四方田犬彦 Yomota Inuhiko
1953年大阪府生まれ。映画誌・比較文学研究家、エッセイスト、詩人。文学、映画、漫画などを中心に、多岐にわたる今日の文化現象を論じ、著書多数。明治学院大学やコロンビア大学をはじめ、国内外の大学で教鞭をとった。最新刊は、1979年にソウルで過ごした体験をもとに書かれた長編小説『戒厳』(講談社)。
「70年代のハモニカ横丁はドブ板みたいなところで」
樋口 : 先生、ご無沙汰しております。
四方田 : よろしくおねがいしますね。樋口さんは『散歩の達人』ではよくお仕事されてるんですか。
樋口 : ここ6年くらい連載をやってるんです。その中で何回か、「樋口毅宏の引っ越し人生」というタイトルで四方田先生のひそみに倣っております。
四方田 : それはそれは(笑)。引っ越しはよくされてるんですか。
樋口 : 先生にはかないません。『四方田犬彦の引っ越し人生』によると、海外留学の期間を除けば、19歳から30歳まで吉祥寺に住んでいらしたんですよね。その頃と今とではだいぶ街の様子も違うと思うんですが、たとえば駅のところ、「ロンロン」もなくなってしまいましたし、ハモニカ横丁もだいぶ変わったと思います。
四方田 : 最初にここに引っ越してきたのは1971年だったと思います。70年代のハモニカ横丁っていうのはほんとドブ板みたいなところで、薄暗くて、おばあさんがひとりで焼き肉屋を小さいところでやっているみたいなのがざぁっと並んでいて。トイレは奥の方に共同であるだけでした。それに80年くらいかなあ。お正月に火事があったんです。ハモニカ横丁のあたりが燃えているのを1月1日に見まして。あのあたりに今、ちょっと隙間みたいなのがあるのは、防火用にそのとき作ったんじゃないでしょうか。
樋口 : 『引っ越し人生』では吉祥寺で、金子光晴と出くわしたエピソードもありましたよね。
四方田 : いろんな人が住んでいましたからね。たとえば埴谷雄高(はにや・ゆたか)さん。埴谷さんのご自宅の向かいの医院はうちのホームドクターでした。その医院に行くと、いつもストーブの前で『アサヒ芸能』を読んでいるおじさんがいて、それが彼だったんですね。別の所で紹介されたときに「なんだ君か!」「ああ、おじさん!」ってな感じで(笑)。
樋口 : しかし埴谷雄高が『アサヒ芸能』って意外な感じがしますが(笑)。
四方田 : いやけっこう下世話な話が好きな人なんですよ。飄々(ひょうひょう)とした、落語家みたいな雰囲気の人でしたよ。それから私にとっての悪魔的な師匠であった由良君美(ゆら・きみよし)も、その近くでした。
樋口 : そうか、『先生とわたし』の由良先生も吉祥寺でしたっけ。
四方田 : あと村上一郎、丸山眞男、竹内好(よしみ)なんかとは会ってみたかったですね。
60年代のそういった思想の巨人たちが総合雑誌では激しく論戦をしながらも、吉祥寺ではスイカをおすそわけするようなコミュニティーがあったわけです。
樋口 : 再び引っ越してきてからの吉祥寺はどうですか。
四方田 : こういう話をすると『散達』のカラーと違うのかもしれないですが、ここ最近の吉祥寺は大変でした。
樋口 : ……というのは?
四方田 : ヘイトスピーチで大変だったんです。つまり今の武蔵野市長が、住民投票の際には外国人にも投票権を、という条例を出そうとしたところ、インターネットで集まった右翼グループが井の頭公園で大集会を開いたわけです。その人たちは、この条例を認めると武蔵野市は中国人に占拠されてしまう、日本のチベットになってしまう、それでいいのか、という演説をしていました。そのあとデモ行進して吉祥寺駅の方に行ったようなんですが、駅の方も大変だったらしいですね。多くの武蔵野市民は、おののき、傷ついたことだと思います。
青春時代の映画館と井の頭線、中央線
樋口 : 先生にとって映画はとても大きな存在だと思いますが、当時の吉祥寺の映画館事情はどうだったんでしょう。
四方田 : 私は中学校から大学までずっと駒場(東大前)なんです。すると井の頭線ですから、渋谷まで行ってしまえば映画館はたくさんあるわけです。それともちろん新宿、あとは明大前の「正栄館」。こういうところで浅丘ルリ子三本立てとかを見ていました。吉祥寺には「オデヲン座」や、ほかに三本立ての映画館もありましたね。のちに「バウスシアター」なんかもできましたし、今は『アップリンク』もあります。だから、いつもそういうことやってる街だな、という感じでしたね。
樋口 : 中央線沿いではあまり映画は観ていらっしゃらなかったんですか。
四方田 : 中央線というのは私には欠落しているんですよ。高円寺や阿佐ケ谷、荻窪に思い入れはまったくありません。あのあたりが駅ごとにそれぞれのカラーがあったのに対して、70年代の吉祥寺は出遅れていました。阿佐ケ谷や高円寺には戦前からいろんな文人がいて、そういう人たちが集まる場がありましたけれど、吉祥寺にはありませんでしたし。吉祥寺が注目され始めたのは、上村一夫の『同棲時代』、この舞台が吉祥寺だったっていうのがあるんじゃないのかな。上村さんは、はっきり吉祥寺だとしているわけじゃないですから、テレビドラマの方でそうしたのかもしれません。あの頃から吉祥寺は「同棲カップルが一番多い街」、と言われるようになったんです。なぜかというと、家賃が安かったからです。『同棲時代』では周りになんにもないところに、ぽつんと家があるんですね。私が住んでいる吉祥寺南町も、最初に引っ越してきたときは全部果樹園だったんです。だから吉祥寺はかっこいいと思うような街ではなかったですし、高級住宅地でもありませんでした。
犬と共に生活するための井の頭公園だったけど
樋口 : それでご結婚されてからは吉祥寺を離れて、と。
四方田 : ええ、その後は世界中あちこちに行くわけです。それはもう『引っ越し人生』に書いたとおりなんですが、それが4年ほど前にこの辺を歩いていたら良さそうな貸家の物件があったので、発作的に引っ越しを決めたんです。なぜ吉祥寺に戻ってきたかということですが、自分の犬に井の頭公園を散歩させてやりたい、これに尽きます。今はどこもアスファルトとコンクリートになってしまっています。すると、夏なんかは道がものすごく熱くなるんですよね。でも土の上ならどんなに暑い日でも歩けるわけです。とにかく犬を散歩させてやりたい、ほんとうにそれですね。
樋口 : 犬はいつから飼われていたのですか。
四方田 : 私は生まれた時からずっと犬がいましたから。いなかったのは海外にいた時くらいでしょうか。だから四方田犬彦の「引っ越し人生」じゃなくて「犬人生」っていう連載ができますね(笑)。でも、またそろそろ吉祥寺から引き上げようと思っているんですよ。
樋口 : また虫がうずいちゃったんでしょうか。
四方田 : いえいえ、犬が病気になりまして、通っている病院が鎌倉なんです。前に住んでいた横浜の保土ケ谷の家がまだそのままありますんで、そこに戻ろうかと。犬を散歩させるために吉祥寺に来ましたが、犬の体力も落ちているし公園一周なんてとんでもないって医者に言われてしまって、今は家の周りを一周になってしまいました。だからここに住んでいる意味もあんまりなくなっちゃったんですね。
樋口 : それでぼちぼち、街中のお店の前にあるダンボールが(引っ越しのために)気になり始めてきたわけですね(笑)。
四方田 : また引っ越ししちゃうっていうね(笑)。まあしょうがないです。
樋口 : 人は犬に還(かえ)るんでしょうかね。ビートたけしさんも犬を飼っていて、むちゃくちゃなかわいがりぶりらしいんですよ。犬の「ゴン」って名前を、自分の事務所にもつけるくらいで。
四方田 : それと、『散達』で街ひとつひとつにフォーカスを当ててっていうのはそれはそれでいいのですけれど、たとえば「犬と東京」とかってできないものでしょうか。どこそこに行って何がおいしかったっていうのは、もちろん知りたいことではあるんですけれど、そういう消費を超えたところで街とどう付き合うかということですね。犬を飼うっていうのは、料理を食べるような短い時間の体験ではなく、一生をかけるようなとても長い時間の体験で、つまり長い時間での街との付き合い方になりますからね。
樋口 : なるほど。まさに四方田さんは、そういう長い時間での体験のために、吉祥寺に戻ってきたわけですものね。
四方田 : でもまた横浜に引っ越してしまうかもしれませんけれどね(笑)。
聞き手=樋口毅宏 文・構成=かつとんたろう 撮影=原 幹和
『散歩の達人』2022年4月号より