理想的な立ち食いそば
『あかくら』は住宅の並ぶ通りに、ポツンといった感じである。店に入ると、扉すぐのところにテーブルがあり、左側は立ち食いカウンター。正面に厨房で、ケースの中に天ぷらが並んでいる。そっけない造りだけれど、これが妙に落ち着くのだ。
そばはちょいポソ気味のゆで麺(むらめん)。ツユはかえしがきいていて、ちょうどよく濃い。天ぷらは柔らかめだが、ツユになじむと衣がトロッとしてきて、なんともいい。パーツすべてがカチッとハマッた、理想的な立ち食いそばなのだ。
2016年に開店した『あかくら』は、店主の大内博子さんが切り盛りしていて、今年で16年になる。もともと対岸の水元に住んでいて、夫は大工だったのだが釣り好きで、仕事をやめるタイミングでこちらに移り、釣り道具店を始めた。みさと公園の広大な池(小合溜)は有名なヘラブナ釣りスポットなのだ。そのとき、釣り道具店の隣で始めたのが『あかくら』だった。
釣りのお客さんは少ない?
店名の由来は、博子さんの出身地、山形県の赤倉から。若いときに東京に出て、しばらくは叔母の営む理髪店で働いていたのだが、そこに客としてきていた夫と出会い、結婚。結婚後は、ヤクルトレディや化粧品の訪問販売などの仕事を経て、喫茶店で働くように。喫茶店では25年ほど働いたため、調理のスキルは十分だったのだ。
みさと公園のすぐそばで隣が釣具店なだけに、釣り人が多く食べに来るのかと思いきや、実はほとんどのお客さんはドライバー。店の前の通りは路線バスも走り、意外に交通量も多い。近くに飲食店もないため、ドライバーにはありがたい店なのである。
ちなみに隣の釣具店はひっそりとした感じだが、営業のほとんどは釣りエサの出前。夫が朝、公園に散歩に行き、釣りをしている常連さんから注文をとって届けるという、なんとものどかなやり方なのだ。
2022年いっぱいで閉店
博子さんの穏やかな雰囲気も相まって、なんともなごめる『あかくら』だが、実は2022年いっぱいで店を閉めてしまう。理由は年齢。60歳から始めて16年。毎朝、3時半から始める仕込みも、そろそろキツくなってきたのだという。
残りわずかと聞けば、もっと食べておきたい。ほかではなかなかない、いかのエンペラとネギのかき揚げを頼む。プリッとしたエンペラとネギの香りが、とてもいい。見た目でなんだか分からないからか、それほど出ないようだが、これは『あかくら』のイチオシ天ぷらかもしれない。
春菊に紅しょうが、インゲン、天ぷらの種類は野菜を中心に多い。お客さんのリクエストでだんだんと増えていったそうだ。カツ丼にカレーライスと、ごはんものも充実しているが、これもリクエストされて増えていった。なんだか博子さんのマメな性格がうかがえる。
最近はドライバーのお客さんが減り気味な一方、初めて来るお客さんが増えているという。閉店の話を聞いて、食べに来る人が増えているのだろう。なかなかハードルの高い立地だが、車ならば近くにみさと公園の駐車場もあって、意外と来やすい。公園へ遊びに行きがてら、理想的な立ち食いそばを味わってみるのはいかがだろうか。
取材・撮影・文=本橋隆司