小野先生
小野正弘 先生
国語学者。明治大学文学部教授。「三省堂現代新国語辞典 第六版」の編集主幹。専門は、日本語の歴史(語彙・文字・意味)。

「よろしく」は相手に裁量を与えることば

小野先生 : 「よろしく」は古典語の形容詞「よろし」の連用形です。同じく形容詞の「よし」が、「優れている」「善良だ」「上等だ」という意味で用いられるのに対し、「よろし」は「まずまずよい」といったニュアンス。「よろし」は「よし」ほど絶対的ではなく、「妥当である」「適切である」というように、少し程度が弱まります。
江戸時代の歌舞伎の台本には、「よろしく」という表現がしばしば見られます。歌舞伎は大筋さえ合っていれば、どのように役を演じるかは、役者がある程度の裁量を持っていました。具体的な指示をせず、シーンに合った「妥当な」「適切な」演技をしてくれ、という意味で「よろしく」が用いられたのです。

筆者 : 現代でも「よろしくお伝えください」というとき、具体的にどのように言うかは、相手に任せていますね。

小野先生 : はい。「よろしく」は相手に裁量権を与えることばです。さらに伝言する人は、「〇〇さんが『よろしく』と言っていましたよ」とそのまま伝えれば、受け取る人は「そう言えば食事に行こうと話していたな」「暑中見舞いのお礼だな」と察して了解します。

筆者 : 受け取り方まで相手に投げてしまいます。便利なことばです。

小野先生 : 言語学では「コード共有」というのですが、背景や文脈を共有しているから成り立つことばです。島国で、そもそも文化的な結びつきが強い日本人らしいことばです。

高度な能力がなければ「よろしく」できない

筆者 : 「よろしくお願いします」もとてもよく使う表現です。特に目上の人に用いるとき、「相手に裁量権を与える」というのは、少しおかしくないでしょうか?

小野先生 : 「与える」というと、上から目線になって変ですが、「無理のない程度に引き立ててほしい」というニュアンスと考えればよいでしょう。どこまでも世話をしてほしいわけでなく、相手が妥当だと思う範囲でよい、という控えめな意志が含まれています。

筆者 : なるほど! その状況で妥当/適切な範囲を設定しましょう、という合図でもあるのですね。会議が始まるときも、終わるときも「よろしくお願いします」を使うことがよくあるのですが……。

小野先生 : 始まるときは、会議の目的や仕事を前進させるための妥当な範囲に従って話しましょう、という意味での「よろしく」。終わるときは、話し合いの内容に沿って、各自適切な役割を果たしましょう、という意味での「よろしく」でしょう。

筆者 : 仕事がスムーズに進むときは、みんなが妥当性を理解しているのですね。ときどき、会議中にまったく違う趣旨の発言があったり、会議後に思うように相手が動いてくれなかったりします。「よろしく」が、できていないのですね。

小野先生 : 裁量は与えるが妥当な範囲を越えてはいけない、ということです。そうした「よろしく」に対する憧れが、私たちの意識にはあるように思います。
昔のアイドルグループは、全員が同じ動きで決まったダンスを踊っていました。しかしある時から、男性アイドルに多いのですが、まるでアドリブのようにラフに踊る人たちが増えました。
好き勝手にやっているようだけれど、調和が取れていて、とてもかっこいいんです。きっと高度な技術がなければ、あんなふうにはならないのでしょう。

筆者 : 歌舞伎の役者しかり、「よろしく」行動するのは実は難しく、高度なことなのですね!

まとめ

「よろしく」の語源である「よろし」は、「よし」と比べて控えめな表現。妥当である、適切であるといったニュアンスを持ち、かつ相手に裁量を与えるという小野先生の解説は、日常会話を振り返っても納得できる。

同時に、私たちは「よろしく」と言い交わすことで、無意識にシチュエーションに応じた妥当な振る舞いの範囲を設定する。そして、暗黙の了解のうちに自分の役割を果たし、相手の行動を制限するのだ。

ときには、それぞれが考える「よろしく」の範囲が異なる場合もあるだろう。そんなときは、明確なことばで確認しあって、お互いの「よろしく」をつくっていきたいものだ。

取材・文=小越建典(ソルバ!)