまぬかれたのがこの宇土櫓でございまする。
「第三の天守」の異名をもち、国指定重要文化財にも指定されている立派な櫓で、他所のお城の天守に匹敵するほどの大きさを誇りまする。また、反りが美しい20メートル以上の高石垣の上にそびえておるのも魅力なのです!
しかし残念ながら、この櫓も熊本地震で甚大な被害を受け、今年から解体復旧工事が本格化いたしまする。春ごろには櫓全体に覆いがかかり、一旦解体されることになっておりまする。土台の高石垣も工事用の足場等が組まれ、美しい反りもしばし見納め。今のうちに目に焼き付けてくださいませ。
さあ、ここまで長うございましたが、お付き合いいただき有難うござりました。わたくしの実家、日本で一番すごいと思うておりまするが、いかがじゃったでしょうか!?
当初、2037年度完了と言われていた熊本城完全復旧は、復旧計画の見直しによって15年延長され2052年度の予定となりました。石垣の修復などの課題と共に、熊本城はこれまでよりさらに長い復旧の道のりを進んでまいりまする。
これまで以上に、多くの声援・支援をいただけると嬉しゅうございまする。熊本城に足を運び、ご自身の目で見ていただくのが一番の応援。この記事を読み、熊本城へ行きたくなった貴方さま!お待ちしておりまするよ!
では、そろそろお腹も空いてまいりましたので、城下町にくり出し、美味しいもので舌鼓でも打ってまいりましょうかのう。次回、城下町編!お楽しみに~。
撮影・文=八十姫(熊本城おもてなし武将隊)