小野先生
小野正弘 先生
国語学者。明治大学文学部教授。「三省堂現代新国語辞典 第六版」の編集主幹。専門は、日本語の歴史(語彙・文字・意味)。

「やばい」の本質をとらえると良い意味に使う理由がわかる

小野先生 : 「やばい」の意味は「危険である様子」「状況が良くないこと」などで、悪いイメージのことばです。しかし、いつからか「このケーキ、やばい!」のように、「おいしい」「すごい」など良い意味でも使われるようになりました。もっと曖昧に、「ああ」「おお」のような感動詞のようにも使われます。

筆者 : そうなんです。20年ほど前だったか、当時の若者が良い意味で使っていて、戸惑ったことを覚えています。

小野先生 : 脈絡がないようにも思えますが、ことばの本質をさかのぼって考えると、意味の変化を説明できます。「やばい」が示す「危険である」とは、つまりどんな状況でしょうか?

筆者 : 何か、自分の想像や対応できる力を越えた大きな脅威が差し迫っていて、ケガをしたり命を落としたりする可能性がある、ということでしょうか。でも、まだ実際に何かが起こったり、被害を受けているわけではない。

小野先生 : 「やばい」の要素を分解すると、そんな感じになりますね。
ここでは、「自分の想像や対応できる力を越えている」という要素に注目しましょう。人は「自分でコントロールできない」状況に、危険を感じるわけですよね。
おいしい料理や美しい景色、感動的な音楽など、ポジティブな意味で「やばい」の対象も、自分のコントロールを超えた存在である、という点で本質は共通しています。だからこそ、良い「やばい」を誰かが使い始めたとき、そのニュアンスが理解され、共感されて、雪崩を打つように一気に広がっていったのでしょう。
そして、「やばい」の対称にあるのが、同じく若者言葉として独特のニュアンスがある「かわいい」です。

筆者 : なるほど! 確か、怖いと思っている人を「かわいい」と言ってしまうことで、コントロールできる存在にしてしまうという……。

「かわいい」は、もはや現代日本の文化を象徴することばのひとつ。長い時間の中で、大きく変わってきたことばの役割を、国語学者の小野正弘先生が丁寧に教えてくれた。意外な背景に目からウロコ!?

小野先生 : そうです。ふだん笑わないおじさんが、好物のスイーツを前に満面の笑みを見せていたりすると、「かわいい」と言われたりします。ちょっとしたイメージのギャップ、弱みのようなものが、相手をコントロールできる存在として位置づけるきっかけになるのです。
「やばい」はこの反対で、特に危険ではなく、むしろ好ましいものに使うことで、「コントロールできないほど素晴らしい」とポジティブな意味を強くしています。

筆者 : こうしてお聞きすると、現代の「やばい」「かわいい」には、抽象的に物事をとらえ、本質をついて具体化する複雑なプロセスが隠れていることがわかりました。

「やばい」は「ナウい」「エロい」の仲間!?

小野先生 : 「やばい」は明治時代に最初の用例がみられ、比較的新しいことばと言えます。「やば=矢場であり、戦場で矢が降ってくる場所なので、転じて危険な状態を指すようになった」と説明されることがありますが、この説はあやしいでしょう。矢場は弓の的当てが行われた江戸時代の遊技場です。危険な場所という意味合いで矢場が使われた用例もありません。

筆者 : では、「やばい」の語源は何なのでしょうか?

小野先生 : 語源は不明と言うしかありません。ただ、ことばの成り立ちはおもしろいですよ。

「やばい」の原型は「やばな」という形容動詞(連体詞)です。形容動詞は状態を表すことばに「〜な」や「〜だ」を付けて、物事を形容します。
日本語は元々、形容詞の少ない言語でした。概念が定着してひんぱんに使うようになったことばは、形容動詞のままでは使い勝手が悪い。そこで、形容詞化して使いやすくすることがしばしばあるのです。

ひきなり(低)→ひきし→ひくい
するどなり(鋭)→するどい
おおきなり(大)→おおきい

といった具合です。この変化は外来語を日本語化するときに、よく使われます。

ナウだ→ナウい
エロだ→エロい

といった例があります。さらに最近はことばの変化のスピードが早く、数年で形容詞化しています。

エモーショナルだ→エモい
チル→チルい

といった表現が定着していますね。「ナウい」「エロい」といった表現が、上手くいって定着した前例が大きいと思います。

筆者 : 表現としても意味としても、ことばの変化の裏には、ちゃんとした理由があるとよくわかります。「やばい」は俗っぽい形容詞ではありますが、新しい表現をうみだす若者の知性を感じることばでした。

まとめ

「やばい」は「危険である様子」「状況が良くないこと」を指すことばだが、美味しい食べ物や感動的な音楽など、良い意味でも使われるようになった。一見相反しているが、「コントロールできない」状況を指すという本質的なニュアンスは共通している。

語源は不明で(「やば=矢場」説は誤りの可能性が高い)、「やばな」という形容動詞が形容詞化したもの。これは「ナウい」や「エモい」といった表現に通じる品詞の変化。形容動詞や外来のことばを形容詞化すると、より直接的な感覚で、日常的に使いやすくなる。

取材・文=小越建典(ソルバ!)