創業から40周年を迎えた、長崎出身のご夫婦が営むアットホームな居酒屋

入り口の赤い提灯が中華街を連想させる。
入り口の赤い提灯が中華街を連想させる。

商店街の通りから階段を下りると『どんく』がある。半地下なので自然光が入り、木目調の店内は山小屋みたいで居心地がいい。1982年、田川誠さんとママの慶子さんは、当時木造の長屋が残っていたこの地に『どんく』をオープンした。ちなみに“どんく”とは、長崎弁でカエルを意味する。

マスターが当時を振り返る。「兄が東京で中華料理店をやってたんです。上京して建築の専門学校で学んでいるときに、兄の店を手伝っていて。それがきっかけになりちゃんぽんの作り方を学びました。僕が23歳のときに高校の後輩だった奥さん(慶子さん)と結婚して、26歳のときにこの店を出したんです(笑)」。

長崎弁でカエルを『どんく』という。店内にもどんくが点在するので探してみよう。
長崎弁でカエルを『どんく』という。店内にもどんくが点在するので探してみよう。

最初は長崎ちゃんぽんと皿うどんの店だったが、しだいに定食も提供しはじめたそうだ。ボリューミーなチキンカツは近頃大盛りファンからも熱視線を浴びている。

木目調でリラックスできる店内。
木目調でリラックスできる店内。

マスターは最近、年を感じることが多くなったそうだ。「40年がんばったからそろそろ引退しようかな」と、常連さんにこぼすこともあるそうだが「そんなことしたら、急にボケたり体の調子が悪くなって倒れちゃうから“死ぬまで店をやれ”って常連さんが言うんですよ(笑)」。マスターは困った顔で笑うが、うれしそうだ。実際、お客さんの愛のムチがご夫婦の原動力になっているようだ。

笑顔がステキなマスターとママ。「お2人のなれそめは?」とたずねると、「取材が来るといつもその話になるんだよなあ(照笑)」とはぐらかされてしまった。
笑顔がステキなマスターとママ。「お2人のなれそめは?」とたずねると、「取材が来るといつもその話になるんだよなあ(照笑)」とはぐらかされてしまった。

いつも元気で働き者のママと、ちょっぴりシャイだが笑顔がキュートなマスターのほんわかしたムードがほっとさせてくれる。

40年以上作り続けても納得いかないちゃんぽんのスープは「今も研究中!」

長崎のソウルフードで、マスターもママも子どものときから食べてきたというちゃんぽん。今日はこれをいただかずには帰れない。あっという間にできてしまうというので、カメラをスタンバイ。マスターの「いくよ!」の掛け声に緊張が走る。

野菜や豚肉、アサリ、カマボコなどの具材と醤油など調味料を加えて手早く炒める。ごま油がいい香り!
野菜や豚肉、アサリ、カマボコなどの具材と醤油など調味料を加えて手早く炒める。ごま油がいい香り!
白湯スープは5時間かけて豚骨だけで取る。豚の旨味が充分に引き出され白濁している。
白湯スープは5時間かけて豚骨だけで取る。豚の旨味が充分に引き出され白濁している。
具材に白湯スープを加え、さらにちゃんぽん麺を投入したあとひと混ぜし、フタをして約2~3分で完成だ。
具材に白湯スープを加え、さらにちゃんぽん麺を投入したあとひと混ぜし、フタをして約2~3分で完成だ。

「はーい、ちゃんぽんどうぞ〜」そう言ってテーブルに運んでくるママの笑顔も隠し味の調味料。わぁ〜、おいしそうだ。野菜も肉も魚介類も、ぜ〜んぶ入ってそれぞれの個性やおいしさがうまく融合している。それでいて、ササッと栄養補給ができるちゃんぽんってものすごく優秀なファストフードなのだ。

ホワイトペッパーをかけていただきまーす。
ホワイトペッパーをかけていただきまーす。

まず具材を炒める時に使用したごま油の香りがぷ〜んときて食欲がモリモリ。スープは野菜、肉、魚介の調和度を表すように、おだやかでやさしく胃にじんわりしみていく。丼を傾けてゴクゴク、もいいけれど筆者はれんげでひとすくいずつ大切に飲んでいきたい。

豚骨の白湯をベースに具材の旨味たっぷりで後味すっきりの極上スープだ! と思っていたが、マスターは「これじゃまだダメ」と首を横に振る。「理想の味に近づいているんだけど、あともうちょっとが難しいね」。いつか到達する100点のスープはどれだけおいしいんだろうかと想像したら喉が鳴った。

中太のちゃんぽん麺。ほどよくコシもあり、時間がたつと麺がスープを吸い込んでおいしくなる。
中太のちゃんぽん麺。ほどよくコシもあり、時間がたつと麺がスープを吸い込んでおいしくなる。
大きなエビをはじめ、野菜もお肉も具だくさん。
大きなエビをはじめ、野菜もお肉も具だくさん。

具材はエビ、キャベツ、もやし、ニラ、ニンジン、キクラゲ、カマボコ2種、タケノコ、アサリ。ズビズバと音を立てて麺を啜り、味わい深いスープとともに具をモグモグ。エビが、キャベツが、キクラゲやタケノコが! 咀嚼するたびにそれぞれの食感や味わいをみせるから食べ飽きない。

レンゲでスープの底をすくったら具がこんなに出てきた!
レンゲでスープの底をすくったら具がこんなに出てきた!

もう食べ終わったかなと思ったら、スープの底から想像の倍以上の具材が出てきた。この第2ラウンド目が楽しいのだ。完食後はすご〜く満腹だが、野菜が多いせいか胃もたれしにくく、こなれるのも早いからちゃんぽんが好きだ。

爆盛りチキンカツはちゃんぽんと並ぶ名物

今や洗練されたイメージで語られることが多い恵比寿。この地で40年、『どんく』を営業してきた田川さん夫婦は、移りゆく時代とともに隆盛していく街を見つめてきた。

「この店がオープンした頃は、うちの並びには個人店しかなかった。当時からにぎやかではあったけど、もっと親しみやすい感じだったね。今じゃ信じられないけど、木造の家も多かったんですよ」とマスター。

ちゃんぽんと皿うどんの店としてスタートした『どんく』。
ちゃんぽんと皿うどんの店としてスタートした『どんく』。

変化が訪れたのは1994年。サッポロビールの工場跡に恵比寿ガーデンプレイスができたことだった。マスターが追想する。

「銀座からサッポロビールの本社が移って来たら、途端に人口が2倍になったんですよ。それで、人気の街として注目されるようになって地価も上がってね。オレらと同じように店をやってた人が、外車に乗りだしたり、店ごと売っちゃった方もいました」。

雲仙豚の角煮や長崎の焼酎『壱岐』など地元にちなんだメニューも好評だ。
雲仙豚の角煮や長崎の焼酎『壱岐』など地元にちなんだメニューも好評だ。

その頃、『どんく』にも変化が訪れた。なんとそれまで売り上げの半分を占めていた出前をやめたのだ。

「恵比寿に高いビルやマンションができはじめて、オートロックになって。入っていく時はいいんだけど、食器の回収ができないんです。あと台風になると、停電でエレベーターが止まって8階くらいまで階段を上らなきゃいけない。すると1軒配達するのに30分かかるし、また戻って料理を作って出前してたらヘトヘトになっちゃって(笑)」。そんな苦労も今となっては笑い話だ。

充実の定食メニュー。チキンカツ5枚で1000円は驚異的な安さ!
充実の定食メニュー。チキンカツ5枚で1000円は驚異的な安さ!

『どんく』の40年間は決して安泰ばかりではなかった。時代とともに定食の種類を増やしたり、お酒のおつまみもメニューに加えて充実させてきた。

「売上が悪いときは危機感があってあれこれ考え、売り上げが安定するとほっとして、また売上が悪くなって……。40年この繰り返しですよ(笑)。でもそれがないと成長しないの」。

なるほど。含蓄のある言葉が胸を打つ。マスターがそういう想いに行き着くのは、毎日仕事にきちんと向き合ってきたからこそだと感じさせられる。

単品メニューのチキンカツ。1枚の大きさは手のひらくらいある。
単品メニューのチキンカツ。1枚の大きさは手のひらくらいある。

最近はボリューム満点のチキンカツがヒット。もともと人気だったが、大食いYouTuber・もぐもぐさくらさんが店に来て以来、海外からもお客さんが訪れるようになった。大きくてカラッと揚げられたチキンカツは5枚もついて1000円。「高級スーツを着た人から学生さんまで食べに来てくれますよ」とママもほほえむ。

安くてボリューム満点で、しかもおいしいなんてステキな三拍子! 次はお腹を空かせてきて絶対にチキンカツをいただこうと決めた。

住所:東京都渋谷区恵比寿西1-14-2 サンライズビル1F/営業時間:11:30~22:00(金・土は11:30〜23:00)/定休日:日・祝/アクセス:JR・地下鉄恵比寿駅から徒歩2分

構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=パンチ広沢