小野先生
小野正弘 先生
国語学者。明治大学文学部教授。「三省堂現代新国語辞典 第六版」の編集主幹。専門は、日本語の歴史(語彙・文字・意味)。

「えらふ」から「えらぶ」へ

小野先生 : 「えらぶ」は奈良時代以前からあることばで、古くは「えらふ」と濁らず発音していました。「ふ」が濁音になったのは、平安時代中期以降とされています。

また、元々ひとつのことばではなく、「える」+「ふ」から成っていました。「える」は「複数のものから取り出す。選択する」という意味の動詞で、いまでも「えりごのみ(選り好み)」「えりわける(選り分ける)」ということばに名残があります。また、「ふ」は、奈良時代に用いられた古い助動詞で、「継続」の意味があります。

つまり「えらふ」は語源から言えば、「複数のものから、意に叶うものを取り出して、そのままにしておく」ことを指していました。

筆者 : 現代の「選ぶ」は選択する行為そのものを指す「える」に近いように思います。

小野先生 : はい。「える」は平安時代以降、使われなくなっていきました。「えらぶ」がとって代わったので、「選択して取り出す時点の行為」もカバーすることばとなり、時代とともにそちらの意味合いが強くなりました。

筆者 : 「える」は「手に入れる」という意味の「得る」ではないのですか?

小野先生 : なるほど、その関連を考えたくなりますね。でも、「得る」は奈良時代は「う」という動詞でした。今でも「言いうる」「成しうる」と言いますよね。発音も意味も近いように見えますが、まったく別のことばです。

現代と一味違う「選挙」の日本的な意味とは?

筆者 : 「選挙」はいつごろからあることば、または概念なのでしょう? 今では当たり前に使っていますが、民主主義ではない時代、少なくとも今のような「選挙」や投票は行われていませんよね。

小野先生 : 「選挙」は実は古いことばで、平安時代初期からみられます。また、中国の文献にも出典のある由緒あることばです。意味は「選び出して推薦する」こと。現代で言う「推挙」に近いでしょう。

現代の「選挙」は、投票によって代議員を選ぶ公的な制度を指します。明治時代に西洋の「selection」の制度を導入する際に、古い漢語(中国からの外来語)を当てたものです。江戸時代では、ごく限られた人たちが知っていることばでした。

筆者 : 時代劇で、賄賂を使って重職に就こうとする悪者に対し、「その職に必要な徳と実力を身につければ、自然と周囲から認められるのに……」とさとすようなセリフを聞いたことがあります。

前近代の「選挙」は、まさにそうした日本的、東洋的な概念だったのですね。「おれがおれが」と手を挙げるのは美徳ではない……。

小野先生 : そうですね。古い選挙の概念には、選ばれる人の意思決定は介在しません。いっぽう、現代の西洋的な選挙は、誰かが立候補しなければはじまりませんから、同じことばでも対象的な概念だと言えます。

選挙制度は民主主義の大前提です。同時に、ふさわしい人が「(古い意味で)選挙」され、自然とリーダーになっていくような日本的な社会のあり方も、模索していってはどうでしょうか。

まとめ

「えらぶ」は奈良時代には「えらふ」と発音されたが、平安時代には「えらぶ」と濁った。元は「える」という動詞と「ふ」という助詞が組み合わされたことばで、「える」が廃れたことで「えらぶ」という一語の動詞となった。

「選挙」は平安時代初期から日本にあることばだが、「選び出して推薦する」といった「推挙」に近いニュアンスだった。明治に導入された西洋の制度を表現する際、「選挙」が用いられた。原義から捉え直すと、現在の選挙への向き合い方も考えさせられる深いことばだ。

取材・文=小越建典(ソルバ!)