小野先生
小野正弘 先生
国語学者。明治大学文学部教授。「三省堂現代新国語辞典 第六版」の編集主幹。専門は、日本語の歴史(語彙・文字・意味)。

花の象徴は「梅」から「桜」へ

小野先生 : 「桜」の語源は本当にさまざまな説があり、どれも決定的ではありません。ただ、「咲く」との結びつきはあるようです。
「桜」は、「咲く」の代表的な存在だったと考えられます。昔の桜は主に山桜ですが、緑の中に鮮やかなピンクがよく映えますから。
ただ、山梨では樺を、岩手ではこぶしを「桜」と呼ぶことがあります。咲くものは「桜」だけでないですし、地域によって代表選手は違うのかもしれません。

筆者 : 「桜」は古くから文芸のテーマにもなってきました。

小野先生 : 「万葉集」の段階では、和歌に「桜」はほとんど詠まれませんでした。この時代の花は、漢詩に多く登場する「梅」が主役ですね。「うめ」は訓読みと認定することにはなっていますが、古い中国語の発音が訓読みのようになじんだものなんです。

筆者 : えっ、そうなんですか!? 「梅」が外国の花、「桜」は日本の花と、明確に意識されていたことが、ことばからわかりますね。

小野先生 : そうですね。平安時代に入ると、中国の唐朝の力が衰え、遣唐使が廃止されるなどして、我が国固有の文化が重んじられるようになります。古今和歌集からは立場が逆転して、花といえば「桜」が和歌に多く詠まれるようになります。

「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(「古今和歌集」在原業平)

などが有名です。「この世に桜がなければ、春を過ごす気持ちは平穏であるはずなのに……」という意味です。裏返せば「桜があるせいで、花のことが気に掛かって心穏やかに過ごせない」ということですね。

筆者 : そこまで言わなくても、という感じはしますが……。作者のなかにある「桜」の存在の大きさが伝わってきます。

桜の散りざまと日本人の死生観

小野先生 : 立派に咲いて、華々しく散るのも「桜」の特徴です。どちらもあるから、日本人の心をひきつけるのでしょう。

「ことしより春しりそむるさくら花ちるといふ事はならはざらなむ」(「古今和歌集」紀貫之)

という歌が有名。「人の家に植えてあった桜が咲き始めた。散るということは、習わないでほしい」という意味です。
近代でも作詞:竹島羽衣/作曲:滝廉太郎の唱歌「花」が、次のような一節ではじまります。

「春のうららの隅田川 のぼりくだりの船人が 櫂のしづくも 花と散る」

筆者 : 花期の短い「桜」には、儚さ、潔さを感じます。

小野先生 : 江戸時代以降、「桜」の散りざまが、潔く死を恐れない武士道の精神につながっていきました。ただ、それが元々日本人の死生観だったわけでなく、社会とともに変化する価値観に、「桜」の花が結び付けられていったと考えられます。

取材・文=小越建典(ソルバ!)