小野先生
小野正弘 先生
国語学者。明治大学文学部教授。「三省堂現代新国語辞典 第六版」の編集主幹。専門は、日本語の歴史(語彙・文字・意味)。

「わらう」のイメージはかつてよりポジティブに!?

小野先生 : 「わらう」は、文献では奈良時代から、おそらく実際にはもっと前の時代からある古いことばです。
そのころから、ポジティブな意味とネガティブな意味があります。

・ポジティブ→うれしさや楽しさの気持ちを表に出す。表情を崩したり、声を立てる。

・ネガティブ→バカにした気持ちを表に出す。表情を歪めたり、引きつった声をあげる。

ネガティブな意味に限定した表現では、「あざける」と「わらう」の複合語で「あざわらう」ということばもあります。反対にポジティブに限定すると「えむ」となります。
どちらも奈良時代には用例が見られます。

筆者 : 英語の「lough」にも、「声をあげて笑う」だけでなく「嘲笑する」といった意味がありますね。「笑う」という行為にポジティブとネガティブの要素があるのは、世界共通の感覚なのかもしれません。

小野先生 : そうですね。特に古い時代の「わらう」は、とても広い意味をカバーしていました。
しかし、現代の「わらう」は、相手をバカにするようなニュアンスは薄らいでいるように感じています。むしろ、悪意がないことを表に出す行為としてとらえられているのではないかと。
「笑ってごまかす」「笑って済ませる」といった表現は、ネガティブなことに「わらい」をコーティングして、ポジティブな事柄にしてしまおう、ということですよね。
ネガティブなニュアンスは、別の言葉を補って、「あざわらう」とか「せせらわらう」のような言い方にします。

筆者 : 「おわらい番組」「おわらい芸人」といったことばに対するイメージも、私が子どものころと比べると、随分ポジティブになった気がします。私たちの意識の中で「わらう」ことや、「わらい」を提供してくれる人への評価が、高まっているのでしょう。

「わらう」と「さく」の源流は同じ!?

小野先生 : 漢字の変遷をみていきましょう。「笑う」のほかに「咲う」「嗤う」とも書きます。「嗤う」は「あざわらう」に近いネガティブなニュアンス。「笑」「咲」は異体字(同じ字と認める範囲で形が異なる字)で、元をたどれば同じ漢字でした。
「咲う」はあまり一般的ではなくなりましたが、「咲(えみ)」などの人名に名残があります。

筆者 : 武井咲さん! でも「咲」は「さく」と読むのがより一般的ですよね。「花が咲く」というように。

小野先生 : 元々「咲」は「さく」とは読まれず、「花がさく」というときの漢字は「開」「披」などが用いられていたんです。

筆者 : むっ、少々ややこしいですね。
「笑」「咲」は元々ひとつの字で、「わらう」「えむ」と読んでいた。それが、いつの間にか2つの字に分かれ、「咲」は「わらう」よりも「さく」、人の行動よりも花の状態を指すようになった。
だとすると、「人がわらう」ことと「花がさく」ことの間に、昔の日本人は何か共通点を見出していたのでしょうか。今でも「笑顔の花が咲く」といった比喩はありますが…。

小野先生 : 比喩的に使うというより、ほぼ同じようなものだと考えていたのだと思います。「わらう」はうれしい感情を表に出す行為、いわば感情の発露です。「さく」も蕾から出て花びらを露わにすることを言います。
「秘められていたものを表に出す」という抽象的なことばとして、「わらう」「さく」をとらえていたのだと考えられます。

筆者 : 感情を「秘められたもの」とするあたり、いかにも日本的な感じがしますね。

小野先生 : そうですね。「えむ」は「わらう」より表情や声が抑制的なイメージがありませんか? 「えむ」は「わらう」のポジティブ特化型ですから、感情は露わにしすぎず、控えめに表現することが好ましい、という感覚が、ことばに反映されていることがわかります。

筆者 : 今はマスクでさらに表情が隠されて、余計に感情が表に出づらくなっています。コロナ禍も2022年で3年目、先生も素顔を見たことがない学生さんは、多いのではないですか?

小野先生 : 最初の授業のときに、自己紹介で少しだけマスクを外してもらうようにしているんです。しかし、なかには外すのを嫌がる学生さんもいて、もちろん私も無理強いはしていません。
感染予防だけでなく、マスクの下に秘めているものがあるのかも…。

筆者 : 実はヒゲを剃り忘れているとか! 私もよくあります。秘められていると、色々考えてしまいますね(笑)

まとめ

「わらう」にはポジティブな意味だけでなく、「あざわらう」に通じるネガティブな意味も。奈良時代からあることばで、古くは広い意味をカバーしていた。現代では、「わらってごまかす」のように、好意を前面に押し出すポジティブなニュアンスが、強調されているのではないかと小野先生は分析する。

漢字をみれば、「笑」「咲」は異体字でもとは一つの漢字がそれぞれ変化したもの。昔の日本人は「人がわらう」も「花がさく」も同じような現象として、とらえていたことがわかる。「わらう」は感情の発露であり、秘められたものを明らかにする行為なのだ。

取材・文=小越建典(ソルバ!)