しゃれっ気も気取りも不要! 超重労働の男たちの腹を満たすための市場めしがルーツ
秋葉原駅の電気街口を出て、中央通りを渡った路地裏にその店はある。テレビを始め、多くのメディアで取り上げられ、ネットでも話題の『ごはん処あだち』だ。今ではデカ盛りの店として名をとどろかすが、そもそもはやっちゃ場で先代が開いた市場食堂が始まり。1969年の創業というから、秋葉原で半世紀以上の歴史を刻む。
「私で2代目なんですね。最初は市場相手の店だったんですね。昭和の終わりまでアキバに(市場が)あったんですが、太田の方に引っ越しちゃってもう32年(1990年に移転)たちますね。どんな市場かっていうとやっちゃ場っていってね、青果市場があった。うちはそこで働く大卸(おおおろし)の人たち、市場関係の人たちが通った店なんですね」と、よく通る声でそう話してくれたのは店主の安達政則さん。
先代の時代には市場に仕出し弁当も配達していたそうで、学生の頃から店を手伝っていた安達さん。卒業後は外の空気も吸わなきゃということで、ほかの飲食店や電気関係の会社に勤めたこともあるとのことだが、人生のほとんどをかけてこの『ごはん処あだち』を守ってきた。
やっちゃ場が移転するまでは市場で働く男衆相手の早朝営業だった食堂も、移転後は電気街で働く人たち相手のランチに加え、夜営業も始めた。時代とともに移り変わる秋葉原を見つめながら、ここで働く人々の胃袋を満たしてきたのだ。
「今は観光地になっちゃったけどねッ」と安達さんはいうが、その観光客の胃袋をも満たしながら、もともと市場めしとして男衆にたっぷり食べさせていた白米を、今ではデカ盛りの店として看板に掲げている。
もはやある意味、秋葉原らしいエンターテインメントを提供しているのではないか。江戸っ子の心意気!? いや、したたかさかもしれない。そして、とにかく元気で親しみやすく愛嬌たっぷりな店主に魅了される。
いざ、あだちサービスセットの擦り切れ桶めしを注文。ひたすら食べる初体験!
さて、いよいよ注文である。安達さんからひと通りご飯の盛り方レクチャーを受け、あだちサービスセットの擦り切れをお願いした。
果たして、運ばれてきたご飯は本当に桶に盛られていた。しかも、こんもりと山盛りだ。この店では、これを擦り切れというのだ。
そしておかずもこれまた桶に盛られていた。揚げ物中心だが、この揚げ物の下に野菜とコンニャク、厚揚げの煮物、もやしの和え物、厚焼き玉子が埋まっている。
「市場の人が好んで食べたのがこの唐揚げです。カレー味の。市場の男衆がね、俺たちは夜中働いてるんだからもっとデカイの出せって訳で、この大きさになったみたいだね。そして味もちょっと濃くしろって訳で、ピリッとカレー味を効かせるようになったんだね」と、安達さんが唐揚げ誕生エピソードを聞かせてくれた。
デカ・旨・安のデカ盛りは、安く腹いっぱい食べさせたいという先代の志を継ぐ2代目の心意気
ご飯→おかず、おかず→ご飯、サラダ→おかず、味噌汁→ご飯、おかず→おかず→ご飯のローテーションを繰り返しながら、やっとご飯の桶の底が見え始めたころ、安達さんにデカ盛りへの想いを聞いてみた。すると、こんな答えが返ってきた。
「満腹で安く多く食べさせてやりたいってのは、親父の代からだね。親父はやっぱり自分が戦争に行って苦労してっからね。メシだけはね、食べないと生きて行けないんだからね」。そして、こんなヒミツも。
「お米はね、市場時代に大卸の人たちがよく来てたからね。その頃の人たちが今は偉くなったりしてるから、おいしいお米をまあ、値段はいわないけど、そのルートで仕入れさせてもらってるからね。安く入らないとできません」とキッパリ。「よくテレビなんかで赤字覚悟でやってますなんていってる店があるけど、赤字でやる訳ないだろ」と笑いながらも、「安く入ってるからできるんですよ」と繰り返した。
秋葉原の伝説のデカ盛りの店は、決して奇をてらったり、ましてや話のネタなんかじゃなく、おいしいご飯をお腹いっぱい食べさせたいとの想いからやっている誠実で昔気質な店主がいる店だった。そんな店主の話を聞きながら1時間、たっぷり時間をかけて擦り切れ約600gの桶メシを食べきった。
迎え入れてくれた時から帰るときまで元気はつらつ、キップのいい店主にパワーをらい、お腹もココロもパンパンに満たされた。しかし、今夜は夕飯いらないな。完食の結果、昼夜2食分の食事となったのだった。マジ、コスパ最強。
取材・文・撮影=京澤洋子(アート・サプライ)