沖縄(ウチナー)好きを自認するノンベエで、おそらく『きよ香』を知らない人はいないだろう。高円寺だけでも5店舗を展開する『抱瓶(だちびん)』グループの本店であり、中央線沿線の沖縄カルチャーを牽引(けんいん)してきた総本山的な老舗居酒屋だ。2022年の9月には、(コロナで順延されていた)創業60周年の記念イベントが盛大に催された。
沖縄出身者はもとより、多くのウチナーラヴァーがこの店に通うのにはワケがある。まずはその雰囲気。薄暗い路地裏の提灯の向こうは、まさに大人の隠れ家で、年季の入った飴色のカウンターには、オリオンの生と沖縄料理がよく似合う。ドゥルワカシー(田芋の煮物)など、他店ではまずお目にかかれない料理も魅力だ。
だが、なんといってもこの店に欠かせないのは、厨房(ちゅうぼう)で腕を振るう店長・ヌーヌーさん(54)の存在である。ミャンマー出身の彼女は、もともとは母国の農水省で働いていたが、軍事政権の圧政に反発し、1991年に留学生として来日した。
「3月に高円寺の日本語学校に入って、4月にここでバイトの面接を受けて。『じゃあ、明日から来てね』とママに言われて、気がつけばあれから31年(笑)」
ママとは『きよ香』の創業者、故・高橋淳子さんのこと。“沖縄のおしん”とも呼ばれた彼女は、23歳で『きよ香』を立ち上げて以来、2012年に73歳で亡くなるまで、半世紀にわたり多くの客から慕われてきた。
「ママは私の日本のお母さん。料理のやさしい味付けはママの故郷の八重山料理の特徴です。最初はソーメンチャンプルーなんかも上手に作れなくて。お客さんにも迷惑かけました」
働き始めた当初は料理でも苦労したそうだが、いまではヌーヌーさんが作る料理を求めてやってくる常連客も多い。
「沖縄には“チムグクル(真心)”という言葉があります。ママはいつも『人にも料理にもチムグクルを大切にしなさい』と言ってました」
『きよ香』が常連客も一見客も分け隔てなく楽しめる店なのは、きっと、淳子ママのチムグクルがいまでもそこで息づいているから。
「いつの間にか、ミャンマーより日本での暮らしのほうが長くなりました。この30年で高円寺の街はずいぶん変わったけれど、このお店はママの遺志を継いで、これからもずっと変わらずに続けていきたいと思っています」
懐深く、あらゆるものを受け入れる高円寺。まさにその“チャンプルー文化”を体現する店は、変化しないことを誓い、進化を続けていく。
取材・文=芹澤健介 撮影=泉田真人
『散歩の達人』2022年11月号より