小野先生
小野正弘 先生
国語学者。明治大学文学部教授。「三省堂現代新国語辞典 第六版」の編集主幹。専門は、日本語の歴史(語彙・文字・意味)。

天の川を渡るのは織姫?彦星?

小野先生 : 突然ですが、「七夕」の伝説とはどんなお話だったか、覚えていますか?

筆者 : 働き者の織姫と彦星が、結婚すると遊んでばかりになったので、神様が怒って離れ離れにした。けれど、年に1回、7月7日の夜だけは天の川を渡って会うことが許されると。

小野先生 : 織姫は、こと座の1等星「ベガ」、彦星はわし座の1等星「アルタイル」で、天球上でも天の川をはさむ形になっています。では、織姫と彦星はどこであうのでしょうか? どちらか片方が天の川を渡っていくのか? それともふたりが歩み寄って真ん中で会うのか?

筆者 : うーん、考えたことがありませんでした。やっぱりここは、彦星が川を渡るのが男のやさしさというものでしょうか?

小野先生 : 中国では元々、川を渡るのは織姫のほうでした。しかし、日本では彦星が通うイメージに変容しました。

「万葉集」では七夕の歌がいくつか収録されていますが、両方のパターンが共存しています。

古代の日本では夫婦が同居せず、男性が女性の家に通う「妻問婚」が一般的で、そのため、日本的な解釈による、七夕の歌が詠まれたと考えられています。

古今和歌集には、

「秋風の吹きにし日より久方のあまのかはらにたたぬ日はなし」

という読み人知らずの歌があります。昔の暦では7月7日は秋。「秋風の吹いた日(立秋、または7月1日)から、7日が待ちきれずに天の川の河原に立たない日はない」という意味です。彦星を待つ織姫への深い共感が示されていますね。

筆者 : 遠路をはるばるやって来る男性を、一日千秋の想いで待つ女性……。私はロマンチックに感じられますが、そこには日本的な考え方の刷り込みがあるのかもしれないな、と思いました。ジェンダーフリーの時代には、新しい七夕のイメージがうまれそうです!

「たなばた」の語源説にみるダイナミックなストーリー

筆者 : ところで「たなばた」は、そもそもどんな意味なのでしょう? 織姫と彦星の伝説は中国のものですから、やはり外来語(漢語)なのですか?

小野先生 : 古くから日本にあった「和語」です。「七夕(しちせき)」を「たなばた」と読むのは、完全な当て字です。

「たなばた」は元々は「布を織る人=織女」という意味がありました。「たなばた」の「ばた」は「はたおり(機織り)」の「はた」です。

筆者 : なるほど。では、「たな」はどこからきたのでしょう?

小野先生 : 「たな=棚」とする説が有力です。民俗学者の折口信夫は、「遠来のまれびと(客人)を迎えるために、海岸に棚を設け、その上で機で布を織りながら待つという儀礼があったのではないか」と述べています。

家の中でモノを置く棚ではなく、もっと大きな、京都の川床のようなイメージです。

折口にしかできない天才的な発想ですね。

筆者 : ほお〜。なんだか神秘的なイメージを感じます。では、棚機と七夕とのつながりはあるのですか?

小野先生 : 七夕には、笹に短冊を付けて願い事をしますね。7月7日「七夕(しちせき)」は3月3日(上巳)や5月5日(端午)と同じ五節句のひとつで、庭前に供え物をして五色の短冊を飾る風習は、昔からありました。その様子が、棚で機を織りながら客人を迎える「たなばた」と重なったと考えられています。

筆者 : 機織りでつくられた織物が海風にたなびく様子と、笹の葉につるされた短冊がゆれる様子のイメージが重なったのでしょうか。おもしろい連想で、ことばができたのですね!

まとめ

織姫と彦星が年に一度だけ、7月7日に出会うという七夕伝説。本家の中国では織姫が彦星に会いに行く物語だが、日本では反対のイメージに。古代の日本では、男性が女性の家に通う「妻問婚」が行われていたことが、影響したと考えられる。

「たなばた」のことばは、大きな棚の上で機織りしながら客人を待った風習に源流があると、民俗学者の折口信夫は解説する。「七夕(しちせき)」の節句に、五色の短冊を飾る風習と重なり、7月7日を「たなばた」と呼ぶようになった。

取材・文=小越建典(ソルバ!)