発電所跡は丘の斜面に埋まるようにして、半地下構造となっています。柵があるところからして、当然立ち入り禁止となっており、危険なためコンクリートで封鎖したと注意書きがあります。柵といっても脚の高さまでの低いものなので、外側から撮影するのは容易です。
内部は土で半分埋まっています。意図的に埋めたのでしょう。現役の頃は目の前の木も無く、入り口はもっと低かったのかと思われます。ひょっとしたら、発電機を設置するためスロープになっていたかもしれません。柵越しに見ると、窓のような大きめな穴が2箇所あります。土は相当な高さまで埋めた様子で、人が立てるほどの入り口があったと思われます。
となると、この大きめな穴は換気口かな。
左右には部屋が続いている様子です。右手には配電盤があったのでしょうか。電線を張った痕跡がありました。発電所が半地下構造となったのは、カモフラージュのためでしょうか。周囲は岬の自然な丘となっており、上空からでは発見しにくいです。
またディーゼル発電ということは、排気の換気をしないといけません。先ほどの大きな穴以外にも、丘の部分にも換気用の施設が残っている可能性がある。そう思って斜面の階段を上がり、よーく見ると、換気用の煙突らしき物体を見つけました。草が茂っていて切り株かと思いました。
最後に巡るのは、岬の南側です。大房岬砲台とは直接関係ないのですが、戦争遺構として終戦直前に造られた魚雷艇の基地と発射用の施設が残っています。砲台は巡洋戦艦鞍馬の副砲を備えていたから海軍の管轄かと思ったけど陸軍です。ですが、魚雷艇基地と発射施設は海軍が設置しました。
この施設は本土決戦に備え、敵艦が東京湾内に出現したときに海上特攻をするもので、回天10型という、92式魚雷を改造して操縦室をつけた特攻兵器の基地でした。痕跡は僅かに残っており、回天10型を格納する人工洞窟と、発射用のコンクリート台座があります。
砂浜へ降りると、海によって侵食された崖にはいくつかの洞窟があります。1箇所、四角い穴があり、砂浜に足を取られながら近づくと、ツルハシなどで掘られた痕が見られ、明らかに人工のものであると分かります。ここに回天10型が数艇格納されていたのでしょう。穴の大きさは屈まないと進めないほどの高さで、この回天がいかに小さい特攻兵器だったか伺えます。
コンクリート台座は砂浜に半壊した状態で残っています。岩かと見間違えましたが、平らで長細いものや床と思しき構造物がボキボキと折られた状態で砂浜に散乱しており、戦後に破壊されたのか、波の作用によって自然と壊れたのか判別できませんでした。
台座は海中へと進んでおり、海岸線には長細いコンクリートが続いています。訪れたときはちょうど干潮時だったため、この遺構の全容が確認できましたが、満潮時には海中へ没しています。77年もの間、干潮と満潮を繰り返したコンクリートはボロボロとなっていました。きっと、このコンクリートの上にレールを敷き、回天10型を海中へ発射させていたと思われます。この回天は実戦投入される前に終戦となりました。
3回に渡ってレポートしてきた大房岬砲台跡施設。自然公園となり、夏にはキャンプ利用が本格化します。公開している施設とはいえ足元には十分気をつけてくださいね。
取材・文・撮影=吉永陽一