ほんの24時間前の自分は、夫の実家で年越しをする気でいた。けれど昨夜、急に「あ、無理だ」と思ってしまったのだ。コップの水が溢れるように、急に我慢の限界が来た。長年見て見ぬふりしてきた違和感を、もう無視できなくなった。
夫にLINEで、突然帰ってしまった非礼を詫びる。夫からは、私の心身を案じる返信が来た。
優しいなぁ、と思うと、涙が溢れてきた。同時に、彼と一緒にいた15年間の思い出も溢れてくる。15年間、本当に楽しかった。彼と出会う前より、出会ってからのほうがずっと幸せだ。
それでも、この先も一緒に生きていくことはもう無理だ。悲しくて、涙がどばどば出た。
この1年半、私は町田で、夫は北茨城の実家で生活している。夫は義父の介護のために実家に戻り、10月に義父が亡くなったあとも、「高齢の母を1人にしておけないから」と実家にいるのだ。
私は29日から1月2日まで、夫の実家で過ごす予定だった。
29日は茨城県の日立駅で夫と合流し、レンタカーで茨城と栃木の県境にある鷲子山上神社(とりのこさんじょうじんじゃ)に行った。以前お願いごとをしに行った神社で、今回は御礼参りだ。
鷲子山上神社に行ったらこうお願いしようと、私は何日も前から決めていた。お賽銭箱に千円札を入れて固く目を閉じ、神様に祈る。
「夫が働きますように。夫が陰謀論から目を覚ましますように」
私と夫は2018年に揃って前職を辞め、私はライター、夫はイラストレーターを目指した。私はガツガツした性格と運のよさでどんどん仕事を掴みライターになったが、夫は、たまに私経由で来る仕事を受けるだけ。仕事を得るために必死になって自分を売り込むことをしない。かと言ってイラストレーターを諦めて他の仕事に就くわけでもなく、ほぼ無職の状態が続いていた。「働いてほしい」と言うとそのときは行動を起こすのだが、すぐ元に戻ってしまう。そんなとき義父の介護が始まり、仕事をしなくていい理由を得た彼は嬉々として実家に帰った。
また、コロナ禍になって彼はいわゆる陰謀論と呼ばれるような思想や、スピリチュアルに傾倒していった。何度か「それは違うと思う」と言ってみたが、聞く耳をもってくれない。私も、争いが怖くてあまり強くは言えなかった。そうしているうちに彼はどんどんディープな世界に行ってしまい、価値観が決定的に食い違ってしまった。
鷲子山上神社に行った時点では、私はまだ夫に期待していた。夫が目を覚まし、まともに働いてくれるんじゃないかと。だから神様に祈ったし、絵馬にも「夫と仲良くいられますように」と書いた。裏を返せば、神頼みしなければ仲良くできないところまで来ていた。
けれど、鷲子山上神社から夫の実家に行き、夫が私に「ワクチンの匂いがする」と言い出したとき、急に「もう限界だ」と感じた。夫は反ワクチンだ。彼は、私がワクチンを接種したことを知っても怒らなかったが、たびたび私からワクチンの匂いを嗅ぎ取る。
また、「ワクチンを接種した人に近づくと影響を受けて具合が悪くなる。東京は人が多いからなるべく行きたくない」とも言う。私は1人で東京に住んでいるのに? ただでさえ寂しい思いをしているのに、頻繁に会いに来てくれないの?
夫のこういった発言は今に始まったことではなく、いつもは我慢して聞き流している。けれど急に「それでいいのだろうか」と思った。この先もきっと、夫はこういうことを言いつづける。彼の発言に対する違和感を飲み込みつづけて、私は幸せなんだろうか。そろそろ私も、問題に向き合うべきなのかもしれない。
30日の朝、母にLINEで相談した。夫が独特の思想に傾倒していることはうっすら話していたが、詳しい発言内容を伝えるのは初めてだ。
母からは「自分の人生は自分で決めていいんだよ。たまに会って楽しく過ごすことと、長い人生を共に歩くことは別物だからね」と返信が来た。「夫婦なんだから頑張りなさい」と言われるかと思っていたので、母の言葉にほっとする。
頭の中に「離婚」の二文字が浮かぶ。今までも何度か浮かんだことはあったが、そのたびに「だけど、いくつかの欠点を除けば最高のパートナーだし……」と打ち消してきた。今回も、同じことの繰り返しになるのだろうか。
そのとき、夫が部屋に入ってきた。心の準備をする間もなく、思わず「話があるの」と声をかけてしまう。私は布団から出て、パジャマ姿のまま座った。夫も私の正面に座る。まったく心臓がドキドキしていなくて、自分が冷静なことが意外だった。
「私はワクチンの匂いがわからないし、ワクチン接種した人に近づいても具合悪くならない。コロナやワクチンや世の中に対する考え方が、あなたとは決定的に違う。それに、働くことに対する価値観も決定的に違うんだと思う。この価値観のズレを放置してこの先も一緒にいるのは難しいかなって……」
普段は察しの悪い夫が、このときはびっくりするほど私の言いたいことを察してくれた。
「サキちゃんが答えを出すのを待つよ」
怒るでも悲しむでもない、いつもの優しい声音だ。私が別れたいと言えば別れるし、続けたいと言えば続けるのだろう。けれど、決して自分を変える気はないんだな、と思う。
この状態で、この家で年を越すのは無理だ。そう思い、町田に帰ることを決めた。
「ごめん、私やっぱり町田に帰りたい。お義母さんには、急に仕事が入ったことにして」
夫は少し驚いていたが、すぐに「わかった」と言い、タクシーを呼んでくれた。私はスマホで明日の札幌行きの航空券を予約し、磯原駅に向かった。
上野行きの特急はガラガラだった。
本当に、これでよかったんだろうか。
昨日までは、夫の実家で年越しするものとばかり思っていた。まさか、1人で町田に帰ることになるとは。決断力のない私にしては思い切ったことをしたものだ。
夫のことを嫌いになったわけじゃない。一緒にいたら楽しいし、私の弱音も優しく受け止めてくれる。できることなら、ずっと一緒にいたかった。温かい家庭を築きたかった。
そう思うと、涙がどんどん溢れてくる。前後左右の席に人がいなくてよかった。持っていた日本手ぬぐいはいつの間にかびしょびしょだ。別れを切りだしたのは私なのに、まるで振られたように泣いてしまう。
学生時代からの友人・アミちゃんにLINEで「離婚するかも」と告げると、「サキちゃんは自分を大切にしていいんだよ」と返信が来た。
思えば、若い頃の私は自分のことが嫌いで、自分を大切にする術を知らなかった。私が自分を好きになれたのも、自分を大切にできるようになったのも、夫のおかげだ。彼が私を肯定し、大切にしてくれたから、私も自分を大切に扱えるようになった。夫には心底感謝している。
そんな夫の手を自ら放すことがたまらなく悲しい。同時に、「もう夫のことで悩まなくてもいいんだ」と思うと、重い荷物を下ろしたような気持ちだった。
町田の自宅に着き、スーパーでお寿司とチューハイを買って1人で夕飯を取っていると、アミちゃんから電話がかかってきた。
「サキちゃん夫婦がそんな状態だなんて知らなかったよ」
「友達や親に夫のことを悪く言われたくなくて、誰にも言えなかったんだ」
私はずっと、周囲に夫の不満を言えなかった。「そんな男、別れろ」と言われるのが怖かったのだ。それに、人から可哀想だと思われるのも嫌だった。
けれど、私は夫といることで幸せな一方、長いこと可哀想でもあった。ずっと認めたくなかったけれど、そろそろ認める頃合いだろう。
大晦日、札幌の実家に行った。
母が出してくれたお茶漬けを食べているうちに、また涙が出てきた。母も父も、何も言わない。お茶漬けを食べ終えて、私は今の気持ちを母に話した。
「私がもっと我慢すれば続けられたんだけど……」
「あなたはもう充分に我慢してきたよ。よく頑張ったよ」
そうかもしれない。夫がほとんど働かなくなって5年。もう充分に頑張った。
母と話しているうちに、自分の中で離婚が決定事項になっていることに気づく。どうシミュレーションしても、夫とやり直す未来が見えない。離婚を後悔する未来も。
そう思うと、自分で決めたことなのにまた泣けてきた。母も、私たちの会話が聞こえる場所にいる父も、夫に対して否定的なことを言わない。それが救いだった。
大晦日はさんざん泣いたが、年が明けて1月になると、もう涙は出なかった。むしろ、清々しい気持ちだ。離婚という大きな決断を下した自分の勇気を褒めてあげたい。
2日は中学からの友人4人とファミレスに行き、3日は幼なじみと『すずめの戸締り』を観に行った。地元を堪能し、4日に町田に帰ってきた。
そうして迎えた6日、一粒万倍日と天赦日が重なる大変おめでたい日に、夫に電話で「離婚したい」と告げた。
夫はいつもの優しい声で「サキちゃんがそうしたいなら」と快諾してくれた。彼は、私と別れることが悲しくないんだろうか。
「私、このままここに住みたいの。この家の名義を私に変更したいんだけど、どう?」
「いいよ」
離婚が現実味を帯びたときから考えていたことだ。夫は「もう東京に住みたくない」と言っていたし、私は町田に住みつづけたかった。
私と夫は、2015年の1月に町田に住みはじめた。長旅を終えて帰国し、夫婦そろって住所不定無職で心細かったとき、やっと見つけた物件がここだった。「ここで一から新しい人生を始めよう」と誓った場所。その場所を、私は離れたくない。夫婦を解消しても、1人になっても、私はここから歩き出したい。
ずっと、「私は弱いから夫がいないと生きていけない」と思っていた。けれど、経済的に自立し、1人暮らしをするようになった今、私はきっと彼がいなくても生きていける。新しい一歩に、町田はぴったりの場所だ。
「離婚届は一緒に提出しに行こう。その帰り、お店でおいしいもの食べよう」
「いいよ~」
ふわりと包み込むような、私の大好きな声で彼が答える。今回の離婚の顛末をエッセイに書いていいか尋ねると、彼は快諾してくれた。
「出会ってからの15年間、本当に楽しかったし、幸せだった。出会ったことも結婚したことも、まったく後悔してない。ありがとう」
「僕もだよ。僕は価値観が違ってしまっても、できることならずっとサキちゃんと一緒にいたかったよ」
夫が初めて、未練のようなものを見せた。胸が締めつけられると同時に、嬉しかった。
「じゃあね」
私も一緒にいたかった。それでも、私はこの大好きな声を手放す。
この先どこへ行くかはわからないけれど、とりあえずは町田から、自分の人生を歩むことにした。
文=吉玉サキ(@saki_yoshidama)