徳川殿は六歳の時織田家の人質となった。

因みに徳川殿が織田家で人質生活を送った邸跡は名古屋市熱田区にあり、碑が立っておるぞ!

その二年後に人質交換にて今川家に移り長き人質生活を送った。故郷で岡崎に帰ったのはなんと十九歳になってからじゃ。

 

人質という存在は戦国時代には無くてはならないものであった。

では戦国時代の人質とはどのような扱い、そして暮らしをしておったのか。

紹介致そうではないか!

丁寧な暮らし、人質生活

現世に生きる皆々は人質といえばどんな印象を持っておるじゃろうか。

狭い部屋に閉じ込められ自由が無く、最低限の衣食しか与えられず、命の保証もない。

……そのような印象を持っておる者も多いのではなかろうか。

現世における人質とはその様なものやもしれぬ。

じゃが!戦国時代における人質とは、丁寧で安全な環境のもと、然程不自由のない暮らしを送っていたのじゃ!!

人質のふたつの意味

我らの時代の人質は大きく二種類に分けられる。

一つは敵の将や妻子を人質とする形じゃ。合戦の中で捉えたり、城攻めで降伏した敵をそのまま人質としたわけじゃな。

例えば信長様の子・御坊丸様は、武田家に岩村城を責められた時に降伏の証として甲府に下り、養育される。その後、武田の勢いに陰りが見え始めた頃。

織田家との同盟交渉の一環として信長様のもとへ返還された。

他にも敵対する両家が人質を持っておった場合に人質交換が行われることもあった。敵の内情を聞き出すだけでは無く、交渉を優位にするために重要な存在であったわけじゃな。

二つ目は主君が家臣の家族を臣従の証として取る形である。これは忠誠心を示させる意味合いがあったわな。

例えば真田幸村の名で有名な真田信繁殿は、上杉や豊臣家の人質であった。儂も賤ヶ岳の戦いに参陣した折には、柴田勝家様に臣従の証として娘の摩阿を預けておる。江戸時代、各藩主の妻子を江戸に住まわせたのもこれと同じ狙いと言えよう。

因みに家康殿は織田家の人質の時は前者、今川家の人質の時は後者に当たるぞ!!

家臣の子を人質とするのには優秀な未来の家臣を育てるという目的もあった。要は大名の手元において英才教育を受けさせるのじゃ!

徳川殿の場合は、当時日ノ本一とも言われた軍師、太原雪斎殿が師として付き、軍略や武士としての、主君としての在り方を叩き込まれておったと聞く。

これには次期今川家当主の今川氏真殿と年の近い徳川殿を、氏真殿の右腕として育て上げんとする今川義元殿の狙いがあったのであろうな!!

前者の人質は大切な外交の材料であるし、後者をぞんざいに扱えば家臣の反抗を招くこととなる、どちらにしても人質は大切に扱わねばならなかったわけじゃな。

人質の扱いの良さを紹介して参ったが、この辺りで人質の悪しき側面について紹介いたそう。

よき側面と悪しき側面

第一の問題点は命の保証がないことである。

人質をとった家臣が裏切った場合、人質である妻子は処断、すなわち殺されることとなる。処断しなければ人質自体が有名無実なものとなり、多くの裏切りを呼ぶおそれがある。故に厳しい対応が求められたのじゃ。

荒木村重が信長様を裏切った折もその妻子は処断された。

更には、その荒木村重に監禁されておった黒田官兵衛殿も、謀反の疑いありと信長様に見なされ、官兵衛殿の嫡男・長政の処断を命じられた。官兵衛殿と親しかった竹中半兵衛殿の機転で別の遺体を差し出し長政は助かったが、それほどに厳しく扱われた存在である事がわかるであろう。

第二の問題点は、外出が厳しく取り締まられたことじゃ。

これは当然といえばその通りであるのじゃが、やはり人質からすれば難儀なものであったことには間違いはない。

儂の死後、徳川殿のもとで人質生活を送った儂の妻・まつは湯治や旅行も時には許されており、比較的自由な生活が送れておった。

然りながら、加賀に立ち寄ることは一度も許されず、儂とまつの嫡男利長が没するまでの14年に渡る人質生活を送った。普段は気丈なまつも気が滅入り、徳川殿を度々罵っておったと聞いておる。例え良い待遇で迎えられようと、肩身が狭い思いをしておったのじゃな。

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この様に人質には良い面悪い面、様々な側面を聞き、人質の印象が変わったのではなかろうか。

特に徳川家康殿の人質時代は、耐え忍ぶ苦難の期間といった描かれ方をしてきた。

じゃが家康殿は殊に良い待遇を受けておったのじゃ。

前にも申したが、人質時代に得た戦略の知恵は天下人になるため、無くてはならぬものであろう。

現世の全寮制の進学校の様な感覚じゃろうな!!

少なくとも家康殿においては厳しくも非常に有意義な時代であったと言えよう!

これから歴史物語に触れる折には、人質に注目してみてちょうよ!

信長様に小姓として使えた儂や森蘭丸も人質、政略結婚で他家に嫁ぐ姫も人質、分家から本家に養子に行くのも人質じゃ!

今までと違った歴史が見えてくるじゃろう!

此度の戦国がたりはこれにて終い。

次回も楽しみにしておいてな!!

さらばじゃ!!

文=前田利家(名古屋おもてなし武将隊)