父、伯父の味を広めたい。煮干しの名店・伊藤家の次男が奮闘!

子供の頃から秋田角館の店に行っては、煮干し中華そばを食べて育った広夢さん。「かなり幼い頃で、まだ茶碗一杯もご飯が食べられなかったのに、伯父のラーメンだけは2杯食べてた。当時は手打ち麺で、すごく美味かった記憶があります」

角館の店は2022年で創業34年というから、広夢さんが5歳くらいから絶品煮干し中華そばの英才教育を受けてきたというわけだ。

オーナー伊藤広夢さん。由緒正しき煮干し中華そばのサラブレッド。
オーナー伊藤広夢さん。由緒正しき煮干し中華そばのサラブレッド。

「高校生の頃に、親父も角館の伯父から暖簾分けして王子神谷に店を構えて、僕も親父の店を手伝うようになったんです。兄が鶯谷で開業した時も手伝いに行って、その後、角館の伯父のところにも行きましたね」と広夢さん。

職人の技に触れるなかで、伯父、父、兄はみな職人気質。がんこで人を使って店を広げるようなタイプではなく、個人店で終わってしまうのは惜しいと思った。「美味しい煮干そばをもっと世間に知ってもらいたい」「伊藤の名前を広めたい」という想いが湧きあがり、自身も店を持つことに決めたという。2009年5月14日、赤羽に『自家製麺 伊藤』がオープンした。

赤羽駅東口から徒歩1分。「親父の店が駅から遠くて、お客様が難儀しているという声があって」駅近にしたそう。
赤羽駅東口から徒歩1分。「親父の店が駅から遠くて、お客様が難儀しているという声があって」駅近にしたそう。
鰻の寝床のような長い造りで、狭い通路を奥に進むと入り口、入ると券売機がある。
鰻の寝床のような長い造りで、狭い通路を奥に進むと入り口、入ると券売機がある。
カウンター8席。席の後ろが狭いので、通れない時はいったん外に出て奥の戸を開けて入ることができる。
カウンター8席。席の後ろが狭いので、通れない時はいったん外に出て奥の戸を開けて入ることができる。

自身の店では、父の中華そば、伯父の比内地鶏そばを二枚看板とした。「親父の中華そばは、僕が小さい頃、角館で食べていた煮干しそばなんですよ。僕が目指すのは親父の煮干しの味です。伯父は常に味を進化させ続けていて、僕が赤羽にオープンした頃とは変わっていて普通の人間には追いつけないレベルです(笑)」と言いながらも、密に連絡をとっている伯父は師匠と言ってもいい間柄。新店の神田店では、伯父の店と同じレシピの麺を限定提供している。

個人店から店舗展開、ミシュラン掲載で『伊藤』の煮干しそばを全国区へ

次々と店舗を増やしたことで店が手狭となり、赤羽店で仕込んでいた自家製麺もスープも、すべてセントラルキッチンを作って各店へ届けるようになった。各店店長にしっかり任せ、自身は仕込みをしているセントラルキッチンにいることが多いという。今日は広夢さんが創業の地に立ち、肉そばを作ってくれることに。以前、赤羽でいただいた中華そばを思い出しつつ、いただきます!

肉そば 小(焼豚4枚)800円。記憶と寸分たがわぬ懐かしい麺顔。
肉そば 小(焼豚4枚)800円。記憶と寸分たがわぬ懐かしい麺顔。

最初に煮干しそばを食べたのは、やはり伊藤家の店だった。今では煮干しラーメンを出す店が増えたが、当時は珍しかった。強烈な煮干スープにポキポキの低加水麺。煮干しってこんなに美味しいものなんだと初めて思った、唯一無二の味だった。あれから10年以上経って煮干に慣れたのか、今日のスープは上品できれいな煮干しに感じる。

煮干し粉がキラキラ光るスープ。上品だが旨味はしっかり。煮干しは2ヶ月に1度、九十九里まで直接仕入れにいくこだわりよう。
煮干し粉がキラキラ光るスープ。上品だが旨味はしっかり。煮干しは2ヶ月に1度、九十九里まで直接仕入れにいくこだわりよう。

「煮干しの量は変わらないんですけど、たくさんの人に食べてもらうために、誰でも食べやすい仕上がりに少しシフトしています。親父のところは昔のまま結構ガッツリ煮干しですけどね」

赤羽駅前という場所柄、煮干し好きだけでなく乗り換えのついでに知らずに訪れる人も多いため、万人に喜ばれるように変えているという。それが店舗を増やし、ミシュランのビブグルマン獲得へとつながったのだろう。伊藤家の稼ぎ頭であり宣伝部長が、画期的だった煮干しそばを多くの人に届け、魅了させた功績は大きい。

ポキポキの低加水麺が煮干しスープによくなじむ。
ポキポキの低加水麺が煮干しスープによくなじむ。

目指すは父の味。夫婦で父を助けつつ、新業態のうどん店もオープン

麺は、角館、王子と赤羽ほか全店舗すべて同じ小麦粉を使っている。王子には、セントラルキッチンで作った麺を届けているそう。「親父も年なんで、麺はこちらで打つようになりました。でも、スープの味はまだまだ親父に敵いませんね。親父の味が目標なんで、いま修業に行ってるんですよ。妻も一緒に手伝いながら。煮干しスープの味を受け継ぎたいと思ってます」

約10年前、赤羽店で食べた中華そば。煮干しの美味しさにハマり始めた頃。具はネギだけ、その潔さがいい。
約10年前、赤羽店で食べた中華そば。煮干しの美味しさにハマり始めた頃。具はネギだけ、その潔さがいい。

煮干しを広めた立役者である父の店を、父の味を、なんとか残したいと忙しい合間を縫って修業中の広夢さん。さらに王子に別業態『うどん屋 清』をオープン。“清”という店名は、父の清勝、伯父の清美の二人に感謝と尊敬の意味を込めてつけたという。伊藤お得意の煮干しと自家製麺の技術が生きるうどん屋にふさわしい名だ。こちらの店には、父の店を一緒に手伝いながら奥様がメインに立っている。

「やっぱり親父の店が一番うまい」と父をリスペクトする広夢さん。
「やっぱり親父の店が一番うまい」と父をリスペクトする広夢さん。

いい息子さん、いいお嫁さんですねと言うと、「父の味を絶やすのが、もったいないと思って(笑)」と広夢さん。

父を尊敬する言葉を一つずつ噛みしめ、店を出た。口の中のビターな煮干の香りに、やっぱり伊藤は変わらないなあと、ルーツである王子の店にも足を運ぼうと思った。

住所:東京都北区赤羽1-2-4/営業時間:11:00〜24:00(土は11:00〜16:00・17:00~23:00、日・祝は11:00~21:00)/定休日:不定/アクセス:JR赤羽駅から徒歩1分

構成=アート・サプライ 取材・文・撮影=大熊美智代