小野先生
小野正弘 先生
国語学者。明治大学文学部教授。「三省堂現代新国語辞典 第六版」の編集主幹。専門は、日本語の歴史(語彙・文字・意味)。

「風邪」は人体に悪い影響を与える「風」だった

筆者 : 病気の「かぜ」は、やはり自然に吹いている「かぜ」から来ているのでしょうか?

小野先生 : そうですね。「かぜ」の用例は奈良時代の文献でみられますが、おそらくはもっと古くからあったことばでしょう。
一方、病気の「かぜ」は、平安時代につくられた「竹取物語(900年前後)」の例がもっとも古いと言われます。

「風いと重き人にて、腹いとふくれ、こなた、かなたの目には、すももを二つ付けたるやうなり」

筆者 : お腹がふくれて、目がスモモのように腫れている、ということでしょうか? 今の「かぜ」とは、だいぶ違うような……。

小野先生 : 私たちがイメージするような軽い症状からはじまって、重篤になった状態を含め、広く「かぜ」と呼んでいたようですね。平安時代に成立した日本で作られた現存最古の医学書「医心方」には、中国の説として「風者百病之長也」という引用があります。「風邪は万病のもと」の起源です。

筆者 : このころは「風邪」ではなく「風」の字を当てていたのですね。日本人は古くから、自然に吹く「風」が病気の元になる、と考えていたのでしょうか?

小野先生 : 日本古来の考え方というより、中国語の「風(フウ)」の影響でしょう。「風(フウ)」は空気の流れと病気の両方を指しますが、日本の「かぜ」には元々病気の意味はありませんでした。

筆者 : 外来の概念を日本語に当てはめた、というわけですね。そこから「風邪」という、より悪いものらしい字を当てるようになったのでしょうか?

小野先生 : 「風邪(フウジャ)」ということばは中国に元々あって、特に人体に悪さをする自然の「かぜ」を指していました。中国語の「風(フウ)」は元々病気の意味を含んでいましたから、「風邪(フウジャ)」とは原義が異なります。

筆者 : なかなか複雑ですね……。

小野先生 : 日本では、江戸時代ごろに「風邪(フウジャ)」が病気を指すことばになりました。長屋のご隠居さんなど、ちょっとインテリの人が使う表現でした。
ともに「かぜ」と発音し、空気の流れを「風」、病気を「風邪」を表記で区別しているのが今の状態。この使い方になったのは、明治以降のことです。

「ひく」は本人の責任、「かかる」は避けられない災難

筆者 : 「かぜをひく」というのはなぜでしょう?

小野先生 : 「ひく」は、「クジを引く」などの「引く」と同じです。おそらくは、江戸時代以降の表現と考えられます。「悪い空気の流れ(フウジャ)を、体内に引っ張り込んでしまった」といった意味合いです。

筆者 : コロナやインフルエンザは「ひく」ではなく、「かかる」と言いますよね。違いはどこにあるのでしょうか?

小野先生 : 「引く」とは向こう側にあるものを、自分のほうに移動させることです。「かぜをひく」のは不運ではありますが、自分で引き起こしたものであり、その意味で責任は自分にあります。
「かかる」は、どこかから災いがふりかかってくる状態を言います。自分の努力だけでは、避けきれません。

筆者 : 流行の伝染病に罹患するのは、本人の責任とは言えない、という意識が背景にあるのですね。

小野先生 : 「竹取物語」の時代と違って、現代の「かぜ」は軽い症状に限られます。理由は病気の分析が進んだためで、重い症状、特殊な症状の病気には、別の病名をつけて区別するようになりました。
「かぜをひく」は「ババをひく(不利な目にあったり、損な役回りになること)」と同じくらいの、軽めの表現です。

筆者 : 多くの場合、病気になるのは不運も、本人の行動や生活習慣も、両方の理由があるのでしょう。けれど、重い病気を本人の責任にするのは酷だ、というやさしさが「かぜをひく」ということばから感じられます!

取材・文=小越建典(ソルバ!)