中里和人

1956三重県生まれ。写真家。東京造形大学教授。風景や対象物の奥を見つめるような独特のランドスケープ表現が特徴。ギャラリーのみならず古民家や廃工場などオルタナティブな空間での個展も多い。著書は向島関連で『長屋迷路』『東亰』、そのほか『小屋の肖像』『東京サイハテ観光』『セルフビルド』などがある。

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古くて新しい町、向島との縁の始まり

向島を初めて訪れたのは2000年。きっかけは、その年開催された、空き地や空き家問題への提案アートイベント「向島ネットワーク」だった。

日本各地の小屋を撮影した私の写真集『小屋の肖像』を見たイベントの総合監督ティトス・スプリー氏から、小屋を捉えるような視点で向島を撮影し、空き家で写真展をしてほしいとのオファーがあったからだ。以来、現在まで向島を撮り続けてきた。向島エリアで参加したアートイベントや個展は8回に上る。知らぬ間に私は、向島と切っても切れない間柄になってしまった。

「向島ネットワ ーク」写真展会場(2000年)。
「向島ネットワ ーク」写真展会場(2000年)。

2000年、京島は迷路のようだった

2000年。初めて見た向島は細い路地が迷路のように続き、人と自転車しか通れないような路地を抜けると、その先にも猫道ぐらい小さな路地が葉脈のように連なっていた。路地裏の町工場からは、ゴトンゴトンとプレス機の音が聞こえ、どこを見ても経年変化で色褪せ、手触り感の強いモルタルやトタン壁の木造民家が密集していた。その中に長屋が軒を連ね、軒先に植木や草花が勢いよく伸びて、下町式垂直ガーデニングの世界があった。町の真ん中には、総菜屋、八百屋、花屋、薬屋、食堂などの個人商店がぎっしり並ぶ、下町風情を漂わせる「キラキラ橘商店街」がにぎわいを見せていた。

私が特に注目したのは、太平洋戦争下で奇跡的に焼け残り、戦前の街並みが多く残っていた京島だった。この町の濃密なコミュニティと、路上にあふれる多彩な植栽は、私にとって新しい東京との出合いとなった。当時の京島を中心に向島に残る東京原風景を一冊にまとめたのが、写真集『長屋迷路』である。

写真集『長屋迷路』(2004年)より。
写真集『長屋迷路』(2004年)より。
写真集『長屋迷路』(2004年)より。
写真集『長屋迷路』(2004年)より。

2004年、八広の工場に関心が移る

2004年。向島の中でも東側にある八広に撮影の関心が移りはじめた。京島と違って古い住宅は少ない。代わりに大小さまざまな工場があり、日本の近代化を支えてきた町の面影を強く残していた。すぐ北側には、すでに工場はなくなっていたが、鐘淵紡績=カネボウの広大な工場跡地もあった。

八広では、夜になると空に向かって伸びる煙突が目立つ。ここは工場以外にも、銭湯、料理屋など大小さまざまなデザインの個性的な煙突が林立する、日本有数の煙突地帯だと思っている。工場を中心にした街並みが都市の骨格のように現れ、近代産業から生まれたもう一つの東京を発見する思いだった。2006年、その景観をまとめた写真集が『東亰(トウケイ)』である。

写真集『東亰』(2006年)より。
写真集『東亰』(2006年)より。
写真集『東亰』(2006年)より。
写真集『東亰』(2006年)より。
写真集『東亰』(2006年)より。
写真集『東亰』(2006年)より。

2020年からは「すみだ向島EXPO」

思えばちょうど私が向島を知った2000年ごろから、町は目まぐるしく変貌した。2003年半蔵門線開通、2012年東京スカイツリー完成と相まって、老朽化した長屋や民家などの解体が急速に進行し、この町特有の街並みがどんどん減少していった気がする。

向島らしい風景はずいぶん減ったが、ここ10年で新たに誕生したものがある。向島に若い住人が入り込み、カフェ、民泊、セレクトショップ、ギャラリーなどを創り出したことだ。2000年の向島にカフェは皆無だった。現在は外から散歩に来た人が立ち寄れ、町の情報を共有できる、コミュニティカフェと呼ばれる店が20軒余りある。気軽に入れる都市の縁側のような場所が生まれているのだ。

背景には、安い古民家物件が多く、まちづくりを担う人々の強力なネットワークがあった。その発火点になったのが、2000年から現在まで断続的に展開されてきた、アーティスト、まちづくり系プロジェクト、行政などが協働した向島のアートイベントだと思う。私が関わってきた向島での活動も、この町の風景の力を少しは外に伝えてきたのだろう。

2020年と21年、アートイベント「すみだ向島EXPO」が開催された。私は八広にある元建具製作所で20年は「東亰-東京」、21年は「島めぐり 向島クルージング」と題した展覧会を行うが、これは20年間撮ってきた作品と今の向島がコラボする集大成的な内容となった。また向島の原風景を留めている鐘ヶ淵周辺を動画作品に残し、町工場で上映会も開催した。

「すみだ向島EXPO」写真展会場(2021年)。
「すみだ向島EXPO」写真展会場(2021年)。

向島の濃密なコミュニティ

私が時代とともに表現の幅を広げられたのは、ここに戦前からの街並みと濃密なコミュニティが残っていたからであるが、さらにいうと、どんなに町が変わっても、住民のスピリットが接ぎ木され、向島の原風景としてバトンが循環されてきたからでもある。

路地、古民家、町工場など、ヒューマンスケールの手触り感あふれる風景資源を持つ、古くて新しい町。東京の原風景を楽しみながらサイト・クルージングできる向島は、未来に向けてさらにオアシス度を増していくのだろう。

文・写真 中里和人
『散歩の達人』2022年2月号より

2021年10月1日〜31日まで毎日開催されている街なか芸術祭『すみだ向島EXPO 2021』。2020年にも実施されたこの芸術祭は、2ヶ月で約3000人が来場した人気イベントとなった。今年は1日200人の参加者に限定し、11のテーマプロジェクトと共に、粋でいなせな向島エリアの魅力をゆったり・たっぷり堪能できるようになっている。今回は、先行して実施されたプレスツアーの様子をご紹介。長屋文化の残る向島の新しさを体験した。