小野先生
小野正弘 先生
国語学者。明治大学文学部教授。「三省堂現代新国語辞典 第六版」の編集主幹。専門は、日本語の歴史(語彙・文字・意味)。

昔から「うなぎ」は夏場のスタミナ源

小野先生 : 大昔、「うなぎ」は「むなぎ」と呼ばれていました。日本語では、「M」の音が「U」に変わることはよくあって、「むま→うま(馬)」「むめ→うめ(梅)」といった例がみられます。
万葉集には、有名な大伴家持が詠んだとされる

「石麻呂(いしまろ)にわれ物申す夏痩に良しといふ物ぞ武奈伎(むなぎ)取り食せ」

「やすやすもいけらばあらむをはたやはたむなぎをとると川に流るな」

という歌があります。
石麻呂とは、吉田石麻呂という人で、いくら飲み食いしても飢饉に遭った人のようだ、と言われるくらいやせ細っていました。そんな石麻呂に、「夏痩せに良いと言われるうなぎを食べろ」「痩せていても生きていればよいのだから、うなぎを獲ろうとして川に流されてはだめだよ」と言っています。
要するに、石麻呂が痩せているのを、うなぎを使ってからかっているのです。

筆者 : 川に流される、とはちょっとブラックなユーモアでおもしろいですね(笑)。ニョロニョロと細長く、つかみどころのないうなぎは、ジョークに使われるほど親しみのある存在だったのですね。

小野先生 : そうですね。そして、うなぎは昔から、精を付けられる夏場の薬食のような存在だったこともよくわかります。
室町時代のことわざには「山の芋は海に入ると鰻になる」というのもあったんですよ。

筆者 : どういうことですか???

小野先生 : 起こるはずのない事が起こる、といった例えとして使われました。山芋とうなぎが取り合わせられているのは、スタミナ源であるという共通点で、同じグループとしてとらえられていたからかもしれませんね。

「土用丑の日にうなぎ」の仕掛け人は誰だ!?

筆者 : そんな背景があって、江戸時代の平賀源内は「土用丑の日にうなぎを食べるとよい」と、言い出したのですかね。

小野先生 : あ、その話は根拠のない流説ですよ。平賀源内と「土用の丑の日にうなぎ」は、おそらく関係ありません。

筆者 : えっ、そうなんですか!? 「土用丑の日」は、夏場に売れなくなるうなぎ屋を盛り立てるための、源内の天才的なキャッチコピーだったと聞いていたのですが……

小野先生 : 土用丑の日にうなぎを食べる習慣は、安永(1772〜81)・天明(1781〜89)ころにはじまったと言われています。現代の広告キャンペーンのようなことを、誰かが仕掛けたと思わせるくらい、一気に広がった習慣だったようです。
安永・天明年間は平賀源内が活躍した時代と重なるので、彼が仕掛け人として持ち出されたのでしょう。戦前からある説で、誰が言い始めたかはわからないのですが……。

筆者 : うなぎはの生態は謎だと言われますが(太平洋の深海で生まれて日本に来るとか)、文化的にもうなぎのミステリーが深まりました!

まとめ

「うなぎ」は万葉集にも登場し、ジョークのネタにもされるほど、日本人が慣れ親しんだ魚。室町時代には、「山の芋は海に入るとうなぎになる」(起こり得ないことが起こることの例え)ということわざもありました。

うなぎといえば「土用丑の日」ですが、これを江戸時代の発明家・平賀源内が言い始めた、という説には根拠がありません。ただ、一気に広がった習慣なので、うなぎを売るためのキャンペーン的に誰かが仕掛けた、という可能性は大いにあります。

取材・文=小越建典(ソルバ!)